本の感想

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断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑱ 一冊二円六十銭

2022-10-29 16:01:50 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑱ 一冊二円六十銭

荷風さんたしかにおカネには細かい人で、初版2000部印税一割二分で印税いくら入るかと細かく計算している。(ただしこの人断じてけちではない。)ここから逆算すると一冊二円六十銭になる。一円を一万円とするといくら何でも高すぎるので、たばこが十五銭であったというから今のたばこ500円から計算すると、一円は3000円余りになって二円六十銭は8700円くらいか。それでも本一冊にしてはひどく高く感じる。

 これが多分3刷くらいまではされたと考えられるから、日本全体で6000部から10,000部くらいは売れたのだろう。印税は2刷以降は1割5分であるらしいから、もし10,000部売れたら荷風さんの印税3900円、1円が3300円とすれば現在価値で1200万円余りの収入になる。

 あんなこと書いて1200万円はいいなとも思うし、人気稼業だから入るときはそれくらい入らないとやってられないよなとも思う。しかし驚くのは、結構な金額を本に支払う数千人の読者がいたことです。その背後には数万人の潜在的な読者がいただろう。今この内容の男女の物語の本を出してどんなに文章が流れるような名文でも千の潜在的な読者を得られないだろう。長いことこれはおかしいと思っていた。

 あるとき「試験も学校もない」世界を映し出す妖怪漫画を見ながら思いついた。われわれは自分たちが得られないまたは知らない世界の物語を読みたいのである。当たり前だが日常身近にある物語には魅力を感じない。荷風さんの時代は、今となっては想像しづらいが恋愛が遊里の中にだけ閉じ込められた時代であるという。遊里の外にしか生きられない人々が中を覗きたい、せめて疑似体験をしたいとの願望を持つ人がこの本の読者なんだろう。今遊里そのものがなくなっているし、恋愛というのはそこら中にあることになっている。なくて困っている人もいるかもしれないが困り方が昔とは様変わりしている。人々が今手元になくて困っていることを書くのが本を書く時の鉄則だと荷風さんが感じて書いたかどうかは知らないが、結果としてそうなっていたのでこの人は一山当てたということになる。

 その目で本屋に並んでいる本の題名を眺めると、「おカネをどう稼ぐか、貯めるか」と「老人介護」と「国際政治」などが人々が手元になくて困っていることなんだと考えられているようだ。わたしは「試験も学校もない」世界がなくて困っているからだれか書いてくれないか。人の困りごとを解決するのがお商売の基本であると聞いたことがある。


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑰ 2.26事件

2022-10-28 12:47:48 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑰ 2.26事件

 2.26事件は擾乱と記されていて、2.26事件とは記されていない。命名がずーと後になってのものであるからであろうが、この名前を用いないと読んでいて炭酸の抜けたサイダーみたいな感じがする。しかも、見物に行きたいけど雪が降り積もるのでやめたとか、次の日銀座の人出は普段より多かったとか、牛肉屋で大いに談笑したとか書いてある。戒厳令ってこんなものなのかと疑ってしまう。この時からわずか九年くらいで敗戦を迎えるのにのんびりしたもので、食べるものも潤沢にあったようだ。戦前は真っ暗闇だったとついつい思ってしまうけどそうでもない。これは戦争でひどい目に遭った人がそれを知らない世代に話すのに、ひどい目のところを喋ってその数年前以前には結構いい生活をしていたことは喋らないからだろう。ついついそうなるのは分かるけど公平ではない。

 この擾乱を見物に行って、首相(実際は人違いだったようだけど)の最後がどのようであったかを群衆から聞いたと書いてある。ならば事変のかなり正確な裏話もうわさで聞いていたはずなのにそれは書いていない。そこを書いてほしかった。いまだにあれこれ推察はあるけど決定版が出ていない。荷風さん世間のことには関心を寄せないというようなことをどこかに書いていたのに、結構普通の野次馬なところがある人である。

 同年三月十八日、「一橋の中学校にてたびたび喧嘩したる寺内壽一陸軍大臣となる。」と記載がある。喧嘩したのではなく一方的にやられたはずである。なにしろ軍人上がりの首相寺内正毅の長男であるから、軟弱な荷風をいじめたはずである。いじめるときの作戦の立て方は多分うまかっただろうと予想される。3月27日にはこの「余と寺内大将とは….喧嘩をなしたることなど記載されし由」と週刊朝日に書かれたらしいから、40年前におこったこの喧嘩はかなり有名な事件であったようだ。本当ならここで週刊朝日に対しても一言いうところだと思うけどそれが無いのは、このころから後難を恐れて自粛しだしたとみられる。

この時荷風さん58歳、体調悪くて遺言書いたころである。

寺内壽一さんは1946年南方で病死したけどそのとき荷風さんどんな感想を持ったか知りたいものだ。いじめられた方は一生根に持つからものすごい罵詈雑言があると思うのだが、遺憾ながら日記には探しきれなかった。

 

 

 


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑯ 荷風さんは貴族の末裔か

2022-10-27 14:42:16 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑯ 荷風さんは貴族の末裔か

 大正十四年5月29日に、髭をはやしセルの行燈袴はきたる男が、荷風さんに5,60枚の短冊に揮毫してくれと頼みに来る。一枚一円払うという。そのあとこれを田舎に持って行って一枚5円で売るという。「まことにあきれ果てたる男もいるものなり」としているが荷風さんが果たしてこれに揮毫したのかどうか定かではない。

 また10月21日には巡査がやってきて短冊を求めたという。この時は「商こ(こは、人偏に古)にあらざれば請わるるままに ……」揮毫したようです。巡査は商人ではないから書いたようですけど、この巡査も売りに行ったとは十分考えられることです。人気作家のサインは田舎ではかなりの値を出して買う人が居た。もし荷風さんが本当にケチな人であれば、一枚4円払えとか、たくさん書くと値が下がるから少しだけ書くとかの交渉に乗り出したと考えられますがそうしなかった。わたしなら、自分が放浪作家になって田舎廻りをして揮毫する代わりに数日の宿と上等の晩御飯を頂きに行きたい。田舎廻りをすることで新たな構想がまとまることは十分ありうることだし。

そういうことをしないで、ただ芸術を何だと心得るかというところで怒っているようです。気難しいかもしれませんが普通の反応です。一般に世間では気難しい人を立派な人だと思い違いをすることが多いので、荷風さんはそこに悪乗りして気難しい振りをしているだけとも見えます。

 このように田舎では芸術の香りを高いお金を出して欲しがる人がたくさんいた。作家の揮毫を床の間に飾ってなんだか芸術家の匂いを嗅いでいる気がするのであろう。そんなら自分たちで集まって俳句でも川柳でもやればいいようなもので、たぶん集まってやっていただろうと想像される。しかしそれが残らなかった。

 思うに、芸術が花開くには相当数の有閑人が必要で田舎にはたとえ人口が増えても有閑人が発生しなかったのが理由ではないか。どんな人にもそれぞれ生業があっていやでもそれをやらねばならない。

 田舎の人はそれぞれ生業を果たすことで、都会の有閑階級を支えている。都会の有閑階級は何もしないでアートを仲間内で楽しんでいるだけで、実際働いて世の中を支えている人々から尊敬を受けて揮毫した短冊を求められたりする。なんだか田舎の人は踏んだり蹴ったりじゃないかと思ってしまう。

 私は長年なぜ武力を持たない平安貴族がその時代の前半、地方から租庸調の税金をふんだくることができたのかを不思議に思っていた。私が農民なら、多少の武力は先方もあるでしょうからそこは十分準備するとして仲間と語らい租庸調にはあかんベーをするに決まっている。ところがそうならなかったには、地方の農民が都会の有閑階級の作り出す美の世界にあこがれと尊敬の念を持っていたからに違いない。

 美を作り出すことは、戦闘機やドローンを作ることと同じくらいの力の源泉になりうる。この「髭をはやしセルの行燈袴はきたる男」の項目からこのようなことを連想した。


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑮ 吝嗇ではなく都会人なだけ

2022-10-26 13:33:39 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑮ 吝嗇ではなく都会人なだけ

 日記には、まるで金銭出納帳の写しではないかと思われるほどおカネの話が出てくるので荷風さんを吝嗇とする人もいるけどそうではないと思う。そもそも吝嗇とは入ってきたものを出さないヒトであるから出納帳を書く必要がない。入った金額と今の残高だけに興味のある人は、荷風さんのように何がいくらということを書かないであろう。日記だから印象に残ったものを書く。植木を植えた時の種類本数だけでなく、その値段や運送費用植木職人さんの手間賃まで記載してあるのは印象に残ったからであろう。

 大正末の貨幣価値が分かりづらいけど、植木職人さんの手間賃が3円というから一円が今の一万円とみてまあいいんじゃないか。江戸時代末期の一両が今の7万円というから下がったとはいえ明治維新と二度の戦争をはさんでも貨幣価値は十分の一になった程度である。それから7、80年で一万分の一になったようだから戦後の変動の大きさはバカでかいものであった。

 大正末には、荷風さんは四千某円の年収があったと税務署から通知が来たと記している。(今なら年収4000万円、当時の税務署は申告制ではなかったと見える。これなら税務署の補足しえない所得はどうなったのか。案外荷風さんもっと所得あったんではないか。)三菱銀行の預金が一万円になったので東京電灯の株を買うと書いている。遺憾ながら幾らで買えたかの記載がない。当時は高配当であったらしいから、配当金もたっぷりもらえたはずである。これで銀座のお店に行って晩御飯が一円であったのが四円になったとぼやいている。いくら何でもいきなり四倍はありえないから記憶間違いだろうと思う。晩御飯に一円のものを食べていたのである。これはケチな人ではない。

 昔の文士には、よく稼ぐのだけど台所が火の車破滅型の人が見られる。(これは当時の文士が今の芸能人の役割も果たしていたことの現れと思う。)別に文章が破滅型でないので平気で高校の現代文の教科書に採用されているけど、この人の人生を考えると教科書に載せて人の師表とするのはいかがなものかと思ったことがある。荷風さんはおカネには堅実なので教科書採用あってしかるべしだと思う。ただ、この人の小説の中身とお金以外の生活態度はやや問題ありなので教科書に載せるわけにはいけないかもしれない。一般に仕事の結果とその人の生活態度とは文士の場合あまり関係が無くて、なんだか世の師表にならないヒトの方が良い仕事をしているようにさえ見える。

 心が繊細で生活態度に隠さねばならないところのある人は農漁村には住みにくい。都会地ならなんとか生息できる。ただ都会地はおカネの勘定ができないと一日もやっていけない。だから日記にはおカネの話が延々と出てくる。他の人は無意識にやってしまうところをお坊ちゃんである荷風さん意識しないとうまくやれないということではないか。不器用な都会人であったということで、ケチではない。 

 

 


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑭ 財産税ではなく相続税だったのではないか

2022-10-24 14:04:09 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑭ 財産税ではなく相続税だったのではないか

 大正7年米騒動がおきますが、このころの日記にはそのことには数行他人事のように書かれているだけで、相変わらず三味線のけいこへ行ったり仲間と語り合ったりたまには小説も書いているようですが優雅な生活をしているようです。米騒動は銀座でも起きているのですが、荷風さんは全く他人事の扱いです。のみならず、召使の老婆が亡くなったので不自由で仕方ないと別の人を探したりしています。

 どうやら、当時の日本は2つの階級にきれいに分かれていたと想像されます。もう日本のほとんどの人はそうであったことすら知らないか忘れている。私は知らなかったほうに属する。上層階層のうち政治や実業に携わる方はまた忙しかったでしょうが、荷風さんのような有閑階層は優雅というか退屈というかちょっと競争に明け暮れする今の私どもには理解できない状況であったようです。その状況が日記に記載されているので、こんなことが本当に百年前にあったのかという好奇心に駆られてこの部分を読んでしまいます。ここでは今の私たちは大正時代は米騒動と大正デモクラシーと軍縮しかイメージがありませんが、人数は少ないにせよ江戸情緒を楽しむ一群の人々が世の中または人生を楽しんでいた時代であったこと、また少なくとも東京ではほぼ交わることのない二つの階層に分かれていたことが見て取れます。

 ここではじめの目的である昭和21年預金封鎖のことを思い出します。荷風さんはこの預金封鎖してその間のインフレで財産の目減りがあることや、財産税に関して淡々としていました。それがあのちょっとでも値上がりがあると日記に記載する荷風さんにしては不思議だったのですが、そのくらい大きな損失ではなかったのではないか。上の階層というのは、そのくらいでああえらいことやどうしようとは思わないくらい持っていたんではないかと思うのです。

 昭和40年ころまでは、私どもの周りには何をしているのかわからない財産家が結構いたのです。大きなお屋敷に住んでいるのにこれと言った仕事をしているように見えないのです。あっても人に任せて自分は趣味をしているのです。昭和40年と50年の違いはこのゆったりした人が居なくなったところにあります。

 私は、これは相続税によるものだと考えます。おそらく家督を継ぐ者の相続税は軽かったために有閑階級が戦後しばらくの間日本には存在しえたのでしょう。荷風さんはその一番最後にあたるのではないか。この階級がなくなるのと、歌舞伎や三味線が振るわなくなるのとが同時です。また、三島や川端のような作風の小説家がいなくなるのも同時です。