本の感想

本の感想など

映画 暗殺の森(ベルナルド=ベルリッチ監督)

2023-10-29 15:49:11 | 日記

映画 暗殺の森(ベルナルド=ベルリッチ監督)

 普通映画でも小説でも主人公に観客読者が同化して、一時的に違う者になりきってその眼で日常の自分を視ることで日常の自分を反省することに意味があるとわたしは考えている。悩みや迷いがなくなるとまでは言えないがその直後は軽くなった気がする。従って映画でも小説でもなるたけ格好良く勇ましい方が宜しい。もちろん美女にモテるのも大いに望ましい。

 しかしこの映画の主人公は複雑な性格でしかも根性なしになっているのでとても観客が同化できそうに無い、従って普段の自分を反省するよすがになりにくい。反面教師にすることはできるかもしれないが、反面教師にできるような人物は日常自分の周囲にうじゃうじゃごまんといるからおカネを払ってわざわざ暗いところへ虜になって見に行く必要はない。

 この映画は極めて難解で、わざわざ解説者が映画の前後に解説をしてくれている。この解説を手掛かりに私なりに考えるところはこうである。

 主人公は小さいころ心に重大な傷を受けているために考えることが混乱し、皆と同じであるような振りをして生きていこうとした。当時皆と同じというのはファシズムであったのでそうである振りをしようとした。しかしギリギリ最後のところで何がなにやら分からなくなってしまった。(決して反ファシズムの立場をとったというわけではない。また重大な心の傷というのが実は思い過ごしであったこともエピローグとして語られている。)

 どうもヨーロッパの映画にはこういう重い心理分析または精神分析を伴う作り方をするものが散見される。余程子育ての際に問題の起こりやすい文化ではないかと邪推したくなる。しかしわが日本も最近は小さいころの心の重大な傷を受ける可能性が出てきたのではないかと、最近の芸能界の騒動を見ていると思うところがないわけではない。ならばこの映画も日本で受容されるかもしれない。

 解説者によると、ベルリッチ監督のファシズムに対する思いとベルリッチ監督自身の師匠に対する思いとが二重に投影しているのではないかとの説がある。そんなややこしいものを娯楽を欲しがっている人に提供するのはなーと思ってしまう。ベルリッチ監督の自分の精神分析になんで付き合わされるのか。今日は監督ぼに付き合ってあげようという覚悟で見に行く映画であって自分の心を軽くするために見行く映画ではない。

 もう五十年くらい前とは思えないカメラとライティング技術で西洋絵画の美術館に二時間居たような良い気分にはなれた。

 


(小説) 安井幸太郎の病気

2023-10-18 13:52:27 | 日記

(小説) 安井幸太郎の病気

 安井は、小さいころから周りの誰とも感性が合わなかった。しかし特に気にすることはなくニュートンもミケランジェロも自分と同じような感性だろうとむしろ誇りに思っていた。しかし、就職してからはそうも言ってられないことがだんだんわかってきた。感性が違うからとして仕事の割り振りに手加減があるわけがなかったからである。それでも何とか仕事をこなしたが、勤めだしてから半年ほどしたある日の夜遅くのこと、安井は突然胸がつかえて居ても立ってもいられない焦燥感不安感に襲われた。

 医者の門はもう閉じられているであろうし、医者に行くと睡眠薬を処方されそうでそれが嫌さに安井は下宿を出て駅とは反対側のさびれた街に向かった。いつぞや通りかかったときに古びた小さい粗末な家に大きな看板があって大きな墨書で「万病祈祷退散」と書いてあるのを覚えていたからである。その家の前に立つとさすがに入るのをやめておこうかと躊躇したが、思いなおして医者へ行くよりはよかろうと看板に近づいた。この前は気づかなかったが、看板の左側にはごくごく小さな字で「陰陽師安倍晴明第四十二代目」と書いてある。安倍晴明は京の都では巨大な存在であったらしいが、その子孫はこんな田舎町のこんな粗末な家に住まわざるを得ないのかと甚だ気の毒にも思い、また果たして本当にこの祈禱は効くのかと疑わしくも思った。本当に効くなら多くのヒトが押し寄せるからもっと立派な家になるはずである。

 勇を鼓して玄関の扉をひらくと、三十を少し出た夫人が割烹着のまま出てきて久しぶりの来客に喜びの色を隠せない表情で安井を迎え上がるように促した。玄関の隣の部屋に案内されるとそこは六畳ぐらいの板敷きの間で、ジャージを着た風采の上がらない中年の小柄な男が座ったまま安井を迎いれた。ますます怪しいので帰りたかったが、壁に立てかけられた二本の刺股を見て足がすくんだ。今さっきの夫人と二人であれを使って取り押さえられて台所から包丁を持ってこられるのではないかと恐れたのである。財布には二万数千円を入れてきた、身ぐるみ持って行かれることを覚悟して、来意を告げるとそこへ座れと祭壇を背にして座らされ安井の両肩の上のあたりを眺めるしぐさをした。ずいぶん長い間眺めた挙句

「あんたにはタヌキがついている。普通のひとはキツネであるがタヌキは珍しい。出世を目指す人はキツネがつくものだ。おカネの欲しい人はタヌキがつくもんじゃ。今追い出してやるからそこに座ったままにしなさい。」

安井は出世は考えたこともなかったが、おカネならいくらあっても邪魔にならないと考えていた。見抜かれたから案外これはいけるのかもと考えを改めておとなしく座っていると、どこかから重そうな木刀を持ち出してきて安井の肩の上あたりで気合を入れて振り回すのである。危なくて仕方ない。

 つくづくあほらしいとこへ来てしまったという後悔の念とあるいは効果あるかという期待とがないまぜになった何とも言えない気分であった。感心なことに男はあれだけ振り回しても息が乱れない。少しは信用できるかもしれない。

「八割がた退治したがまだ残っている。残っているのはお主のご先祖からついているやつらであるからちょっと難しいぞ。また調子が悪くなったらいつでも来なさい。」

 二度と来たくないと思いながら謝礼を尋ねると、一万円であった。一万円を受け取るときに男は大げさな印を結びながら安井にごく小さな声でこうつぶやいた。

「医者へ行くことがあっても、構えて新興宗教には近づくな。行けば身の破滅ぞ。」

 

 遺憾ながら安井の焦燥感は治らなかった。なんどもぶり返してくるのである。しかし別に男の教えを守ったわけでもないが新宗教に近づくことはなかった。最近は、あの時の自分と同じ心境に立っているものが新宗教と親和性があるんだなと理解できるようになった。自分のように仕事にうまく適応できない人間にはあの男のアドバイスはあるいはいいものであったのかもしれない。

三十年の歳月を経て安井は昔懐かしい家を探そうとしたことがあるが、街の様子が変わってしまい探すことができなくなっていた。安倍晴明第四十二代の行方は杳として知れなかった。


(小説)  芸は身を助くことの実録

2023-10-17 11:21:44 | 日記

(小説)  芸は身を助くことの実録

 昭和の終わりかけの頃まだバブルというコトバは聞こえなかったがバブルのごく初期の頃のことである。当時わたしは、大学の工学部の四年生で本当は文科系の学部に学士入学してあと2年間のんびりしたかったが、両親に猛反対されて仕事につかねばいけないことになった。そんなころ友人に誘われて私を含んで五人である大きな会社の研究所の見学に気が乗らないまま出かけたことがある。

 ニコニコ顔の人事のヒトに、隅々まで案内された。そのヒトはある大きな機械の前で自慢げに

「ICの設計はこのように自動化されています、これによって古いICが新しいICをこのように設計していることになります。」

と言った。そのあと応接室に戻ってから三人くらいの背の高い同じようなやや地味なスカート丈の長い服を着、同じようにやや地味に化粧した綺麗な女のヒトが運んできた渋茶をすすりながら

「弊社は、皆さんの様なICの優秀な設計技術者を必要としています。」

と言い出した。機械が設計しているんだから設計技師はいらないんじゃないかと茶々を入れたくなったが、場の雰囲気を察してその時はいらざることはかろうじて喋らなかった。さっきの綺麗な三人の女のヒトのうちの一人はわたしたちが見学中に廊下ですれ違った時に恥ずかし気な眼で私どもをちらと見たヒトである。

お話変わって私は大学の勉強が嫌で碌に勉強しないで他にすることもないので映画ばっかり見に行っていた。そのせいで俳優の特に女優の演技する眼が上手か下手かの判断はできるつもりである。それが掃除洗濯はもちろん勉強もできない車の運転さえできない私の唯一の芸であった。その私の目から見てこのきれいな女性の恥ずかし気な流し目は最も下手くそな演技の眼である。

 学校に戻ってから皆にあの三人の女性は我々を誘惑して入社させようとする企みに臨時に雇われたものである。企みに乗ってはいけない。と説いたが私の説は皆に黙殺された。あのニコニコ顔のヒトは、わたしには一遍も勧誘の電話を掛けなかったが五人の中の一人を熱心に勧誘しとうとう彼はその会社に入社することになった。後で聞くと確かに三人の女性はいなかったようで、研究所には所長付きのもう五十歳は越えたであろう黒い服を着た仕事の速い秘書以外に女性はいないとのことである。

 彼がこの会社のあざとい作戦に乗せられ三人の女性にたぶらかされて入社したとは断言できない。多分関係なかったであろう。しかしこの会社はこんなことまでしてヒトを獲ろうとする会社である。

 

 五十を二つ三つ越えたころ、彼と会う機会があった。彼の熱心に喋る専門の話は何も分からなかったが、毎日上司に詰められるのが大変であるとの話は元気のない彼の顔から多分事実であっただろう。当時パワハラというコトバはなかったが詰められるとは今の言葉ではパワハラであろう。彼とはその後も年賀状のやり取りはしていたが、わたしが五十五になった年に、奥様から彼が亡くなったとのはがきを頂いた。十一月の末か十二月のはじめだかの木枯らしの風の吹くもう暗くなったころにわたしはそのはがきを読んだ。


色好みの構造(中村真一郎著 岩波新書1985年)②

2023-10-14 18:43:49 | 日記

色好みの構造(中村真一郎著 岩波新書1985年)②

 貴族と女房との歌の応酬は、その後の日本の文化に決定的な影響を与えたと考えられる。現代に生きるヒトが虫の音や雪や月を聞いて見てどう感じるかは、言葉には表せないけれど無意識のうちにこの膨大な数の恋歌の影響によるところが大きいように思う。(どうも外国のヒトは月を見て雪を見て虫の音を聞いて感じるところが私たちとはかなり違うようである。)ごくごく小さいうちから日本文化の中で育つと日本人になる、その日本文化を作ったのは貴族と女房との歌の応酬であったと、わたしは考えるのではなくてそう感じる。(この本にはそこまでは書いていない)

 最近日本人が少なくなったからカネを払うから頼むから人口を増やせと総理大臣までもが言う。たとえ生まれても育てる特に母親や社会全体の中に日本人の感性を持つものが居なければ日本人は育たない。いや日本国籍を持つものが居ればそれでいいというは、数合わせ昔の日本陸軍のよくやった員数あわせであって、そうなってはもう折角の日本が日本でなくなる。日本文化を体の中に持たないと日本人でなくなる。その日本人の感性は男性貴族と女房達との歌の応酬さらにそのもとは「色好み」であったとこの本に書いてはいないけど、そうであっただろうとわたしは想像する。

 

 しかし、色好みは日本人の感性を育てる歌を遺しただけで完全に滅んでしまった。とまではこの本には書いてないけど多分なくなって、社会の変化に従って光源氏のようななまたは和泉式部のようなふるまいをする人は完全に居なくなった。

 普通一つの体制が滅んで次の支配者が入るときはその生活様式は次の体制の者が受け継ぐ。明治維新の際の新政府の役人は、江戸の旗本の生活の真似をしたという。フランス革命時のブルジョア階級の人々は王室の生活の真似をしたくてなったんだから、王室ご用達の服屋で服を誂え、王室と同じような食事をしたという。平安時代の次の支配者はどうもそうではなかったようで、色好みの道を棄ててしまった。あれはいけない趣味だとでもいうように歌を詠んでいた源実朝は暗殺されてしまった。 

 普通、文化は支配階級が作って被支配階級の方に流れるものだが「色好み」だけはこの時に息の根が止まってしまい被支配階級に(現在にまで残る自然への感性を除いて)何も残さなかったとみられる。その後入ってきたキリスト教文化によって「色好み」の文化が完膚なきまでに壊されてしまったのははなはだ残念である。

 なお、庶民の健全な恋愛劇であるお初徳兵衛やロメオとジュリエットがもてはやされたのは「色好み」の文化を失って右往左往していた支配階級に被支配階級の文化が流れ込んだ稀有な例であると思う。野球やサッカーやゴルフや茶道も結構な文化であるが、「色好み」の文化も是非復活してもらいたい文化である。(そうなる見込みはないけど)


色好みの構造(中村真一郎著 岩波新書1985年)

2023-10-09 21:57:14 | 日記

色好みの構造(中村真一郎著 岩波新書1985年)

 著者の該博な古典の知識に驚くが、なにより文章が明快で読んですらすら分かることに驚く。わたしは古典に興味があるのではなく「色好み」に大変興味があって古本屋で110円で購入した。目標とした「色好み」に関する知見が進んだわけではなく、あまり興味のなかった日本の古典に興味が湧いたわけでもないが文化や人間に関する理解が画期的に進んだ気がする。

この本で大きく取り上げられている源氏物語は昔高校の古典の教科書に少し載ってるところを読むだけでも大変であった。しかも中身があほらしい何の参考にもならぬ。(源氏物語は現代の週刊文春ちょっと前のフォーカスをはじめとする写真週刊誌みたいなもので)こんなもの辞書引きながら読むのは、人生時間の無駄使いと思っていた。教師というのは生徒に人生の無駄を強要してテンとして恥じぬような馬鹿者の集まりだとまあ今でも半分は思っている。しかしその経験がなければこの本は読んでも分からなかっただろうから古語辞典を引きながら読んだことも多少は役に立ったとすべきか。

 

いま、必要あってディジタル通貨の本(ポストコロナの米中覇権とディジタル人民元 遠藤誉 白井一成(実業之日本社) の白井さんの方のことですが)を読んでいるがこの著者は絶対読者の顔を思い浮かべて書いていない人である。読者を置き去りにして自分の知識を見せつけるように書く。これでは、ほとんどの読者は読むのを諦めざるを得ない。しかし、中村真一郎は違う。読者をわたしのように高校の時に源氏を部分的に教科書に採録されている部分を少しだけ読んだだけの知識ある者と想定し、かつスケベー心でこの本を手に取ったことをお見通しで読者の顔を想像しながら書いておられる。書きたいように書いているのではない、あんたはこう思ってるでしょうがすこし違う。という内容を事細かに分かりやすい言葉で書いていく。例えばこんな風に続いていく。(  )内は読者即ちわたくしの言葉である。

色好みは紳士のたしなみ教養である。(おおそれは良いこと聞いた、それなくしては人生詰まらんもんな。)

しかしシツコク付きまとうとかはいけない。(そのくらいのことなら心得るで。)

どんな人にも一応口説かねばならない。(ちょっと嫌やな、自分の好みもある。)

口説きの歌が芸術的でないといけない。(歌の勉強もいいけど、自分も貴族であるから国際情勢とかの勉強もしないといけないし、なにより同僚貴族との権力闘争が大変なのにそんなことばっかりしていていいのか。)

思うに、平和な時代であって平安貴族は国際情勢の勉強は不要で女性にモテるかどうかが同僚との差をつけるポイントであったとみられる。さらにモテるかどうかがミメウルワシイかどうかより歌が上手いかどうかに依っていたのではないかと考えられる。歌が上手いと宮廷の女性に認められると出世がはやいのではないか。歌が上手い、恋愛の手腕がいいのはコミュニケーション力が高いことであるから出世させてやろうじゃないかという暗黙の同意が宮廷内にあったのかもしれない。そう言えば、学生時代女性を口説くのが上手かったのは概して会社の中で出世が早いという傾向は見て取れる。(今は女性も出世する時代だから、学生時代異性を口説くのが・・・・・・・とすべきことですが)

歌が上手いかどうかを教養ある女性が判定していたとはそのころは実に平和でいい時代だった気がする。永田町でも歌が上手いかどうか、歌によって異性にもてるかどうかで大臣を選ぶにしてはどうか。今の選び方とたいして変わらないような気がする。