本の感想

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断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑬ 出社拒否

2022-10-23 12:17:12 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑬ 出社拒否

 明治41年荷風さん20代後半のころフランスで出社拒否してしばらくしてやめてしまう。その時の日記に寝られない頭が痛い疲労困憊するという言葉が何度も何度も出てきます。しかしその合間に、音楽会やオペラを聞きに行き、お祭りに出かけたようです。しかも実際やめると決まってパリを離れるまでの1か月から2か月くらいの間美術館巡りをしてオペラ観劇をしています。はじめてこれを読んだとき、疲労困憊はそう書いておかないと後の世にこれを読んだ人が、勝手気ままな人と思ってはいけないから言い訳に書いておいたのだろうと思っていた。

 しかし、ほぼ全巻読んだ後でゆっくり考えてみれば、荷風さんは後の人が読むことを予想してというより是非読んでもらいたいと思って書いているが、自分をよく見せよう(悪く見せようというのも含めて)との気分の一切ない人で全部を正直に書いている。女のヒト(実名をあげて)の面相がいいの悪いのとか好きか嫌いかまで全部本心を書いてある。してみると、この疲労困憊も本当なんだろう。

 出社拒否や登校拒否する人に冷たい言葉が投げかけられるのをよく聞きます。怖い顔して「そんなことでやっていけると思ってるのか。」とか「世間はそんな甘いとこじゃないぞ。」とかもうありとあらゆる言葉が投げかけられているのを聞いたことがあります。それは「オレはこんなに苦労してるんだ、お前だけが逃れるなんて許さんぞ。」と暗に言ってることは明らかですが言われたほうは多分長い間言われたことを根に持つだろうと思います。

 この怖い顔をする人に荷風さんなら次のように日記に書くのではありますまいか。

「試みに貴下資産殆ど無きなか、うすき時給にて三、四年も働き給わんか。上司、同僚の罵詈雑言聞くに堪えざる中を、ただ口に糊するがため黙して働き給わらんか。しかる後になおこの言あるや余もその言葉信じるに足るものと認む。」私は、荷風さんに成り代わってこの嫌味の文章を考えたのですが書きながら思いました。怖い顔をした人に腹を立てるということはその人のことを気にしているからではないか。気にしなければそもそも日記そのものも書かないのではないか。

 実際の日記には、「やめると精神も追々に休まりゆく様なり。」とあります。仕事が荷風さんに与えたものは大きかったようです。

岩波文庫版の表紙には、荷風さんを評して「・・・・・この壮絶な個人主義者はいかに生き、いかに時代を見つづけたか。」と記されています。壮絶な個人主義者なら周りのことを一切気にしないから、頭痛や不眠や疲労困憊を訴えないと思います。周囲の反応を気に病んでいたので様々な病状がでたのではないか。私もはじめこのくらい強烈な個性を持って周囲を気にしなければどんなにいいだろうと思っておりました。そうなりたいと思っていました。しかし、実際は自分がどうみられているかを始終気にする気の小さい人ではなかったのかと疑問が残ります。

これは私の持論ですが、荷風さんは今でいう世間から注目を浴びる芸能人のような一面を持っていると思うのです。自分の醜聞そのものまでを売り物にするところもあります。世間から仲間からどう見られるかを気にしていたのではないかと推察するのです。その生涯は華やかではありますが、ひどく疲れるものではなかったかと疑問を持つのです。


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑫ 花柳界

2022-10-22 13:39:14 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑫ 花柳界

 荷風さんはしょっちゅう花柳界にその後銀座のカフェに出入りしていた。花柳界から妻をめとって弟から義絶されために家を追い出されるも同然になった。その妻とはすぐ離婚したのであるからこのころの心の傷は大きいと思うが日記は淡々と描いている。花柳界は私は行ったことが無いしこれからもいかないだろう。今あるのかどうかも知らない。しかし多分こういうことだろうと思う。

 古代の王様は当然軍隊を養った。しかし軍隊を維持し動かすのは大変物入りだし負けるとそのまま自分の国が亡びる。なにより軍事力を握っている司令官にクーデタをおこされる恐れがあるので心配で仕方ない。そこで軍隊はあまり大きくしないでおいて、他国や自国の政敵の間に間者をいれたくなる。それだけではまだ安心できないで、外国の王様を接待して気持ちよくさせておいて紛争を起こさせないようにするとか、自国の軍隊の司令官を接待しておいて反乱を起こさせないようにするとか、よく働いた間者にご褒美の接待をするとかしたくなる。そこで接待専門の部署をたちあげた。これは一国の軍隊に匹敵するくらい大事な部署である。(これをソフトパワーというのだそうです。)

 敦煌莫高窟には、あろうことか仏さんの前で楽士が音楽を奏で踊り子が踊りを披露している壁画があります。仏さんは瞑想の邪魔だとか、ええい汚らわしいとかおしゃっていないようです、仏さんでも接待を楽しんでいたのです。これは、私たちも日常を過ごしていくときに大いに参考にすべき壁画であると思います。どうも文化が日本に入るときに何もかも生真面目になりすぎているんじゃないか。

 さて時経て王様の国が滅んだとき、その専門部署に勤める主に女性たちは他に仕事ができないので大いに困った。ちょうど王様の料理人がおいしい料理を作る以外に仕事ができないのと同じです。新しい王様が風習の違うところからきている場合はお抱えにしてもらえない。仕方ないので料理人は街にレストランを開いてその地の料理の質を大幅に上げた。同じくその専門部署の女性たちは、街に接待をするお店をたちあげて接待の質をこれまた大幅に上げた。荷風さんのように自腹で来る人もいるでしょうが、商売の取引をなめらかにするために利用するのが普通と考えられます。

 したがって、花柳界に出入りすることやそこからお嫁さんを貰うことは、レストランに行っておいしいものを食べることと同じようにいけないことではない。しかし、世の御婦人方はそれは許せなかった。うちの宿六はあっちばっかり行く。そこであることないこと悪口を言い募って花柳界を差別したと考えられます。何しろ口はこっちの方が圧倒的に多いので悪口が全部事実として受け入れられてしまった。気の毒に、この世間の感情が蔓延しているときに荷風さん花柳界からお嫁さんを入れたものだから、実の弟から義絶されてしまうことになります。世間は多分弟さんに同情であったろうと想像されます。

 お話変わって、荷風さんの衣鉢を継ぐとわたしが思っている人に山本夏彦さんがいます。大変な毒舌家ですが荷風さんと同じく江戸情緒が大好きでフランス文学にも漢詩文にも造詣深いひとです。夏彦さんは銀座のホステスは芸者の成り代わったもんだと言ってるけどあれは違うもんだ、ホステスはなんの芸もできない、と手厳しく批評されています。芸者さんと銀座のカフェとホステスとは違うものなのかどうなのか知りませんが、多分荷風さんは芸ができるかどうかはあんまり評価の対象ではなかったのでしょう。何のこだわりもなく、人生の後半には銀座のカフェに足を運んでいます。

 なお山本夏彦さんの衣鉢を継ぐ人は残念ですがもう現れないでしょう。


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑪ 辞職

2022-10-21 13:42:55 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑪ 辞職

 断腸亭の前身の西遊日誌抄には明治41年2月15日に「ああ一日も早く銀行の関係を一掃し専念詩書に親しみたし。」とあって、同じような文はあちらこちらにあります。よほど早くにやめたかったようです。途中でニューヨークに転勤になるんですが、それは仕事に気が入らないことを伝え聞いたお父さんが裏から手を回して転勤させたそうで、荷風はそれを感謝していますが結局は、銀行をやめてしまいます。

 お話変わって、私はネットに載っている退職相談の熱心な読者です。資産いくら貯金いくら家族何人、ローンがどうなっている、会社で人間関係のトラブルで心病む。会社辞めてもやって行けるか。これにはフィナンシャルプランナーというひとが答えて大抵は、大丈夫です一日も早くおやめなさいあなたの健康が大事です、とアドバイスする。

 質問者は、アドバイスに感謝するコメントをしているがその通りにすると書いてあるものは無い。する気が無いとみる。質問者は誰かに自分の苦境を話してお辞めなさいと言ってほしいだけである。それを聞くことで心が楽になるのであると見えます。なぜそんなことが言えるか、辞めて何をしたいと一言もかいてないから実はやめる気が無いのだと私は推測するのです。

 荷風さんもやめたいとは言っているけど、辞めたいの声よりももっと大きな声で自分の詩文の世界に沈み込みたいと何度も言っています。辞めることが目的ではなく、詩文の世界に入ることが目的なんです。こういう人はわたしはこれから辞めるぞあんたどう思うかねというようなことを言わずに黙ってやめていくでしょう。現にそうなったようです。帳簿をつけそろばんをはじく生活が嫌だからやめたというよりも、そろばんよりはるかに大事なものがあると本人が感じていたのです。これが、今私の愛読するフィナンシャルプランナーに相談している悩みとの決定的な違いです。

 今の私どもは、なんて奴だ荷風は親の金あてにしてるんじゃないのかと思います。いかなる非難を浴びてでも、詩文の世界に浸りたかっただけであるようです。(決して詩文の世界で名をあげようとは思っていなかったようです。)親の顔を立てて銀行員やってるけど仕事をする気はないようです。個人主義とかわがままと非難されるでしょうが、おかげで今の私どもは戦前戦中戦後の人々がどんな気分で過ごしていたかを知ることができるのですから、いやいや銀行員をやるよりはずーと後の世に財産を残した人と評価していいのではないか。

 ところで明治からこの時代までは、なぜか詩文の志を立てる人がたくさんいた。のみならず終戦の玉音放送の原稿も堂々とした格調高い文体で書かれたもので、何もない時代だったと言うけれどものすごい詩文の人材はあの時代たくさん居たようです。私は、戦後日本の国力の源は漢詩文にありと進駐軍が観察して学校教育から漢詩文を取り除くようにしむけたのではないかと見ています。取り除きに成功して今若い人で詩文の志を立てる人が居なくなった。進駐軍に食生活を変えさせられたとかいういちゃもんを言ってる人が居るけれど、この漢詩文を失わされたということの方が弊害大きくないか。

 漢詩文を勉強すると、西洋の言葉をすらすらと勉強できるようになると荷風さんも言ってます。荷風さんはフランスでもアメリカでもたちどころに女のヒトと仲良くなってそれをもとに本を書いているんですから少なくとも三か国語を流ちょうに操っていたはずです。

 

 


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑩ 荷風の女性崇拝について

2022-10-19 13:51:55 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑩ 荷風の女性崇拝について

 日記には、自分の母親を母上と表現している。女中を連れてきて身の回りの世話をしてくれた程度のことしか書いてないけど、この人マザコンなのではないかと疑わせる。前身の西遊日誌稿の方だけど「…….余が母親の若き美しき面影を見て、驚きて眼ざめぬ。…………」とあります。素人が聞いてもマザコンと女性崇拝が同居しているナイーブな人柄が偲ばれます。これが、この時代そうして昭和50年代くらいまでは受けたようです。今の私たちは退屈だつまらないと感じることですが、これが人々を魅了したと考えられます。

 表現に女性蔑視なところが散見されるけど本当は崇拝しているのではないか。それが荷風だけではなくこの時代の普通の人々の風潮ではないか。それが、昭和50年台を境にしてなぜ消滅したのか。女性の社会進出が一つあります。それだけではなくこのころ、戦争前後に成人し就職した人が退職しだす頃です。この人々は我慢強いのはもちろんですが、自分達の命が明日は無いかもしれない、いや無いに違いないと一時的にせよ思わざるを得ない立場にあった人々です。

 大昔、中央アジアの戦乱に明け暮れる場所でマリア様信仰が始まったと聞き及びます。それが、キリスト教の中に取り込まれ西遷し、また仏教の中にも取り込まれて日本にまで伝わったそうですからなかなか強い力を持っていたようです。それは多分戦乱でもう命が無いという戦士が、いよいよのときこれから優しい女性のもとに赴いて抱かれるんだと信じないとやっていけないところから出てくる強い感情から出てくると想像されます。信仰は理屈ではなく強い感情だろうと思います。(同時に自分たちが庇護している自分たちの仲間の女性に対してはやや目下に見る感情もあったと想像されます。)

 このような事情で昭和50年代までの社会の中核に居た人々は、女性崇拝と女性をやや目下に見る感情を同時に持っていた。その人々が荷風さんの小説や日記を支持したのではないかと推論するのです。荷風さんの小説が古典としての価値しか持たなくなったというのはある意味結構な時代になったことではないかと思います。

 これを思いついたのは、ごく最近50年代初出の映画シェルブールの雨傘の主題歌を聞くことがあったからです。これを当時もそのあとも日本語の訳詞で様々な歌手が歌っていますが全部元の歌詞とは全く違うセリフになっています。だから気づかなかったので、もとはこうなっています。

 「…….私はあなたが私のそばに戻ってきて、私があなたを抱き寄せるまで何千年でも待ちます……」恋愛映画または反戦映画の体裁ですが、ヒトの心の奥底にはこういう思いもあるんだぞという表出になっていると考えられます。

 荷風さんの小説や日記にも、その表出があってそこに人々が引き寄せられたのだと想像します。

 


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑨墨東奇談について

2022-10-18 14:08:19 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑨墨東奇談について

断腸亭日乗や荷風さんの研究書は読むんですが、小説は実は墨東奇談しか読んだことが無いのです。

むかし面白い本が無いかと詳しい人に尋ねると墨東奇談がいいと言う。墨国とは多分メキシコのことだろう、多分メキシコの珍しい話を集めた本で「聊斎志異」のメキシコ版に違いないこれはきっと面白いに相違ないと大喜びで買って読み始めるとこれが私にとっては退屈極まりない話だった。しかしうっかり古本でなく新刊を買ったので700円が勿体ないので何とか読み通したけど途中何度も放り出しそうになった。

墨東奇談は劇中劇の構成をとっている。劇中劇は映画でなら作りやすいし観客も見やすい。むかし「フランス軍中尉の女」という映画があってこの構成で作られていた。多分フランスにはこういう小説が多いと想像される。これを小説で書くには、場面転換のところが大変難しいでしょうから並々ならぬ筆力がいるだろう。多分この本が名作との評価はこの場面転換のところが評価されていると思う。ここを楽しめる人には、今でもこれは名作として評価するでしょう。しかし、遺憾ながらその中身は今の人には退屈じゃないのかな。

男女の細やかな心境(の描写)は昭和初期大正末期には、あこがれの的であったと推察される。昭和50年前半くらいまではその気風は残っていた。そんな映画が大量につくられていた。昭和50年後半くらいから世界中でもそんな映画が減ってきだしたように見受けられる。人々の気風がこのころ変わった。このころ女性の社会進出が叫ばれるようになって、優秀な労働力を必要としていた政府がこれ幸いと女性も終身雇用に組み込もうとした。それは社会の制度が変化しただけなのに、社会全体に漂っていた女性崇拝の念を駆逐してしまったように見える。両者は関係ないように見えてどこかでつながっているんだろう。因果関係を解説できないけれど関係ありと見える。崇拝の念のなくなった今荷風の小説を読むと退屈する。

荷風は、女性蔑視の表現をあちこちでとっている。大正七年正月二日冒頭の部分に、「先考の忌日なればさすがに賤妓と戯る心も出でず……」(A)なんて書いてある。もうこれで現代のすべての女性読者を失ってしまう。男性読者の半分も失ってしまう。文筆をお商売にするという意味なら大失敗である。しかしこう考えます。蔑視は当時の時代背景であって荷風もそれに従っていた、そう発言することが当時の社会では「お作法」だったんではないか。

そんなお作法に従いながらも、墨東奇談もそうだが断腸亭日乗の基底に流れるのは、女性崇拝であるように見える。アンビバレンツとかそんな難しいお話ではなく本質的に崇拝しており、当時の世間の約束事に従って蔑視発言があったのではないかと想像します。それは、自分の住む家に「無用庵」と名付けたり、自分の号を「荷風散人」と付けたりする気分とおなじではないか。そんな名前をつけて本当にそう思っている人はイナイのが当然で、「おれはほんとーは凄いんだぜ」と言い募っているようなもんです。それと似ていて(A)は、きょうは尊敬する父親の忌日なので、きれいな芸妓さんとこへ遊びに行くことは遠慮した、と素直に読み直すべきところでしょう。