断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑬ 出社拒否
明治41年荷風さん20代後半のころフランスで出社拒否してしばらくしてやめてしまう。その時の日記に寝られない頭が痛い疲労困憊するという言葉が何度も何度も出てきます。しかしその合間に、音楽会やオペラを聞きに行き、お祭りに出かけたようです。しかも実際やめると決まってパリを離れるまでの1か月から2か月くらいの間美術館巡りをしてオペラ観劇をしています。はじめてこれを読んだとき、疲労困憊はそう書いておかないと後の世にこれを読んだ人が、勝手気ままな人と思ってはいけないから言い訳に書いておいたのだろうと思っていた。
しかし、ほぼ全巻読んだ後でゆっくり考えてみれば、荷風さんは後の人が読むことを予想してというより是非読んでもらいたいと思って書いているが、自分をよく見せよう(悪く見せようというのも含めて)との気分の一切ない人で全部を正直に書いている。女のヒト(実名をあげて)の面相がいいの悪いのとか好きか嫌いかまで全部本心を書いてある。してみると、この疲労困憊も本当なんだろう。
出社拒否や登校拒否する人に冷たい言葉が投げかけられるのをよく聞きます。怖い顔して「そんなことでやっていけると思ってるのか。」とか「世間はそんな甘いとこじゃないぞ。」とかもうありとあらゆる言葉が投げかけられているのを聞いたことがあります。それは「オレはこんなに苦労してるんだ、お前だけが逃れるなんて許さんぞ。」と暗に言ってることは明らかですが言われたほうは多分長い間言われたことを根に持つだろうと思います。
この怖い顔をする人に荷風さんなら次のように日記に書くのではありますまいか。
「試みに貴下資産殆ど無きなか、うすき時給にて三、四年も働き給わんか。上司、同僚の罵詈雑言聞くに堪えざる中を、ただ口に糊するがため黙して働き給わらんか。しかる後になおこの言あるや余もその言葉信じるに足るものと認む。」私は、荷風さんに成り代わってこの嫌味の文章を考えたのですが書きながら思いました。怖い顔をした人に腹を立てるということはその人のことを気にしているからではないか。気にしなければそもそも日記そのものも書かないのではないか。
実際の日記には、「やめると精神も追々に休まりゆく様なり。」とあります。仕事が荷風さんに与えたものは大きかったようです。
岩波文庫版の表紙には、荷風さんを評して「・・・・・この壮絶な個人主義者はいかに生き、いかに時代を見つづけたか。」と記されています。壮絶な個人主義者なら周りのことを一切気にしないから、頭痛や不眠や疲労困憊を訴えないと思います。周囲の反応を気に病んでいたので様々な病状がでたのではないか。私もはじめこのくらい強烈な個性を持って周囲を気にしなければどんなにいいだろうと思っておりました。そうなりたいと思っていました。しかし、実際は自分がどうみられているかを始終気にする気の小さい人ではなかったのかと疑問が残ります。
これは私の持論ですが、荷風さんは今でいう世間から注目を浴びる芸能人のような一面を持っていると思うのです。自分の醜聞そのものまでを売り物にするところもあります。世間から仲間からどう見られるかを気にしていたのではないかと推察するのです。その生涯は華やかではありますが、ひどく疲れるものではなかったかと疑問を持つのです。