断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑦ 案外2人は似ているのか
戦後家に関して不遇であちこち転々としたとき、ラジヲの音がうるさくてたまらんとあちこちに記載がある。噂では三島由紀夫は音に敏感で書斎は特に音がしないように設計したと聞きます。お二人は遠いか近いかは知らないのですが、血縁にあると聞いたことがあります。
そういえば、能や歌舞伎を好んだこと、漢詩文に巧みであったか造詣が深かったこと、自分の紡いだ美のなかに住み続けたこと、何より親に言われたからかどうか大学卒業後数年間は会社勤めをしたこと。(荷風は横浜正銀少し前の東京銀行、三島は大蔵省)似ているところを探せばいくらでも出てくる。
似ていないところはもちろん、一方は軍人政府を詩的な皮肉で繰り返し繰り返しダメ出しをし(私はこの皮肉がこの日記の中で一番塩味の効いたおいしいところだと感じています。)、一方は軍人を賛美する団体を自ら作ったところにあります。しかし、ご両者ともスポットライトを浴びていたいとする強い願望による行為だとみると同じじゃないでしょうか。必ずしも自分の作品がではなく、自分の人生そのものがです。荷風さんは作品(日記)にはしたけれど、作り物ではなく自分の人生そのものを練りこむようにして書いてあります。
そこで、想像するのですがお二人とも小中学校のころに軟弱であるとしていじめにあったのではないか。いじめにあうと、すべてのクラスメートから自ら進んで浮き上がった存在になることで身を守ろうとします。これを「不思議ちゃんになる」と言うようです。荷風さんの奇人変人というのはこの浮き上がろうとする努力が癖になってずーと続いたのではなかったかと思うところがあります。それで腹いせにむかしいじめた奴が多くいる軍人政府の悪口を書き続けた。生まれつきの奇人変人ではなくそのように振る舞うことが自分を守ることだった、いつのまにかそれがトレードマークになったので変えるわけにもいかずマークを付け続けたのではないでしょうか。
一方の三島さんは、みずから進んでいじめた側に同化する努力をした。その努力が行き過ぎた。ホームランでいいところ場外大ホームランにしてしまった、そんな気がするのです。いじめは軍隊にかぎらず人の出入りが自由でない社会構造の下ではよく見られる事象で、なぜ発生するかの研究には役立たないかもしれないが、いじめられた側がどういう反応をするかの研究にこの日記が役立たないかと思うところがあります。