本の感想

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習近平が狙う「米一極から多極化へ」(ビジネス社 遠藤誉著)③多極化の意味

2023-08-26 15:16:39 | 日記

習近平が狙う「米一極から多極化へ」(ビジネス社 遠藤誉著)③多極化の意味

 アメリカ一極が終わることを、23年3月に起こった中東の石油取引を人民元でもできるようになったことが象徴していると説いている。これは世界史の教科書に載るほどの世の中をひっくり返すほどの大事件なのに新聞は小さく扱うし、あの朝から晩までワーワー流している経済番組でもお昼のワイドショーでもあんまり触れていないのは不思議なことだ、とは私の意見でこの本にはそこまで書いていない。

 石油取引に使われていたドル(各国の準備通貨として各国間でやり取りされていた)がアメリカに帰ってくるのだから、大インフレになりそうと思っていたら果たしてそうなったようである。これを高金利にすることで防ごうというのは果たして効果あるんだろうか。日本円は米ドル裏付けのおカネだとばかり思っていたがアメリカがインフレなのに日本がそのくらい大きなインフレでないのが不思議なことである。アメリカでも貯金を取り崩して生活する人はいるだろう。その人々がこのインフレ下どうなさっているのだろう。

 アメリカは、すでに一極集中の極の座を降りたと見られる。昔は横綱がなく大関までであって、大関は陥落することがあっても不思議なことではない。また盛り返すかもしれないしそのまま年寄り襲名するかもしれない。それからアメリカはもうドルの増刷ができにくくなっているからこれからは財政出動ができにくくなるはずである。これからはブリックス共通通貨をつくるらしい。ただその新通貨の裏付けが何であるのかまでは書いていなかった。

 ニクソンショック以降キンの裏付けを失ったドルが増刷されるので経済が大発展大拡張を遂げた。いいことのように思うけど、やたら忙しくなっただけであるような気がする。ニクソンショック以前の日本は、それはそれで別の問題山積であったとは思うが、ゆったりとした時間が流れていてそれでも高度経済成長であった。毎日五時には大抵のヒトは仕事を終えていた。残業というのは特別の日にすることであった。仕事が原因の心の病というのはあるにはあったでしょうが、今のように人口に膾炙していなかった。ブラックとかパワハラとかの言葉はなかった。あの時代の写真をみれば、人々は素朴な笑顔であった、今の様なひきつった笑顔ではない。おカネを増刷するかどうかは、人々の笑顔に直結する。

 もしブリックスが発行する新通貨が、いくらでも増刷するものでなければ(すなわちキンとか他の実物資産を裏付けにするものならば)経済の発展は昔のように緩やかになり我々は自分の時間を取り戻せるようになるかもしれない。本は自分のことに引き付けて読まないと面白くも何ともない。わたしは、世界はこれから多極化という部分を読みながらうまく行けばのんびりした時代が戻ってくるのかもと思ってにんまりした。

 忙しいとは心が亡びるという字にした人は、フロイトもユングも足元に及ばないくらいの天才だと思っている。もう心の亡びる時代は終わりにしたいとつくづく思う。ちょっと前、忙しいことは良いことだ、私はあなたより忙しいからあなたより立派であると言ってマウントとられたことがあった。つくづくこの人はあほかと思ったことがあった。フランス人は今でも「忙しい」と言ってる人を気の毒な人と見るらしい。


習近平が狙う「米一極から多極化へ」(ビジネス社 遠藤誉著)②荀子

2023-08-23 11:04:29 | 日記

習近平が狙う「米一極から多極化へ」(ビジネス社 遠藤誉著)②荀子

習主席は荀子を愛読しているという。荀子とは、性悪説の思想家で「出藍の誉」が一番有名な警句だろう。中国古典名言辞典にはかなりたくさんの句が採用されている。

 私は性悪というのは、自分の周囲にいる多くの嫌がらせをしたりマウントをとったりする人間のことだとずーと今まで思ってきた。そんな人は周囲に今も昔も私の周りに一杯いる。荀子は、そういう人間に対してこう対応すればいいと教えてくれる人だと思っていた。しかし、どうも性悪はそういう身近に居るはなはだ迷惑な根性悪の人をいうのではないようである。

欲望を持っていることがいけないことで努力して乗り越えていかねばいけないとする説らしい。うまいものを食いたいとか温かくまたは涼しい家に住みたいとかをいけないこととされると些か淋しいが、根性悪のヒトが努力して根性悪を出さないようにしてくれるのならそれはそれでいいことかもしれない。いま改めて荀子を読むともちろん老荘とは大違いであるが、孔孟とあんまり変わらないように見える。お釈迦さんの様な何が何でも欲望を棄てよとはどこにも書いていないようで安心して座右の銘として使えそうな文言が並んでいる。

 さてこの本によると、荀子の「兵不血刃」というコトバが重要とのことである。兵は刃に血を塗らずに攻めとるの意味で孫子の「戦わずして勝つ」と同じと言っている。わたしは少し違うと思う。荀子の「兵不血刃」は戦はおこすが血は流さないの意味で、水攻め兵糧攻めの様なのを想定しているのではないかと想像される。一方孫子の「戦わずして勝つ」はもっと広い意味でそもそも戦そのものを起こさないで宴会を開いて談笑のうちに敵を打ち負かしたり、漁夫の利を得るように策をめぐらす意味だと思う。

 この本の帯にはこのままでは(台湾有事の際に)日本が危ないと書かれているが、本の中身は「兵不血刃」だから戦はないのではないかと主張しているように見える。その根拠に台湾にある半導体工場を戦火にさらすようなことはしないだろうと筆者は言っている。帯に書いてあることと本の中身が少々異なることはしばしばあることで、お見合いの釣書と本人が少々異なることと同じことである。

 わたしは半導体工場に付け加えて中国は絶対に台湾に戦火を加えたりしない根拠に故宮博物館があることを付けくわえる。あれだけの宝物を戦火にさらすと後で世界中から何言われるか知れたもんでない。第一自分の宝物に戦火をさらすはずがない。あのアメリカでさえ、先の大戦で奈良京都の空爆はやらなかった。ドイツ軍はパリを破壊しなかった。きっと宴会を開いて談笑のうちに勝負をつけようとしていると希望的観測をしている。

 ついでに思うことであるが、どうも東京は戦火を防ぐための美術品に弱いところがありそうである。これは日本の歴代統治者が感心にもあんまり贅沢をしなかったせいだと思う。自衛隊の予算の一万分の一でいいから大きな例えば歌麿や北斎美術館をたてて展示の仕方を工夫すると防衛にもなると思うがどうか。


ブラック企業撲滅私案

2023-08-20 12:32:23 | 日記

ブラック企業撲滅私案

 いまブラックと言われている会社組織を観察するに大抵は大企業に厳しい競争を挑まれてなりふり構わずブラックになっているのが多い。中には、大企業でありながらさらに大儲けしようとやりすぎて新聞のネタになってしまったのもある。病院の院長や学校の校長がブラックになるのは、儲けようとしての話ではなく周囲にそんな会社が多いので単に真似しているだけであって、それは自分たちは組織運営の素人であるということを示しているに過ぎない。

 優秀な医者や教師を今までの功績に報いようと院長や校長にするのはよした方がいい。遺憾ながら長嶋選手が名監督であったというヒトは少なかろう。だからと言って素人にその才ある人を監督にもできないからここは難しいところである。

さて今回は、ブラックな会社だけに限っての話である。むかし紀伊国屋文左衛門は、紀州(和歌山県は今でも木材が良く育つ)木の国から木材を江戸に運んで財を成したという。しかしお金の使い道を知らないので𠮷原を三度にわたって借り上げたらしい。一回千両という。他のお客には迷惑な話で世間に話題を提供するだけで文左衛門自身もあんまり楽しいことではなかろう。このようにお金儲けをしても実はあんまり楽しいことはないのである。

 ところでわたしは経験がないので知らないが、知る人から聞いた話ではお金儲けはうまく行けば中毒になるほど楽しいことなんだそうである。お金儲けのうまい人がお金持ちになっても他に楽しみがないので、さらにお金儲けにまい進する。それではその周囲には防衛上ブラックにならざるを得ない企業が雲霞のように発生する。それが今の日本の社会の構造である。

 そこで提案であるが、年収何億とある人に「ウンこれは金儲けより楽しい。」と唸らせるような楽しみを提案して実際に提供するのである。ヒトは案外自分は何をすると楽しいかを知らないものである。ディズニーやUSJの企画担当の人々が一年や二年出張してもいいだろう。金持ちの楽しみに知恵を絞ってほしい。我々はあまりにも大衆向けの楽しみを提供することのみに心を奪われすぎてきたのではないのか。

 金持ちがほどほどのところで働くのをやめると、無駄な競争がなくなりもう少し住みやすい世の中が出現すると考えられる。お金持ちにおカネは儲けて楽しいが使って楽しいものであることを教えないといけない。年収100万のヒトが300万にしようとして頑張るのはよいことである。しかしそれを相似に拡大して年収100億のヒトが300億にしようとすることは、周囲の共同体(の中の人間関係)を破壊する行為なのである。金持ちがそれ以上働くことは、その金持ちがよって立つ共同体を壊すことであるから自分で自分の座っている椅子の足を削るような行為である。

 新しい楽しみを与えるということの一番良いたとえは、赤ん坊が動き回ると危ないので新たなぬいぐるみを与えて少しの間でいいから動き回る範囲を小さくしたいそのような心持である。

 なお、開発された新しい楽しみは一般庶民にも決して無駄ではない。むかしフランスの王宮で開発された料理や衣装の技法を今我々は現代風にアレンジして享受している。自分たちには無縁かもしれないが自分たちの子孫はその楽しみを享受することになるだろう。


昔陸軍今総評の時代あった

2023-08-19 12:05:04 | 日記

昔陸軍今総評の時代あった

 忘れないうちに書きたい。昭和3,40年台だったと思うが「昔陸軍今総評」というコトバが流行っていた。多分昔は陸軍が横車を押し今は総評が押すとの意味だと思う。この時代は労働運動が盛んであった。ごく地味な中規模の病院の前に看護師(当時看護婦と呼んでいた)が大勢並んで歌を歌っている場面に遭遇したことがある。今と違って白衣が長いスカートにトレンチコートの様な上着であったので、威圧感は凄かった。

 私の父親は百人前後の会社の雇われ社長であったが、ある日中青い顔をして玄関から靴を持って入ってきたことがある。一番奥の部屋に布団を敷いて頭から布団を掛けて言うことは「家に居ないと言え。」であった。労働組合とのトラブルであったろう。その後トラブル解決の交渉人のようなヒトが我が家に何度も来てやっとまた父親は仕事に戻ったことがあった。

 当時カローシやブラック企業というコトバはなかった。(代わりに当時の私がそうであった高校生やローニンにかなりの被害があった。)総評が力を落とすにつれて会社がブラックになったことは見て取れる。

 当時スーパーマーケットは無くて街には玉子だけ鰹節だけ砂糖だけ豆腐だけを鬻ぐ小さな店が軒を連ねていた。その小さな店の子供は大きくなったら会社へ勤めるのが夢であった。その会社の労働者を守ったのは当時からやりすぎと評されていた総評であった。総評がなくなったのは返す返すも惜しいことである。どんなことでも力拮抗していて初めて治まる社会である。一方的にどちらかが勝つと碌なことがない。大相撲は両者拮抗して初めて客を呼べる見世物になる、横綱とやる気のないひょろっとした素人では誰も見に来ない。

 見ていると西洋のヒトは、忠誠心の持って行き場所が自分の所属する会社ではない。我が日本人は忠誠心を自分の所属する社稷に持って行く。ために陰ひなたなく働く。または退職後忠誠心の持って行き場を失い本人も周囲も困るようなことが起こる。日本の会社は日本人にこの性質あるを奇貨としてあまりにも阿漕なことをしすぎている。

 むかし元王朝は中国の文化に同化しようとしなかった。ために武力では優勢であっても穏やかに統治できなかったため歴代王朝の中でも極めて短命であった。統治される側の事情を汲み取り統治される側の文化を尊重する姿勢を持てばもう少し長く持ったであろう。(例えば南宋の紙幣(会子)乱発による衰退と同じことを元自身もしている)日本の会社・組織は統治される側の事情を汲み取らなければ、元と同じくらい短命に終わりそうである。相手がタッテ行けるように相手にも十分な利をつかまさないと、商売というのは成り立たないものであるのに一方的に搾取するとついには搾取する相手が居なくなりますぞ。

 最近日本の企業経営者の収入が爆上がりしているという。自分の会社の寿命が短いを悟って儲けられるうちに儲けておこうという作戦か。プロ野球の選手の年俸が高いのは選手生命の短いからである。会社の経営者は自分の経営者人生の短いことを予想しておられるのか。

 最近のある不幸な事故の報道を見て上のことを思った。


習近平が狙う「米一極から多極化へ」(ビジネス社 遠藤誉著)

2023-08-17 23:58:19 | 日記

習近平が狙う「米一極から多極化へ」(ビジネス社 遠藤誉著)

 どこの国も開発途上のうちは、資金も人材も資源も必要な工業生産に有無を言わせず計画的に振り向けるために、高度経済成長する。これを開発独裁という。日本だってバブル前までは開発独裁で、消費するものにあまり選択の余地がなく生活が楽しいかどうかというと今より楽しくなかったような気がする。

 開発独裁の時代が終わると今度は、内需によって国を豊かにする必要があるので消費に選択の自由が許されるようになりついには「お客様は神様」という時代が始まる。日本を追いかけた韓国台湾香港シンガポールも同じように開発独裁をやりそのあと自由化したと聞いている。消費の選択の自由が許されるのは何もお国が人民を慈しんでというのではない、そのほうが国が発展するからである。

 しかし、さらにそのあとを追いかけた中国は開発独裁をやってもういいだろうというところまで来たのに、なにか事情があると見えて自由化しないでさらに開発独裁を続けているように見受けられる。人類史上初の実験ではないか。自由化しないなら内需が増えないのは道理だからデフレに苦しむことになって、ために中国景気悪しの報が最近は新聞を賑わしている。

 投資と言えば社会インフラへの投資でそれに力こぶを入れるものだから、聞くところによると中国の社会インフラはモノ凄い発展をしすでにすべてキャシュレス決済であるらしい。現金で支払おうとすると店員がそれが何であるかを理解できないで不思議なものを見たという顔をするという。あたかも弓の名人が弓なくして獲物をしとめるの術を会得したがために、ついには弓が何の道具であるかを忘れてしまう故事みたいなことが本当に起きているという。

 著者は以前の書「中国製造2025」では、中国に好意的な姿勢と思ったが今回の著書ではやや好意的を失った姿勢に見られる。なぜ感情が悪化したのかに興味があって読むことにした。さらには、なぜ開発独裁を続けるのかにも興味があるところである。

 むかしむかし隋や唐ができた時、わが国は大いに恐れて都を近江の国にまで移したという。それだけでは不安であるから唐の社会制度を熱心に取り入れようとした。ちょうど隣の村に火縄銃が導入されたら薙ぎ刀弓矢では負けそうだから火縄銃を導入しようというのと同じである。ならば、遠藤さんにはちょっと悪いのですが、これから中国が多極化の一つの極になることは確実であろうからいまから新遣唐使を派遣してその社会制度から文物に至るまで取入れる準備をするのが良くはないかという気持ちで読んでいる。

 

 いらざる思い出であるが、むかし天満宮に参拝していると、観光バスから沢山の中国人観光客が観光に降り立つのを見たことがある。道真さんは遣唐使を廃止した人であるから、この大勢の観光客をどういう思いで見ていたのかと思うと苦笑を禁じ得ない。やはり行くならここは唐招提寺とか戒壇院であろう。(鑑真和尚像はいつも公開というわけにはいかないのかもしれないが)