本の感想

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密教と呪術が動かした日本史(武光誠著 リイド文庫 平成19年初版)②

2024-06-30 12:23:43 | 日記

密教と呪術が動かした日本史(武光誠著 リイド文庫 平成19年初版)②

講談本が平安時代を取り上げること少ないので、この時代について普通のヒトは知ることが少ない。この本を読んでなぜ講談本が取り上げないかが分かった。呪いとか加持祈祷が真面目に取り上げられていたから、現代人には「自分のことに引き付けて読む」ことがやりにくいのだと思う。自分と同じような感性を持っている人が出てこないと、読んで面白くないし第一自分の人生の何かの参考にならない。(面白いとは、自分のトクになるかもしれないときに湧いて出る感情だろう。)

それに加えてこの時代の権力闘争の様子が分かりづらい。なぜ分かりづらいのかを次のように考えてみた。私は、アメリカ風の強いもの正義の味方は最後には勝利するという単純なイディオロギーに頭がいかれてしまっているために、この単純なお話に落とし込めないような物語を理解する能力が退化してしまったのが原因である。正義も悪もない、強い弱いもコロコロ移り変わる平安時代を理解することは無理のようである。

この本で初めて平安の権力闘争の一斑を垣間見て面白いと感じた。大きな戦力を集めることができにくくて暴力による戦いがやりにくかったのであろう、次のような作戦を取ったと考えられる。(一部に私の想像が混じる。)

  • 夜盗の親分に話を付けて敵方の屋敷を荒らしまわる。
  • 妖怪、物の怪の噂を街の中に触れて回り世の中に不安をまき散らす。
  • 自分の屋敷は、僧に頼んで加持祈祷してもらう。勿論夜盗の親分には自分とこにはこないように話を付けておく。
  • 天皇とこへ行って、自分とこは祈祷してもらったから安全でしたと言う。心配していた天皇は自分も祈祷を頼むという。

 このようにして天皇に食い込んでいった。賢い方法を思いついたもんだ。次に密教僧が権力をつかむのはこうしたのだそうである。菅原道真が雷神になって自分の敵対勢力を倒した後の頃である。

  • 高僧が修行中に倒れて13日間死後の世界をさまよったという。(この間飲まず食わずだから苦しかったと想像するが)
  • 生き返って道真は良いところに居て元気であるが、いじめた何某は何とか地獄でこんな目にあってるなどの話をする。

不安に駆られている世の人々は、これを信じてしまい僧に大金を払ってでも祈祷してもらったという。天皇の祈祷もするから権力に近づくことができる。賢いヒトにはかなわない。利用していたはずの藤原氏も今度は利用される側になったか。本来祈祷する側であったはずの天皇側も取り込んだのがポイントである。

 将棋でも野球でもルールがあってルールの範囲内で争うことになっている。もし私が自由にルールを決められるなら、「玉は単独で裸である。王は盤面上に置かない。王の側の持ち駒は無限である。」というルールを作ってもちろん王の方になるから、必勝間違いない。藤原氏も密教僧も戦いのルールを決める側についたので勝った。同じようなことが現代の永田町でやってるのではないのかな。

 近代的な頭脳ではわかりずらいのと、「スペクタクル」にならないのでこの時代の小説はないのであろう。しかし、少し前の大きな会社の中で行われていたであろう権力闘争は、暴力を使わない争いであったので織田信長以降の小説より平安の権力闘争の方が読んで役立つのではなかろうか。だれか書いてくれないかな。


密教と呪術が動かした日本史(武光誠著 リイド文庫 平成19年初版)

2024-06-23 17:21:48 | 日記

密教と呪術が動かした日本史(武光誠著 リイド文庫 平成19年初版)

 4,5年前は、ドイツから多くの観光客が高野山へ観光にお見えになった。最近ちらほらとドイツからまたお客さんが戻ってきている。想像するにドイツのテレビで高野山の特集をして大ヒットしたのではないかと思っている。ドイツは産業革命で他国に先を越されたので、せめて思想だけは勝とうとしたのか思想哲学に関しては先進国である。そのドイツのヒトが魅了されてはるばるやってくるのだから、密教と呪術に関しては知っておく必要があると思って読み始めた。密教が世界で残っているのは、チベットと高野山だけだという。チベットは足の便が悪いからどうしても見学するなら世界中で高野山しかなさそうである。

この本の冒頭 空海さんも若いころ修行したという「求聞持聡明法」の真言が紹介されている。(この真言は結構長いものでなかなか覚えきれない。)この真言を百万遍唱えるとどんなものでもすべて記憶することができる能力をもてるという。もし昔これを唱えておけば、大学入試の際には役立ったはずであるから惜しいことをした。首席合格首席卒業間違いなしである。百万遍は努力すれば何とか3年もあればできそうであるが、唱える場所や食べるものにまで独特なものがあるそうなので修行はあきらめざるを得ない。密教僧は、衆生救済のためにこのような修行をやるのだそうである。体力根性の要る修行である。

この本によると人々が呪術を信用しなくなるころ(多分室町時代のいずれかの時期だろうと想像されるが)僧兵の軍団を養ったという。多分傭兵に使ったのだろう。それまでは、呪術をいわば商売にしていたと想像される。京都で政争が起こるたびに儲かる。うまく勝つ方の依頼だけを受ける必要があるから時代を見る目は必要であったと推察される。良く儲かったと見えて運慶一派の出張所が高野山にあって、そこから美術品を購入している。(バチカンもそうだけど、どうやら成功した教団は美術品収集に向かうようである。)僧兵の軍団は比叡山でも養ったが比叡山の方は、荘園や琵琶湖の水運や京の金融に巨大な利権を持っていたために信長に焼き討ちされてしまった。高野山は利権が小さかったのと山の中まで軍隊を動かすのが大変なので、そんな目に会わずに済んだ。

この本を想像を逞しくして読むとここまで読めた。これから以降はわたしの想像だけど、島原の乱のあと高野山は大変であった。何しろ戦争がなくなったので僧兵の貸出先がなくなるし、人々は昔ほど呪術に興味がなくなった。そこで、高野聖という宣伝マンを日本中に派遣してお参りをすればどんなにいいことが起こるかをコマーシャルして、観光業として見事に復活した。旧国鉄がJRになって復活したということとは段違いの業態変化をして復活した。この案を出して実行した人は空海と同じくらい凄い人だと思う。歴史大河ドラマで主役にして放送してもらいたいものである。 

最近は、遠くドイツにまで宣伝して成功を収めている。


空海の風景(司馬遼太郎)

2024-06-17 23:23:13 | 日記

空海の風景(司馬遼太郎)

 多分司馬さんは、加持祈祷をする密教に反感をお持ちであったのではないか。どうも空海をあまり好意的に書いていない。義経や家康(覇王の家)も好意的でないが空海が一番お嫌いのようである。

私は小さいころから聖徳太子や空海、さらにはせめて菅原道真のように賢いヒトになるように親から言われ続けてきたが、そんな風にうまく物事が運ぶはずがなかった。(ついでに、道真のように雷になって恨みを晴らすのは良いことなのかとの疑問は小さい時から持っていた。)親の意向に逆らうようだが、これはとてもうまく行かないと思い始めたころに初めて司馬さんのこの小説を読んで、わが意を得た。なれないのではなく、なる必要がないと納得して肩の荷を下ろした。そういう意味では、私にとってアリガタくて私の人生のエポックメイキングな小説であった。これを今回読み直してみた。

まず超人的な文才はあるが、それを一番高く売れるように策をめぐらす人として描いている。(空海は決してお人好しではない。)今でも多少そういうところがあるかもしれないが、司馬さんのサラリーマンであった頃(戦後の昭和)の会社で出世しようとすると、自分の才能を常に表現しては駄目である。普段は才能があるように見せかけておくだけにして一番高く売れるタイミングでその力を売るという芸がいったのである。サラリーマンと言えども会社の中で出世しようとすると個人営業の才能もいるのである。(ナルタケ会社の言うとおりにおとなしくしていてそれで出世しようというヒトをよく見かけるがそれは下策である。まあ係長どまりである。)空海をその芸あるヒトとして描いている。世間をうまく泳いでいく俗物の要素ありとして描いている。(奇しくも司馬さんも文を売るサラリーマンであった。ひょっとして司馬さんも同じようなことしたんじゃなかろうか。)同じような場面は、空海が勝手に帰国して朝廷の怒りをかった時の処理の仕方にも表れている。空海を謹厳な宗教家としてではなく、上手な世間師として描いている。これがこの小説の画期的なところである。

私の親が、空海を世間師と見て「あのようになりなさい。」と言ったのならこれまた別の意味で私にはとてもなれなかったであろう。どっちにしても真似することはとてもできない人である。無理なことを我が子に要求するものではない。

さて、司馬さんの空海の描き方で説明不足を感じるのは後半の宗教王国を建設するところである。芸術と宗教に理解ある嵯峨天皇と友達のようになることで高野山に王国を開くことができたように書いてある。勿論それあるだろう。しかし、さらに一歩を進めてこんな風に考えてこう書くとさらに面白かったように思う。

平安初期はその後の時代と違って、呪うとかその呪いを封じるとかの力が権力闘争に用いられたと聞く。(暴力はもちいられること少なかったらしい。いまなら呪いに代えて文春砲を用いる。)空海は最新の呪いの技術を持った人である。味方に付ければいいけど敵につかれると厄介である。聞けば最澄も多少の密教の知識があるらしい。人柄の穏やかな最澄が比叡山にいるのは構わないが、どうも不気味な空海は遠く高野山にでも行ってもらわないと危険きわまりないと、嵯峨天皇は思ったのではないか。嵯峨天皇は近衛軍を比叡山において、なにするか分からない部隊を遠くに放りだそうとした。実際のところはどうだか知らないが、こんな風に描くとこの後の最澄と空海の仲たがいも何となく説明がつきそうである。

空海は最澄と仲たがいするところ人間臭さが出ていてホッとするエピソードである。決して悟りきった宗教家ではない。百点満点の立派な人ではない。ちょうど、課長部長と仲良く出世をしたのに、取締役になったとたんに嫌がらせをするようなものである。空海さんごく普通のヒトである。

 


空海展(奈良国立博物館)②

2024-06-15 23:18:19 | 日記

空海展(奈良国立博物館)②

 司馬遼太郎の小説「空海の風景」では、空海は好意を持って描かれていない。司馬さんは空海が好きではないように見える。若いころに書かれた三教指帰を読むと(私は全部読んだわけではないけど)衆生を救うために仏の教えを学ぶとの強い意志が感じられるが、実際にやったことは自分が王様になる宗教王国を開くことであったとの批判の小説と読むことができる。

 それはそうなってしまった、またはそうならざるを得ないことではないかと思う。〇〇(自動車でもスマホでも何でもいい)を世間に普及させたいと若いころは情熱を持っていたが、実際にやったことは自分が社長になる巨大企業を作ることであったという話はよくあることである。一代で巨大企業をたちあげる人は、多少の阿漕なこともせざるを得なかったであろう。空海はそういう人物に重ね合わせることができる。ただ後継者が上手かったのか、千年以上続く宗教王国になって栄えたところが今世間で栄えている巨大企業とは異なるところである。(もちろん創業者が創業する前は大変な芸術家であったところは大きな違いである。芸術家で宗教家かつ巨大企業の創業者というのは人類の歴史上まれなのではないか。)

 

 快慶作の孔雀明王の像を明るいところで見れたのは幸せなことだった。高野山の霊宝館で拝見したときは暗かった。(暗いとそれなりの有難さを感じるが)夜目遠目傘のうちの夜目に相当する。たいしたものでも無いのにいいように見えているんじゃなかろうかと心配していた。しかし今回明るいところで見ると孔雀の顔も明王の顔もその存在感に驚くばかりである。さらに象に載ってる明王ならバランスにさして注意しなくも作れると思うが、二本足のトリの上に載っている。よくこれで倒れないで殆ど1000年近く立っていられるものである。仏像は是非揺らめく明るい光の中で拝見したいものである。昔のヒトは、果たして暗いお堂の中で見たのだろうか。私は、揺れる明るい松明の光の中で朗々と唱えられるお経とともに見たと思う。そうすればそのヒトの無意識にあるものが意識化されることによって例えば悩みが解消されるとかの良いことが起こるのではないか。ヒトが時々芸術作品に触れたくなるのは、この無意識にあるものが意識の近くに上がってくることにあるのではないかと思っている。

 

私は小さいころ、親がどこで購入してきたか知らないが空海弘法大師のお守りというのを帽子に縫い付けて、この帽子をかぶって勉強せよと命じられたことがあった。あるとき、そのお守りの錦の袋を破いてみたところ、中は杉の木片に空海の像が焼き印されていたものであった。そんなことをしたせいか効果は何もなかった。なかったところをみると、時空を超えて他人の学習能力を高めるという世間で喧伝されているような特殊な能力は遺憾ながらこの人にはないに違いない。特殊な能力ありとするのは、単に宣伝である。しかし宣伝よろしきを得ないとあんな巨大な宗教王国が隆々と栄えるはずがないのである。

 

 

 

 


空海展(奈良国立博物館)

2024-06-06 21:45:38 | 日記

空海展(奈良国立博物館)

 高野山にある曼荼羅は、長いこと線香の煙にいぶされて真っ茶色で、あれでは何がかいてあるのかさっぱりでありがたさは感じるが知識が増えない。そこで私は折角高野山の麓に住んでいるのに電車を乗り継いで遠路はるばる江戸時代に描かれたというまだ煙にいぶされていない曼荼羅を拝見に出かけた。

 やっと分かった。例えるに会社に入る新入社員に会社の組織図を示して、社長はここ部長はここ課長はここと示し、貴君はこの一番ヘリにあるここにいると説明する図が一枚。さらに、貴君はこの順番に仕事をして出世するのである、上りは社長とする出世双六がもう一枚である。各曼陀羅の仏たちは繊細優美に描かれている。もちろん位が高くなるほど大きくて立派になる。おそらく新しい信者に自分が所属する集団の様子を図で説明するためのものであろう。弁の立つ口のうまいお坊さんが棒で示しながら新しい信者に説明するためのものではないか。加持祈祷の煙でいぶしては説明に使えなくなるではないか。それから、ヘリに近いところにある仏さんは若くて何となく艶めかしいように描いてある。これならこの艶めかしいのとはやくお近づきになりたいと修行の意欲もわこうというものである。(ただし遺憾ながら上位の仏さまからは艶めかしさは消えていく)

 

 むかし空海の三教指帰の一部を読んで、その地球が燃え尽きるという終末観をとんでもない美文(たぶんこれを四六駢儷体というのであろう)で書いてあるのに感心したことがある。(ついでにこの人うつ病を発症していたんだとわたしは思っている。あんな思想に取りつかれたら人生楽しくないようになってしまう。)今回も御請来目録の文章が示されていたが、大上段に振りかぶった畳みかけるような美文で、反論しようという意欲を失わしめるような文章である。こんな文章を書く人には友人ができないのではないかと他人事ながら心配する。この人の文才はもし現代にお生まれになったら持て余すことになるだろう。

 なにより感心するのは、誤字脱字なく長い文章を美しい字で書き連ねることである。余程の気力体力を長時間にわたり維持し続ける人だったと見られる。長い長い文章を、はじめからおわりまで同じ気合の文字で書き続ける、もうそれだけでこの人ただものでない。

 密教は、インド北西部の商業に従事する富裕な民の間で広まったという。中に書いてあることは今一つ分からないが、曼荼羅にも仏像にも空海さんのお書きになったお経にも「富裕にお願いします」とお祈りをしてきた。