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断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑩ 荷風の女性崇拝について

2022-10-19 13:51:55 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑩ 荷風の女性崇拝について

 日記には、自分の母親を母上と表現している。女中を連れてきて身の回りの世話をしてくれた程度のことしか書いてないけど、この人マザコンなのではないかと疑わせる。前身の西遊日誌稿の方だけど「…….余が母親の若き美しき面影を見て、驚きて眼ざめぬ。…………」とあります。素人が聞いてもマザコンと女性崇拝が同居しているナイーブな人柄が偲ばれます。これが、この時代そうして昭和50年代くらいまでは受けたようです。今の私たちは退屈だつまらないと感じることですが、これが人々を魅了したと考えられます。

 表現に女性蔑視なところが散見されるけど本当は崇拝しているのではないか。それが荷風だけではなくこの時代の普通の人々の風潮ではないか。それが、昭和50年台を境にしてなぜ消滅したのか。女性の社会進出が一つあります。それだけではなくこのころ、戦争前後に成人し就職した人が退職しだす頃です。この人々は我慢強いのはもちろんですが、自分達の命が明日は無いかもしれない、いや無いに違いないと一時的にせよ思わざるを得ない立場にあった人々です。

 大昔、中央アジアの戦乱に明け暮れる場所でマリア様信仰が始まったと聞き及びます。それが、キリスト教の中に取り込まれ西遷し、また仏教の中にも取り込まれて日本にまで伝わったそうですからなかなか強い力を持っていたようです。それは多分戦乱でもう命が無いという戦士が、いよいよのときこれから優しい女性のもとに赴いて抱かれるんだと信じないとやっていけないところから出てくる強い感情から出てくると想像されます。信仰は理屈ではなく強い感情だろうと思います。(同時に自分たちが庇護している自分たちの仲間の女性に対してはやや目下に見る感情もあったと想像されます。)

 このような事情で昭和50年代までの社会の中核に居た人々は、女性崇拝と女性をやや目下に見る感情を同時に持っていた。その人々が荷風さんの小説や日記を支持したのではないかと推論するのです。荷風さんの小説が古典としての価値しか持たなくなったというのはある意味結構な時代になったことではないかと思います。

 これを思いついたのは、ごく最近50年代初出の映画シェルブールの雨傘の主題歌を聞くことがあったからです。これを当時もそのあとも日本語の訳詞で様々な歌手が歌っていますが全部元の歌詞とは全く違うセリフになっています。だから気づかなかったので、もとはこうなっています。

 「…….私はあなたが私のそばに戻ってきて、私があなたを抱き寄せるまで何千年でも待ちます……」恋愛映画または反戦映画の体裁ですが、ヒトの心の奥底にはこういう思いもあるんだぞという表出になっていると考えられます。

 荷風さんの小説や日記にも、その表出があってそこに人々が引き寄せられたのだと想像します。