本の感想

本の感想など

昭和の思い出

2023-12-31 19:58:44 | 日記

昭和の思い出

 昭和30年台の終わるころだと思う。友人の家に遊びに行った。その家の裏にある埃だらけの納屋にあった古本の上に腰かけていると、友人のお父さんがいきなり入ってきて本に腰かけるなという。さらに続けて、そのそばにある戦前に作られた古い古い壊れかけの自転車の頑丈な荷台を指さして

「自分の父親は地方公務員をしていたが、給料の遅配欠配で食べるものがなくなったんだ。その時家にあるだけの本を風呂敷に包んでこの荷台に載せて、自分の父親はその自転車を押して本を売りに行った。その時自分は母親と手をつないでそこの家の前で父親を見送ったんだ。そのおカネで米を買ってようやくその晩をしのいだ。自分の父親はあまり趣味のないヒトであったが、唯一つ本を読むことだけが道楽であったのに気の毒だった。」

という。

 これがこの前、学校で担任が話していた昭和恐慌ということかと想像がついた。なぜ政府はおカネを刷って給料袋に入れなかったのか当時は不思議に思ったのと、同時にこのおとーさんは、いざというときに売りに行かねばならない本に腰かけると商品価値が下がるから(古本屋で高く売れないから)、それはやめてくれと言ってはるんやなと理解した。

 そのあとおカネを強制的に回すために戦争経済に持ち込んだんじゃないかと疑っている。理屈は後から何とでもつけるからとにかくおカネを回したいということではなかったのか。

 

  いきなり思い出したには訳がある。最近若い国家公務員たちがパパ活などをして懲戒処分を受け退職したとの記事を読んだためである。給料の遅配欠配は聞かないが、どうしてもこの若い国家公務員たち(女性であるという)と、くだんのおそらくは涙ながらに自転車を押したであろうあのおとーさんのおとーさん(私の友人のおじいさん)が重なって見えるのである。

 この国家公務員が、金殿玉楼に住み山海の珍味を食しその食後の腹ごなしにパパ活などをしたというのなら話は別であるが、そうではあるまい。おそらくは已むに已まれぬ事情があったであろう。しからば、現在は昭和恐慌に相当する時期なのか?自転車を押して本を売ったヒトはよくて、今度の公務員はなぜいけないとされたのか?衰微したお公家さんは、花札造りに精出し、同じころお武家は、傘張や植木づくりに精出したと仄聞する。まさか今衰微しているということではないでしょうな、と心配している。

 


ひとはいじめをやめられない(中野信子 小学館)再読①

2023-12-25 17:45:26 | 日記

ひとはいじめをやめられない(中野信子 小学館)再読①

 ずいぶん昔、東大教授で地球物理学者の竹内均さんのエッセイに、東大教授もいじめをすると書いてあったのを読んで仰天したことがあった。迂闊にも当時、賢い人はそういうことをしないと思い込んでいたからである。同様に、つい最近あるきれいな女性の集団で凄まじいいじめがあるという話が報道されて、また仰天した。再び迂闊にもきれいな女性はそういうことをしないと思い込んでいたからである。もちろん中国の史書に後宮の凄まじいいじめの記載があることは知っているが、なにしろ白髪三千丈のお国柄であるから針小棒大のお話と思っていた。しかし今回我が国のそれも現在こんなことが起こっていることから推量するに、きっと中国の史書は正確このうえないのであろう。史書に書かれていることは、実際おこったことであろう。

 (ついでにこのきれいな女性の集団を管理する人々が、テレビで実に頓珍漢な記者会見をして管理能力がないことを広く満天下に披露してしまった。親会社でいいとこまで出世して最後うまく行かなかったのでここへ天下りしたのであろうが、この程度の人が管理しているのであるからこの電鉄会社の株は遠からず値を下げると予想される。)

 

 旧日本軍の古参兵による新兵いじめがどのくらい凄まじかったかは、実際に経験した人から直接何度も聞く機会があった。(そのいじめの内容は、このきれいな女性の集団の中のいじめを彷彿させるものがある。)旧海軍の艦船の謎の自爆自沈とか、旧陸軍の火薬庫が謎の爆発事故を起こしたのはいずれもいじめが原因である可能性が高いだろう。(絶対に認めないだろう、認めれば組織が崩壊する。無かったことにするのであろう。いじめられて自爆した人の無念に思いを馳せるべきである。)旧ソ連崩壊の前にもソ連軍隊内のいじめが凄まじいとの報道がなされていた。アメリカもベトナム戦争終結の前後に映画「フルメタルジャケット」で軍隊内に深刻ないじめがあることを示して大センセーションをひきおこした。日本の学校内のいじめは昔からあってそれは長いこと無いものとされていたが、近頃急に報道されるようになった。さらには自衛隊内のいじめまで報道されるようになった。

 こう並べてみると、組織の負けるときまたは亡びるときそれまでは外部にないものとされていたいじめが、実はあったし現にあると報道されるのではないかと考えられる。(アメリカ軍は、ベトナム戦争終結時にそれまでの軍隊を解体して徹底的な作り替えをしたはずである。だからベトナム戦争時の軍隊は旧アメリカ軍と称すべきものである。)言葉を変えると、最近急にいじめがあると報道されるようになった組織は、負けるか倒れるかの前兆である。下請けいじめや出入りの業者いじめが報道され始めれば、その業界は覚悟せねばなるまい。

 学校では教師が同僚どうしいじめ合戦をやっているのに、口では「いじめはいけません」と言っている。児童生徒はその言うところを聞かず行うところまねるのである。児童生徒の眼は節穴に非ず、誰と誰は仲が悪い、誰は誰をいじめているかを全部見抜いているのである。さらに誰が辞めた原因は誰のいじめにあるかということまで見抜いている。教師はいじめの仕方を身をもって児童生徒に示しているようなものである。(ついでに生徒は誰が教頭に出世するかもよく判定できる。現に私は小学生のころすでにこれを的中させた。)

教師の時間外労働が多くて心の病をひきおこし休職が増えているとのグラフがよく報道される。時間外労働の多い職場は他にも一杯ある。それらがみな同じようなグラフになるのか。そうではあるまい。あれは、職員いじめ合戦の被害者の数が過半を占めているのである。文科省は実態を知っているはずである。知らないで役人が勤まるはずがない。知りながらとぼけて時間外労働のせいにしているのである。

このような問題意識をもってこの中野信子さんの本を再読することにした。


12/18付け産経新聞社説への補足

2023-12-21 11:58:51 | 日記

12/18付け産経新聞社説への補足

 ある小学校で起こった教師の児童に対する指導の大失敗を、社説では「なぜ懲戒処分しないのか」と問うている。普通の会社なら懲戒ものの失敗だというのであろう。尤もな意見であるがおそらく懲戒しないであろう。

 教育委員会とは、昔の軍隊が行き場を失ってできた組織である。(それが証拠に士官学校兵学校が今の教育系の主要な二つの大学に成り代わっている。かつ両者は今でも仲が悪いという噂がある。)軍隊はどんなに負けが込んで世間様に迷惑をかけても絶対謝らない。謝るときは自決するときだからである。今までの失敗もこれからの失敗もすべて有耶無耶にしてきたしこれからもそうする方針である。たまたま表に現れたからといって、ここで失敗を認めれば、これまでの方針と齟齬が発生する。「学校は絶対間違えない。」この看板を下ろすわけにはいかないのである。ひとたび間違いを認めたら、児童生徒の指導はできなくなると思っているし実際そうなるだろう。

 さらにいけないことに、教育委員会の偉い人も皆、昔それぞれ小さいながらも失敗をしてそれでも「学校は絶対間違えない。」の原理で、懲戒を免れてきた人々である。今回失敗を懲戒すると今度は自分で昔の自分を懲戒しないといけなくなる。昔泥棒を働いた裁判官が、目の前の泥棒を裁判できますか?

 絶対間違えない、従って謝らないの方針で組織運営してうまく行くはずがないのである。旧ソ連は天下の秀才を集めて全国の生産計画を練ったがうまく行かなかった。歴代中国の王朝も選りすぐりの秀才に国家運営を託したが、せいぜいが二百年三百年の命運でその盛りは数十年ではなかったか。教育委員会は気の毒にも間違いを認めることのできぬ機関である。今回の件でも認めぬであろう。ならば旧ソ連の様な、昔の中国の歴代王朝の様なことになるとみられる。

 学校にいちゃもんのある人々は、教育委員会に言っても有耶無耶にされるだけだから、多分負けるだろうと思うが民事訴訟を起こすがいい。それが千件、万件の単位になればさすがに変わらざるを得ないとみるがどうだろう。変わるときは日本の教育が大変化するときであるから、どんな受け皿にするのかが大問題であるが。


日本人は何も知らない(谷本真由美著 ワニブックス)第6章に対する反論と意見

2023-12-12 10:41:24 | 日記

日本人は何も知らない(谷本真由美著 ワニブックス)第6章に対する反論と意見

 この本の第6章にはイギリスの小学校が大変荒れていて日本は礼儀正しいと書いてある。イギリスが荒れているかどうかは知らないが、日本が礼儀正しいことはないから明らかにしておきたい。著者は日本の現状については何も調べないで書いている。さすがワニブックスである。あまりにも荒っぽい作り方をしている。

 日本の多くの学校では、ここに描かれているイギリスの学校の荒れ方(これが本当であるとして)の程度においてやや下程度の荒れ方をしている。従って教師の多くは教室のことをサファリパークと思っている。象やライオンが大声を張り上げているという意味である。あからさまにそう表現するものもいるし思うだけにとどめている者もいる。ナントかしないとと思う者もいるし諦めている者もいる。活字になってるとついつい本当のことと思う人がいてはいけないから特に注意を喚起したい。この本を買ったことは大失敗であった。一か所間違いがあるともうすべてが信用ならない。

 

 先ごろどこかの校長が生徒児童を動物扱いせよと言ったとして問題になったが、あれは普段からそう思っているのがつい口をついて出ただけである。教育委員会は指導しますと言っているが、教育委員会も実はそう思っているのである。きっと「今後は思っていることをそのまま口に出してはいけない。」という研修をこの校長にするのであろう。そんなこと考えてる組織は丸ごと倒れないといけない。大きな組織が善意のヒトだけで運営されているというおとぎ話を信じてはいけない。自分が善意のヒトであるからといって他の人まで善意のヒトであるということにはならない。

 ついでにこれが先生の間から問題とリークされたのは、校長が普段から職員にパワハラまがいのことを繰り返していたので仕返しをされたとみられる。閉鎖社会であるから今までは事なきを得てきたがこれからはそうはいかない。社会が変化するときは、まず今まで一番変化しなかった部分が一番大きく変化するのである。旧日本軍の教育機関がそのまま日本の教育界の中に潜り込んだようなところがある。生徒に競争を強いて、生涯競争の中に呻吟するようにしむけるのである。

オリンピックの選手になるよりも、オリンピックを運営して賄賂を手にするほうが楽しいのである。角兵衛獅子を踊るよりも角兵衛獅子の親方になる方が儲かるのである。部長だ課長だと競争するよりも株主になる方が楽なのである。この他人を競争させて自分は儲ける社会の構造が変わりつつあるのではないか。この教育の機能がもう社会的にいらないとされだしているのではないか。ほんの少しの変化だけどそのような気がする。

 

さらについでに、教室はサファリパークで職員室は職員どうしのいじめの場で行き場を失った教師が、授業に赴くまでのわずかな距離の間生徒にカウンセリングを受けていたという話がある。その生徒はわずか数秒十数秒の間だけだが教師の愚痴を聞いてあげたのである。このどっちが給料を貰いどっちが授業料を支払ってるのか分からないようなことが、今も日本中のあちこちで起こっているのである。どうか経団連の社長会長や政治家のセンセイは、日本に住む人の心がかなり病んでいることに注意してもらいたい。上がってくる数字以外のところにもっと注意を払わないと日本は再起不能になりますぞ。天災が起こってもヒトがしっかりしておれば再興できるが、ヒトが倒れるともう国はもたない。

 

 


映画ナポレオン②

2023-12-11 12:55:35 | 日記

映画ナポレオン②

 どうやって戦闘場面を撮影したのかばかりを考えていたので見落としてしまったが、ナポレオンを演じていたのは映画ジョーカーの主役ホアキン・フェニックスであった。ジョーカーは、殆ど主役の演技のみで成り立つような映画でおそらくは近未来の人類に対する強烈なメッセージを発していると考えられる。同じようなメッセージがこの映画ナポレオンにもあるんではないかと思うのだが、今のところ思い当たらない。この俳優はヒトの内面まで演じきれる凄い人だと思う、その内面に何らかのメッセージが含まれていると思うのであるがそれが分からない。

 これに限らずアートは、単にヒトの心を慰めるだけではいけない。慰めるのは芸能であってアートとは別ジャンルである。大相撲とプロレスが別物であるように両者は別物で互いの領域を犯してはいけない。(現に映画ジョーカーでは心が慰められるということは全くなかった。)どちらの方が値打ちがあるかということもない。ただ両者少し見ただけではよく似ているところがある。私は、この映画に主役から考えてアートを期待したがあるいは芸能であるのかもしれない。

 わたしはけちん坊なので、映画のクレジットまでも料金のうちと心得ている。これを見ないと損した気になる。ケータリング会社名が出るとさぞ旨いものを食べてるんだろうなとか、大量のドライバーの名前がでると荷物大変だろうなとか思う。それによるとこの映画に限らないが最近は制作現場に大勢のナースを配置するようである。デジタルエンジニアの数が少なくて代わりにナースの数が多いのであるから気の毒にどうやら命懸けの撮影のようである。

 いまいちメッセージを読み取ることができなかったが、これは受け手がそのメッセージとは問題とは無縁の立場にあるからであろう。何年も経ってからふと思いつくことがあるかもしれない。さしあたりはこの命懸けの映像に感激したということでいいのではないかと思っている。