小説 怖い厄年の話
もう今からニ、三十年も前の話である。その年数えで四十二歳の厄男である安原真は、職場の皆に厄払いの善哉を振る舞った。ちょうどその振る舞った日の夜、旧知の県立A高校の校長からこちらに転勤して腕を振るわないかというお誘いの電話があった。安原は、県立B高校に大学卒業以来二十年近く勤めている物理の教師である。県立B高校は何の困りごともない職場であったが、最近買い換えた家からひどく通勤時間がかかる。その点自宅近くのA高校は魅力的であった。
何度かの交渉ののち、安原は転勤を受け入れ残りの二十年ほどを県立A高校で過ごそうと決心するに至った。四月一日A高校に赴任した安原は、まず教員が皆異様に若いのにも関わらず疲れ切った顔をしていることに驚いた。事情を尋ねると、生徒が荒れている学校なので若いのを採用してもどんどん辞めていくという。転勤は失敗と思ったが、数年辛抱してまた別の学校へ転勤するからしばらくは我慢するつもりであった。ただ毎朝安原の弁当を作る安原の夫人は、早起きしなくて済むようになったのでずいぶん楽になった。
安原が赴任した年の五月の連休明けの頃である。生活指導主任の大岡が胃に穴が開く病気で急遽入院になった。学校では喫煙や盗難だけではない、暴力沙汰や違法薬物など多くの事件が起こるのでそれに対応する主任は大変な激務である。そこで、急遽生活指導主任を選挙する職員会議が催された。当時は学校の主任は職員間の互選で選ぶのが普通であった。およそ、学校の教師というのは組織運営に関して何の技能も能力も持たない者たちである。意欲さえないのである。生徒から学級委員を選挙で選ぶように、自分たちの主任を選挙で選ぼうというのである。
ここでさらに具合の悪いことに、次の生活指導主任の候補に碌なのがいなかったことが災いのタネになった。候補は、数か月前に生徒を説教中に突然怒り出して暴力事件を起こしたまだ二十代の教師でであった。生徒は大けがをしたが、校長が八方手を尽くして事件が顕在化するのを防いだ。七十人近くいる職員のなかでこの教師を支持するのはゴクわずかであった。大抵の職員は、今度来た安原は年齢もいいし風采もよかったので、安原に票を入れようという相談があちこちでなされていた。安原は迂闊にもそのことを知らなかった。
選挙では、一回でそれも大差をつけて安原が選出された。安原は自分は困難校の経験がないこと、また生活指導主任の経験もないことを理由に涙ながらの抗議をしたが、選挙規定では選挙結果について異議申し立てを許さないとの文言があったので抗議は聞いてもらえなかった。安原は、数日ののち辞表を提出した。次の日再び選挙があって今度は暴力沙汰を起こした若いのが主任に選出された。校長は次の物理の非常勤講師の依頼に忙殺されることになった。安原を勧誘した校長も、安原へ投票した多くの教員も自分は何も悪いことをしたとは思わないでまた平常の仕事に戻った。校長も、投票した教員も自分の善意を無にされたと密かに安原を恨む所さえあったようである。
それからの安原は実に気の毒であった。辞職とその理由を夫人に告げると、夫人は腹を立てて二人の子供を連れて実家に戻ってしまった。それから、数週間の間安原は家に一人で住んでいたようだが姿を消してしまった。家に食べるものは何も残っていなかったが、たぶん厄除けの際に配った残りであろう、数袋の善哉のパックが開封されないまま残されていたという話である。
なお、県立高校における主任選挙制度はこの事件から二十年ほどしてやっと廃止された。この選挙制度は、校長への権力集中を防ぐために戦後導入された制度であった。