本の感想

本の感想など

日本が売られる(堤未果 幻冬舎新書2018年)

2024-02-29 22:49:49 | 日記

日本が売られる(堤未果 幻冬舎新書2018年)

 10月5日に初版で11月10日に第六刷だからずいぶん読まれた。ローマ帝国は属領から税を取り代わりにローマの文化を属領に与え、軍隊を派遣して逆らわない限りは平和を与えたという。ただし、徴税を徴税請負人任せにしたので、帝国は軍隊の派遣費がかかる割には得なことがなく、請負人が肥え太るばかりであったという。(ためにローマは軍隊の派遣費用で倒れたことになっている。)それと同じようなことがこの日本が売られる過程で起こっているように思われるのが読後感想の第一である。堤さんは売られる日本を買っているのは、米中EUであるとおっしゃっているが(当時はまだトランプが出てきたころで、米中は今ほど仲が悪くなかった時期である。)私には、米国は中間搾取を受けていて気の毒にも実際のところあんまり儲かっていないように見える。

 例えば、介護業界に関してこう観察されておられる。まず建物を作ってそこでゼネコンが儲ける。次に介護人材の給料を引き下げて人材が集まらないようにする。そうすると介護事業者は、事業を継続するために人材派遣会社に頼らざるを得ない。ここで高額のマージンを人材派遣会社がとることになるので派遣会社が儲かることになる。実にうまいこと考えられたビジネスモデルで、介護事業者も実際に介護にあたるヒトも仕事が苦しいのに給料も利益も出ない構造になっている。利益が出るのは、ゼネコンと人材派遣会社である。介護保険が高額な割には、介護の質が極めて悪いのはこういうからくりがあったのかと納得できる。

 それで利益がアメリカに上納されているならまだしも、利益はどうもうまいこと言い訳をしてことごとくが上納になっていないような気配がある。(この本にはそこまでは書いていない)もっと寄こせとアメリカの大統領が時々言うのは、この徴税請負人(人材派遣会社とゼネコン)たちが上納しないで利益を自分たちのものにしようと画策しているからではないかと思う。

 このくだりを読みながら、昨今の高校教育無償化はこの流れで説明できそうな気がする。無償化すると、中学の卒業者は私学に流れるようになる。十分流れたところで公立を廃止し、今度は私学の生徒一人当たりの教育費を削る。教員の人件費を削らざるを得ないので教員の人材不足になる。(公立でこれをやるわけにはいかないが私立なら人件費は削ることができる。)人材がいなくなると人材派遣会社に頼らざるを得ない。マージン高くても払いますから何とかお願いしますと言わないと事業の継続ができない。教育無償化はだれがみても結構なアリガタイ策だと思うが、タダほど高いものは無いということにならないか。

もしこれが狙いどおりに行けば、次は医療業界で同じようなことが起こると考えられる。いずれも、働く人の奉仕の心に依存する業界であることに特に注意が必要である。

堤さんも対策を掲げておられる(第3章うられたものは取り返せ)が、私なら人材派遣会社を立ち上げる。そうして派遣マージンの競争を起こす。自分が儲けたいからではない。独占して派遣マージンを取るから介護の教育の医療の質の低下が起こるからである。独占させなければいい。しかし、人材派遣会社は許認可がなかなか降りない仕掛けになっているだろう。人材派遣会社は、たいした資本技術のいる仕事ではないと考えられるが、設立認可が必要な仕事と考えられる。

この本は、一冊に様々なことを盛り込みすぎているから読みにくい。私ならひとテーマで一冊にする。例えば農業に関してだけで一冊。外国人労働者だけで一冊、売られないようにする対策だけで一冊。それから事前に何も知らない人を想定して、丁寧な書き方をする。ある程度知っている人を読者に想定しているからこの本は読みにくかった。


映画 哀れなるもの②

2024-02-25 20:05:49 | 日記

映画 哀れなるもの②

 哀れなるものが女性であるという見方に立つとわかりやすい映画であるが、哀れなるものが男であるという立場で見るとかなり残酷な北欧の童話(アンデルセンでもグリム兄弟でもどちらでも)と見ることができる。ただそうすると、これが日本の女性に支持される映画である理由が薄くなる。日本人はこういう残酷な復讐物語を好まないのが普通だと思うのだが。日本昔話のかちかち山も浦島も少し残虐なところもあるが北欧の童話には質量ともに比べ物にならない。

 主人公の脳の父親体の部分の夫は、最後羊にされてしまう。脳の部分体の部分両方に残酷な仕打ちがあったので同じく残酷な復讐をされた。それも20年30年経ってからである。どうもユーラシア大陸には我々からみて驚くほどのしつこい復讐をする伝統があるようである。アメリカ型のうまく立ち回って相手の富を強奪するというのとは、味わいの全く異なる復讐の感情である。その復讐された男が哀れなるものという題になっている。もしそうなら、日本の比較的若い女性にこの映画が好まれているということは、かなり恐ろしいことではないか。日本の若い女性の心に大きな変化が最近起こったのではないか。日本の厚生省の官僚の皆さんはここに気づいているのか、多分気づいていないであろう。数字ばっかり見ていると他人の心を見ることはできないものである。

 

 事実かどうかは知らないが、(多分事実だと思うが)秦の始皇帝に宦官にされてしまった男は、始皇帝の死後その息子のうち最も暗愚なのを選んで二世皇帝に建てることで秦を滅ぼしたという。この復讐劇に匹敵するくらいしつこい復讐である。

 ヨーロッパにしつこい復讐あるのであれば、軽々しく人をいじめをしたりブラックに人をこき使ったりはできないであろう。子々孫々何代にも渡って復讐されるおそれがあるからである。日本では過去を水に流すのでいまだにブラックに人をこき使ったりする。日本人もこのくらいしつこく復讐すれば社会の構造も変わるのであるが。たぶん哀れなるものはこの父親というのが、この映画のテーマではないか。わかりにくいけど。

映像が美しいという意見があるが、私はそう思わない。陰鬱な映像であった。


映画 ジャンヌ・デュ・バリー 国王最後の愛人③

2024-02-25 10:18:09 | 日記

映画 ジャンヌ・デュ・バリー 国王最後の愛人③

 これだけよくできた映画なのに、主役はミスキャストしている。主役は、わが国の夢二描くような儚げな人(実物のジャンヌ・デュ・バリーの肖像画も確かに儚げな人である)でないといけないのにバリバリ働くキャリアウーマンみたいな人が演じている。ためにこの映画の評価が三割は下がってしまっている。

 あろうことか、主役のマイウェンは監督と脚本(の一部)まで兼ねていたらしい。自分で自分を主役に抜擢したのか。大相撲で横綱と行司を兼ねてはいけないであろう。監督はそのいけないことをしてしまった。

ルイ15世が公妾(公娼ではない)にジャンヌ・デュ・バリーを選ぶときの場面は一つの見せ場になっているが、観客のほとんどは、エッまあこの人奇麗だけど国王は選び放題の立場にあるんだからもうちょっと優しそうな人を選ぶのがいいのではないかと思ったと思う。国王の趣味に容喙するのは失礼だけど国王は蓼食う虫なのか?と思ったと思う。

 

このフランス映画のいいところは、すべての画面が名画のように美しく撮られていることで、これは画家彫刻家建築家をパリに集めて芸術の都になったことの結果であろう。絵画の伝統は映画の中に生かされている。思うに、ルイ14世によって集められた芸術家とその子孫はフランス革命でパトロンを失ったので、新たに勃興したブルジョア階級をパトロンにすべく努力を重ね新たな絵画の潮流を開いたと考えられる。今度は大衆が新たな階級にのし上がってきたのでその大衆をパトロンにすべく努力を重ねているところであろう。大衆に見せるには、美術館は小さすぎるので映画館が宜しい。そこで映画の画面造りに芸術の才能が活かされることになったとみられる。ルイ14世の豪奢は国の財政を滅ぼしたかもしれないが、こうやって今私どもがアートを享受できる下地を作ってくれた。ありがたいことである。

 そう言えば世界三大料理の仏中トルコ料理は、それぞれ治乱興亡のあった国である。それぞれに食いしん坊の王様が居て、その国が滅んだときに料理人が街にでて新たな顧客の舌にあうように料理の技術を磨いて世界三大料理になった。

わが国では、将軍はあんまりいいものを食べていなかったと考えられる。幕府が滅んだときに将軍の料理人が街に出て、料理の質が上がったとはとても言えない。寿司も天ぷらもうどんも蕎麦も庶民の料理である。わが国のアートのパトロンは江戸の昔から大衆であったと考えられる。ために日本映画の画面はフランス映画の画面に負けているのか。わが国にも曾我蕭白や若冲のような絵画があるんだけど。

 

 


お金の流れで見る明治維新(大村大次郎 PHP文庫)

2024-02-23 10:24:33 | 日記

お金の流れで見る明治維新(大村大次郎 PHP文庫)

 歴史の転換期にだれがどんなことを言いどんなことをしたかは勿論面白いが、そのエピソードをどれだけ読んでもなにかしらじらしい印象を受ける。それは、例えば隣の家で夫婦喧嘩が絶えない、それはそれで世間の耳目を集めるがその夫婦の収入支出の状態が分かってるともっと面白いようなものである。

 この本では、西南雄藩がどんな風に財政改革をやって討幕資金を蓄えたかと、いよいよ討幕が佳境に入った時に軍を動かす費用を贋金造りによってしのいだこととを描く。前者は様々の講談本に描かれている通りだけど数字が詳細に出ているのでこの本の方が説得力ある。後者はどこかで読んだことがあることだけど、具体的にどの藩でどのような偽金を作って最後はどう処理されたのかまで書かれていて興味深い。(最後は明治政府が外国人に対しては正貨との引き換えをしたらしい。内国人に対しては踏み倒し同然であったらしい。)

 過剰な贋金を作るとインフレが起こって収拾がつかなくなりそうだが、当時は金属貨幣であるのでその金属の価値で贋金も評価されたと書いてある。そうすると、贋金で武器を売った商人や贋金で糧秣を売った農民が損したということになるのか。戦争の悲惨さは裏側でこんなことも引き起こしているのか。今のような電子帳簿上に載る貨幣では同じようなことが起こった際には果たしてどうなるのか。

 江戸幕府は開府以来の貯蔵していた金塊が尽きた時に政権を失ったらしい。その政治体制が変わるときは多少の戦乱がある。戦乱中は土方歳三とか木戸孝允とかの男前が活躍してそこ見せ場だからいくらでも物語が作られる。その物語に注目が集まりすぎている。そうではなくて、なぜ金塊を失った時が政権を失うことになるのか。金塊を失わなくて済む方法は無いのかなどの物語をこの本は書きかけている。もっと詳しくそこを書いてほしかった。

 そこで思い出した。フランス革命は宮廷の財政破綻が原因という。ドイツの第一次大戦後のナチス勃興は一次大戦の賠償による財政破綻が原因という。その後両国は、ナポレオン戦争や第二次大戦などの対外膨張をした。わが明治維新も日清日露の戦役をひきおこした。これらは関係があるのか。財政破綻で革命がおこるのはまあ分かるけど、なんでそのあと対外膨張したくなるのか。秀吉さんも天下統一なったあと、朝鮮討ち入りしたくなったのはこれが原因か。またはアメリカは大恐慌から第二次大戦を経て大きくなった。そのあと対外戦争をしている。革命起こして折角の破たん状態から脱出したあとは、天下泰平を楽しむのがお得なように思うのだが。きっとこれもおカネの流れから説明できるんだろう。是非この続編を書いていただきたいと思う。「お金の流れで読む日清日露戦争」や「お金の流れで読む朝鮮討ち入り」などである。


映画 哀れなるもの

2024-02-21 21:11:51 | 日記

映画 哀れなるもの

 はじめ臓器移植をテーマにした重い映画と思っていた。観客に髪の毛を染めている若い女性が多いので、まさかこのカンジの人々が臓器移植に興味があるのは不思議と見ていたが、不思議でも何でもないこれは新しい女性の生き方をテーマにしている。従って難しそうに見えるけど、単純に見ていけばわかりやすい。

 臓器移植と見せたのは、女性が男性によってつくられたものであることを確認するための前振りである。女性が男性の支配を乗り越えて生きていくというのが今までの映画の作り方であるが、この映画はさらに一歩を進めてその男性を支配する新しい生き方を確立するところに新味がある。しかもこの生き方の変化は不可逆であることを暗示する。現状に大いに不満である女性の支持を集める映画である。年配の女性のほとんどは、実は自分たちを支配するほどの力が(若いころはじめはあると思っていたが)実際は男性にないことを経験なさっているので、この映画を見る必要がないのであろう。

 今でも東南アジアの国では女性が働き者で女性が社会全体を支えているという。現にベトナムの巨大な食品会社の創業者トップも、中国の南部発祥の大きなエアコンの会社の創業者トップも女性である。それどころか国のトップが女性であった国まである。中国のミャオ族は女性が美しく着飾りわが国の盆踊りの様な祭りでは、女性が主導権を握るのだそうである。男は女性の気を引くためには長時間家の前で歌を歌わないといけないそうである。女性が虐げられるのは家父長制が原因であるだろう。どうも競争が激しくない南方では家父長制では無いようだから、この哀れなるもの(=女性のこと)という映画は南方では流行らないのではないかと想像される。

 我が国は、南方系と北方系の入り混じった文化と考えられるが、工業化する際に家父長制の文化を取り入れたと考えられる。その咎めが今巡ってきて、多くの女性の反感をかっているのである。近く女性の首相が誕生するのではないかという噂である。もし実現すればこんな映画を見て女性がひそかに溜飲を下げずとも済むようになるだろう。

 聞き及ぶところでは、ソクラテスの妻は助けようとすれば助かった旦那を見殺しにしたという。真偽は知らないが、孔子の妻は自分は出世しないで他人様の出世の方法を説いて回る料理の仕方にうるさい旦那を、見捨てて出ていったという。ために孔子は男ばっかりの小社会で女性差別の言辞を弄したらしい。(小人と女は養い難い)ソクラテスや孔子ほどではなくても、結構ひどい目にあわされている男は一杯居る。しかも、親爺が支配していた会社がどんどん近代的になってきているので、そういう男はいよいよ居場所がなくなってきている。

 「哀れなるもの」の裏バージョン映画の政策が望まれる。ただし、出だしの男が女を作ったという部分をどう作り替えて表現するかはかなりむつかしい。

 世間での評価とは別の意味で面白い映画であった。