本の感想

本の感想など

文科大臣会見内容についての私見

2023-04-29 15:02:09 | 日記

文科大臣会見内容についての私見

 さきごろ文科大臣が中学の教員の勤務が過労死レベルに達する者36%以上というのを淡々と読み上げる表情を見てこの人、事態を変えようとするいかなる熱意も持たないと見えた。まるでタニンごとそれがどうしたという表情である。これから審議するのだそうである。同様にあまりの待遇の悪さに国立病院(海軍由来だそうである)の看護師大量辞職の報道も最近見た。

 これは近く財政破綻しそうだから、政府が関与している組織にはカネを回さない政策の現れというだけではない気がする。昔は必要だったけどもういらなくなったので全部つぶしたい、または民営にしたい大改革したいと密かに考えていることの表れと見る。それならこんな手の込んだことしないで、初めからそういう法案を作って通せばよいようなものだが、それは様々利権を持っている者からの反対にあってすんなりとはいかない。(こういう手間がかかるところが民主国家の良いところでもあり駄目なところでもある。)そこで、「こういうことを国関与でやるとどうしてもうまいこといかへんのですわ。それで民営にせなあかんのですわ。」という実績を作らねばいけない。文科省の官もなかなか優秀である。先生の仕事が無制限に増加するように策をたてた。こうすれば先生がいなくなるから、学校が立ちいかなくなる。そのころに大改革の案を提出するのである。(私はこれをネットによる教育ではないかと思うのだがどうだろう。若いうちにいくらでも先に進んで知識を身に付けられる、しかも安価である。)

 むかし、日本は巨大な軍隊が支配する国であった時代があった。それを支えるものに鉄道輸送と教育があって軍隊が倒れてもこの二つは残ってそれぞれ仕事をつづけたとみられる。(軍隊が倒れた後もそれぞれ目的はあったからである。)どういうわけかこの二つは労働組合が強かったという特色がある。きっと軍隊と労働組合は相性がいいのであろう。

 鉄道輸送の方は早いうちに財政がうまくいかなくて倒れたというか倒されて民営化になった。残る教育は良き労働者を育てるために必要だったので生き残った。しかしどうもロボットとAIに置き換えが出来そうとの理由でだと思うが教育の必要を感じなくなった。または教育の質的大変化が必要になった。そこで大変化を齎す法案が今準備されていると思う。単純な民営化ではないと思う。

 お話変わって、軍隊と教育とはきわめて相性が宜しい。むかし大正のころ軍縮があって失業した軍人を学校へ配属将校として配置した。また終戦時大量の士官学校兵学校の生徒が学校へ流れ込んで先生になった。これでは学校に体罰やいじめがときどきあるのは当然である。昔の軍隊が持っていた体質が残っているからである。それらが一掃されるのならこれは良いことである。

 さらに近頃教師の不祥事がやたらに報道されるようになった。昔は無かったというのではない。報道しなかっただけであろう。これも大変化の法案を準備している証拠ではないかと思う。その時は近そうな気がする。

 昔の寺子屋は和気あいあいであったという噂を聞かないではない。昔のそろばん塾や書道塾、漢学塾は先生を慕って生徒が集まり教育効果は高いものであったらしい。懐徳堂では名のある大商人が自らの教養を磨くために大学者を招聘したという。(大金を動かすにはそれなりの教養がいるようである。)さらに大昔唐の国からお坊さんを招いてその講演を皆が聞き入ったという話もある。(もっともこの時は講演という形式ではなく討論を聴く形式だったようで、ちょうどテニスの審判の座るような椅子二つに対座して討論したようであるが。さらにこの講演はだれでも聞くことができたらしい。)

教育はいすに座って退屈な時間に耐える形式だけではない。あれでは人生我慢の連続を教え込んでいるだけである。我慢に秀でた人物が海千山千の国際社会で働いていけるかどうかにもっと早く気付くべきであろう。あの事態を変えようという気の一切なさそうな文科大臣は実は大変な秘策を持っているの

であろう。その秘策に期待したい。


日本銀行 我が国に迫る危機(河村小百合著 講談社現代新書)①他の本との比較

2023-04-27 22:26:19 | 日記

日本銀行 我が国に迫る危機(河村小百合著 講談社現代新書)①他の本との比較

 日銀の破たんを云々する本はたくさん出ていて、中には時代が変わったのであるからこれからはいかなる中央銀行も破綻しないのであるとする理論を押し立てる本もある。破たんしない本まだは読んだことがないが、破たんを主張するものはいくらか読んだ。その中で一番読みやすくて納得できるのがこの本である。河村小百合さんの書は10年ほど前にも同じような趣旨で講談社現代新書から出されていて、危機感が十倍くらいになっているのかと思いきや淡々とした筆致で理性的に書かれていて別段危機感が増大しているようには見えない。感情に駆られてお書きになっていないからであろう、そこがいいところである。

 同種の本ではジムロジャーズさんの本を何冊か読んだけど、全く役立たなかった。ここには破たんすることを前提として破たんすれば治安が悪化して銃を持ち歩かなければならなくなるといった恐ろしいことが書いてある。または外国に移住せよとも書いてある。いずれもアメリカ人の言いそうなことである。日本人のほとんどはその共同体を出て生活できない心性を持ってることにこの人またはこの本の発行元は思いが至らないのである。破たんに至る道のりについてはそれは説明するまでもない当たり前だろうという態度である。この本は、四谷怪談を見たくなるのと同じように怖いもの見たさのヒトの読む本である。読む者はこの本を読んでも何の対策も立てようがない。恐怖に煽られるのが楽しくて仕方ないという人はエンタメとして読んでもいいけどである。

 浜矩子さんの本も何冊か読んだ。ブックオフで110円でこれでも高いなーと思って他の古本屋に行くと50円でワゴンに入っていたので嬉しかった。この本は、破たんに至る道筋を少しは解説しているが、素人向けの丁寧さをもたない説明に大変な毒舌を用いている。これでは読者はなるほどと思いながら読むのではなく毒舌のエンタメを楽しむために読むことになる。こういう本の書き方もあるのかもしれないが、それは破綻というような大事な場面にはふさわしくないように思う。楽しい事態が起こるとは思えない事情を書くのである、読者は対策をたてるのならどうたてるのかを考えながら読むのであるから毒舌や笑いは必要ない。この場合読者は「自分のことに引き付けて読む」ことをしている。笑いは物事を客観的に見る必要のある時にはあってもいいが、毒舌はこのような善悪まだ定かでないときは頂けない。それは対象を悪と決めつけてしまっているからである。そのほかにも破たんを取り扱った書物は一杯あっていくらか読んだけれど破たんをセンセーショナルに扱っていてその大げささで売ろうという魂胆が透けて見えるような本ばかりであった。

 破綻するならするでそれは公平中立に淡々と様々の知見を総合して書かねばならないことだけど、河村さんの本はそれに答えてくれているように思う。

私はあの異次元の緩和というのが発表になったとき、こんなこというのはキッとなにか秘策が裏に隠れているに違いないと思った。例えば大規模な金か石油の鉱脈が日本近海で発見されるとか、核融合炉を日本が世界に先駆けて完成するとかである。そうならいくら緩和してもあとで何とでもなりそうだからである。しかしどうもそういううまい話ではなさそうだ。

ならなぜしたのか。デフレから脱するためと言うけれど十年前のデフレは供給過剰によるもんじゃなかったのか。金融緩和は需要不足の時に効果があるんじゃなかったのか。あの場合は、供給力を下げるような金融政策を取るべきではなかったのか。金融緩和で供給力を下げることができるのか?ということを読み取りたいと思っていたが、どうやらこの本の趣旨は私の疑問からは外れているようであった。だからと言って読んだことが意味ないというのではない。頭の中が整理できて有難かった。

 


人口増加策私案 

2023-04-20 21:33:52 | 日記

人口増加策私案 

 最近子育てに大金をばらまくという。あれはなにか他に目的あってばらまくのが目的で本当にその気があるのか疑わしく思っている。わたくしに任せてくれればこうする。

 まず子育てが楽しいとのホームドラマを作って連日放送する。主役はもちろん最高の美男美女でないといけない。信じがたいことだが1970年台であったか、アメリカで弁護士が少なくて困った時代があったらしい。この時弁護士が活躍するドラマを作って放送したらしい。それに習うのである。子育て楽しいのドラマはストーリーが些か難しいが、それは公募する。

 シナリオ募集賞金以下の通り。ただし著作権はすべて当方に帰属する。として出してみればすぐ集まる。

一席 一億円 二席 一千万円 三席 五百万円

もちろんドラマ化するのは三席のシナリオである。一席二席は該当なしである。つぎに辣腕の製作者を雇う。さらにドラマの主題歌を一流の作詞作曲で最高の美男または美女に切々と歌ってもらい街のあちこちでそれが流されるように策を講じる。次にドラマから発生した子育てゲームを売りに出す。皆がこのゲームにはまるころには、子供の数は増えると考えられる。

 世の中のヒトの興味が子育てに向かっていないときに興味をそれに向かわせるような作品を作ってこそ本当のアーティストである。世の中のヒトの興味がどこにあるかを見抜いてその方向に作品を作っているだけではたいした力のないただの機会主義者である。

 大江広元は京都にそのままいたらうだつの上がらない公家で終わっただろうが、鎌倉に出て平家の世が終わったことを嫋々と歌い上げる物語を日本中にヒットさせて鎌倉幕府の礎を固めた。この人は文化の持つ力を知り抜いていたのである。日本の津々浦々にはまだ平家の世であると思っている豪族がたくさんいたであろう。その中には平家の落ち武者をかくまっていて、時きたらばそれを押し立ててやろうとしていたのも居たかもしれない。彼らをして、琵琶の音とともに涙してそれを諦めさせたのである。文化の力は刃物の力をはるかに上回っていたのである。

 ここは、大江広元さんをあの世から呼び戻ししばらく働いてもらうのが良いというのが私の意見である。費用はそんなに掛からない。今の政府の案だと、国民は十八年間ずーとおカネを出してくれるのかと疑っているのである。十八年間同じ政権であるという保証はどこにもない。おだてて二階に上げて梯子を外されるのを恐れるのは当然であろう。

 ついでに大江広元の子孫は毛利氏になったという。その功績あってか山口県からは今も有力な政治家の輩出すること甚だしい。この人に依頼しようではないか。


小説 ルポ日本の貧困

2023-04-16 16:12:16 | 日記

小説 ルポ日本の貧困

 ここに書くことは小説ではあるが、断じて盛ったりしていない。特に数字に関しては間違いのないところである。わたくしは、ルポ貧困大国アメリカ(堤 未果 岩波新書 2008年)を読んで感じるところがあったので忘れないうちに記しておく。

 

 2017年の秋深くなったころの話である。所要あって出かけるが夜遅くなるので、その日の晩御飯は帰るときにスーパーの弁当を買って帰るから自分は不要であるとしたその帰りのできごとである。予定より大幅に遅れてもう閉店間際の夜十時まえにやっと飛び込んだ店内には4人の65歳前後の男たちが商品の並んだ冷蔵庫の周りを取り囲んでいた。弁当やらお惣菜やらには黄色の半額のシールが貼られていた。私はそのうちの一番大きな弁当に手を出そうとしたが、4人の男たちの殺気だった目が恐ろしくて思わず手を引っ込めてしまった。男たちの内の数人は、左手に発泡酒の一つ入ったかごを持ち右手は商品に向けて動かさない姿勢をとって半身の姿勢である。かごを持たない男も同様に半身の姿勢である。ちょうどカルタとり名人戦のいまにも動き出す寸前の様である。または椅子取りゲームが始まる前の雰囲気である。

 しかも、その眼は名人戦の眼ではない。小さいころテレビで見たどこかの外国で食糧支援物資を取りに来る飢えた人の眼である。さらに、その後ろには二人の二十歳を少し過ぎたくらいのお嬢さんが遠慮がちな顔をして立っている。カルタ名人戦のおじさんはいずれも薄汚れた服を着用しうち一人は寒山拾得みたいな頭であるがお嬢さんはさすがに洒落た服で頭もきれいにしている。見たところお嬢さんはどこかのデザイン事務所で仕事をした帰りであるように見える。

 程なく蛍の光の音楽が鳴り出すと、高校三年生と思しき男のアルバイト店員がどこからか現われ手にした八割引きと印刷された朱色のシールを貼り付けていく。それを目にも止まらない早業で四人の男たちが自分のかごに投げ入れていく。なるほどカルタ名人戦の姿勢が必要であったはずである。私の手を出そうとした一番大きな弁当は寒山拾得氏のかごに納まってしまった。程なく寒山拾得氏のお腹に納まるであろう。

 四人が引き上げて残っていた2,3個の商品を二人のお嬢さんがかごに入れて帰っていく。さすがにこの二人は、その周りに立っていた私に対して少し遠慮する風情があった。高校三年生は、手に持った9割引きと書かれた深紅のシールを張ることなく引き上げた。

 私は何とか食べねばいけないから他の物を買いながらこう考えた。あの2,3個の商品では二人のお嬢さんのお腹を満たすには少し足らないのではないか。冷蔵庫に何かが残っているのであればいいが。四人のカルタ名人戦参加者の中には、つい数年前まで数名か十数名の部下を持ちバリバリ仕事をしている風情の人もいた。日本はつい最近まで飽食と言っていたがもはやそうではない。私の知らないところで恐ろしく大きな変化が起きている。この状態を見て竹中平蔵氏は何と言うであろう。あのなめらかな口調で「みな自分で選択した結果なんです。つまり自己責任ということなんです。」とまだいうのであろうか。

 洋の東西を問わず古来食を保証しえない政権は手ひどいしっぺ返しを受けること歴史の教える通りであろう。日本はまさかその段階に来ているのではないでしょうなと思うところがある。それは、寒山拾得氏の頭髪を思い出して思うのではない。四名の名人戦参加者の眼付と、多分ルームシェアしているのであろう御二人のお嬢さんのかごの中が少なかったことを思い出して思うのである。絶対このまま放置してはいけない問題である。


ルポ貧困大国アメリカ(堤 未果 岩波新書 2008年)を読む②医療保険

2023-04-16 15:56:21 | 日記

ルポ貧困大国アメリカ(堤 未果 岩波新書 2008年)を読む②医療保険

 第二に特筆すべきはアメリカは医療保険のないことまたは薄いことであろう。お話少し変わって財政破綻後(小林慶一郎編著 日本経済新聞社2018年4月)を発売と同時に買って読んだことがある。危機をあおるようなことをしないで真面目に計算した結果を論文形式で書いてある。(しかも難解でない。)この時点ですでに日本の医療保険は崩壊するだろうと予言している。私はこれを読んで今まで出会った態度の悪い医者(もちろんいいお医者さんも沢山出会った、これはもちろん除外しての話である。)や同窓会でやたらに態度がでかい医者になった元友人を思い出していい気味だと独りにんまりしたことがある。あいつらにはチトお灸をすえなくてはいけないと日頃から思っていた。医者が笑顔でモミ手で患者様をお迎えするといういい時代が来るのではないかと思っていた。そこまでいかなくても同窓会ででかい態度を取られて嫌な思いをしなくて済む。

 しかしそんなことを言っている場合ではない。アメリカの民間の医療保険は儲けて配当を出さねばいけないから保険のカバーする範囲が小さいとか、なんだかんだと難癖をつけて保険を使えないようにしてしまうことがおこるらしい。それでちょっとした病気怪我でも破産に追い込まれるらしい。なるほど民間にやってもらうとそういう恐ろしいことが起こるのかと初めて知った。 「財政破綻後」によると日本の財政破綻とそれによる医療保険崩壊は不可避であるとされる。堤未果氏のおっしゃるようなアメリカの姿はもうすぐ先の日本の姿である。何しろ米国在住のジャーナリストである、 大筋で間違えようがないであろう。とても他人事とは思えなくなる。

昔、国鉄が民営化されたときは電車の快適になったことに驚愕した。(尤もやりすぎもあったようで大事故も引き起こしたけれど)郵政民営化では年賀状のお年玉のあたりがよく出るようになった。実にありがたいことである。民営化はそこではたらいているひとのことはさておき利用者には良いことだと思い込んでいた。それと同じことが医療の世界で起こるとわたしは不覚にも夢想していたのである。なんでもかでも民営化することが良いことではないと今頃やっとわかった。

ところで「ルポ貧困大国アメリカ」にはなにか食い足りないものを感じてしまう。それが何であるかずいぶん考えたが多分こうだろう。著者は自分の目で直接見聞したものだけをルポしている。いいことじゃないかと思うかもしれないけどそこが食い足りないのである。お腹がいっぱいになってるけど何か栄養が足りてないような気がするのはここである。

アメリカの医療保険を民営化することで本当に保険会社は利益を出し続けているのか。その経年変化は、医療による破産者の増加率と相関関係があるのかなど数字に基づく考察をもっと充実するべきであろう。事実を単純に並べるのは新聞のやることである。その裏側にある事実を補強することを調べるのが新書のやることである。さらにそういう事態を防ぐためにどうあるべきかを論ずるのがハードカバーの立派な単行本であろう。この三者お値段が異なるのは内容による。「ルポ貧困大国アメリカ」はなんだかよく書けている新聞のような気がする。