東日本のヒトのための奈良市観光案内⑳ 法華寺
東大寺から真西に20分か30分歩くと法華寺に至る。総国分寺から総国分尼寺までの移動に要する時間である。今の大学の男子寮と女子寮間の移動に要する時間もこのくらいが適当なのではないかとおもわれる。法華寺からさらに真西に少し行くと大極殿などに至るから、ここから大極殿の甍が見えたはずである。また東大寺の甍も見えたと思われる。
東大寺が広いのに対して法華寺は小さい。お堂は尼寺らしく繊細である。庭と風呂(蒸気風呂)が有名であるが、わたくしは風呂は見ていない。本尊の観音さまは、東大寺法華堂の中の羂索観音と同じく光明皇后のお姿を模したものとされている。それでは両者が似ているはずだが、あんまり似ていないように見える。法華寺の方が力強い表情である。皇后は旦那の聖武さんがちょっと気弱な感じだから、夫唱婦随の逆さまバージョンではなかったと想像してしまう。この時代の女性は、現代とは全く違う心意気でおられたことがこの表情から察せられる。決して男と張り合っているのではない。完全に独立してものを考え独立して行動するという感じのお顔である。
光明皇后は相当パワフルな人で、二体の仏像のモデルになるほか夭折した我が子のために阿修羅像を作成したりこの法華寺を建てたり、悲田院という社会福祉活動を始めた。
半世紀前我が家は東大寺のそばにあった。近所で我が子に不幸のある家があって、付近の人が皆集まって口々に慰めをいうのだが、ご本人の悲しみは深まる一方であった。集まっていた人の一人(肝っ玉母さんの雰囲気のヒトであった)が自分の娘に、法華寺まで行ってお願いして一人連れてくるようにと命じた。その娘さんがまだ年若い数珠をもった一人の尼僧を連れて帰ってきたのは、夜もずいぶん更けたころであった。その人が悲しんでいる女性の耳元で二言三言ささやいただけで、それまで土気色であった件の女性の表情が少しは明るくなるのを見たことがある。
わたしは寺が決して偉そうにヒトに接するものではないことをはじめて知った、このように出張してくれる。さらに肝っ玉母さんが、娘に東大寺ではなく法華寺に行かせたキャスティングの確かさに驚いた。東大寺のお坊さんではこうはいかないであろう。