本の感想

本の感想など

これで日本の産業復活か

2023-11-28 22:58:37 | 日記

これで日本の産業復活か

 いきなりだが昔 武見太郎という人がいた。昭和30年か40年ころ医師のストライキによって診療報酬を高くした人である。ために、医師わけても開業医は儲かるとして医学部受験が流行った。医学部に入るために入試問題が、印刷していた刑務所から盗み出される事件まであった。それまでは医学部はごく普通の難易度であった。

 医者に有能な人が行くのはよいことであるが、過度に集中してはいけない。世の中には自分の入試に対する力を見せつけてやろうというヒトが本当にいるのである。そんなに勉強ができるなら入試以外の勉強すればいいのにと思うが、本人はそうは思わない。入学試験をオリンピックか何かの場と思っているのである。ために医学部入試はさらに難関になり、予備校がここは儲けが出ると思ったであろう盛んにあおった。日本の理系の才ある若者がこぞって医学部を目指すようになった。この濫觴は武見太郎の指導したストライキにある。

 さて最近医師の診療報酬を下げるという。厚生労働省は狡猾にも流行病の流行っているときに医師に儲けが出るようにしむけて、いざ終わると利益率が他の産業に比べて高すぎるといちゃもんを付けて下げるのはやむなしという理屈をつけた。奇しくもこのとってつけたようないちゃもんを付けてでも、診療報酬を下げようと画策している大臣は武見太郎と同じ苗字のヒトである。不思議な縁である。

 もちろんこの案には賛否両論あるだろう。わたしは思わぬ理由によって大賛成である。日本の理系の才ある若者があまりにも多く医者を目指すための受験勉強に力を注ぐがために、理系の才を必要とする他の分野に人材がいきわたらなかった。ここを正さないといけない。おカネが儲かる分野にヒトが流れるのは人情で人情を変えるわけにはいかない。ならば、儲かる分野を変えていくより他ない。診療報酬を下げないで必要な分野の給与を上げればいいじゃないかというのは正論である。しかし世の中が正論で動かぬことは新聞テレビのニュースを見れば明らかである。必要な分野の労働者はストライキを打つ環境にないのである。まげて暫時でいいから診療報酬の値下げに応じてもらえまいか。医学部の難易度が他と等しくなったころにまたこっそり上げればいい。

 わたしはあまりにも多くの理系の才ある人々が医学部受験に若い時間を浪費するのを見てきた。資源は必要な分野へ効率よく回さねばいけない。こと人材に関しては神の見えざる手が働いているとは思えない。神さんは、石油や石炭やトウモロコシについては盛んに見えざる手を振り回しているようだが、こと人材に関しては完全にサボっておられる、またはやる気がないのである。神さんより武見太郎の方が上手であった。

 


映画 鬼太郎誕生ゲゲゲの謎

2023-11-21 14:53:06 | 日記

映画 鬼太郎誕生ゲゲゲの謎

 原作者の水木しげるさんは、おそらくは徹底したニヒリストであったと想像する。戦争でひどい目にあったことの他にもともと軍隊と相性の合わない性格であったのに軍隊に何もかも支配される時代を過ごしたことによるだろう。「もう何言うてもあかんわ。」という徹底したあきらめの気分である。この気分を持つ者のうちの一部は、妖怪変化の世界(に限らず自分の紡ぎだした世界)に生きることが唯一生きる道になってしまう。

昔将軍足利義政は、都の戦乱を見ながら自分の作り出した東山文化の美の世界に中に閉じこもって出ようとはしなかった、それと同じである。何を言ってもあかんと考えるときは、自分の作り出した強固な城の中に閉じこもるのが唯一心の安定を保てる道であると思う。私は銀閣のたたずまいにもう何言うてもあかんわという義政の淋しさを感じる。(たぶん嫁さんの日野富子に対してではないか。ここを映画なり小説にすると大ヒットするのだけどな。)

 「もう何言うてもあかんわ。」という経験がそのあとの私どもの世代にも当然ある。小学校中学校のころの教師の中には、モト陸軍大佐とかいうのが一杯いた。教えるのがヘタなうえに何時間でもくだらないお説教をする反対の意見を述べるとお説教が十倍にも二十倍にもなるから聞いてるふりをしないといけない、これほど迷惑なヒトはいなかった。さすがにこれはまずいとなったのだろう、若くて優秀なヒトと交代したが、そのモト陸軍大佐というひとはそのまま教育委員会へ行くというではないか。世の中はこういうヒトによって支配されているのかと思うとさらにもう何を言ってもあかんと確信したのである。(今も会社や役所はこの何言ってもあかんと思わせる人に満ち溢れている。少しは反省したらどうなんだ。)

 ただ義政のように自力で自分の美の世界を作り出してその中に住み続けるということができないヒトがほとんどなのでどうしても他人の作り出した美の世界を借りねばいけない。その時、一群の人々は美の代わりにもっとわかりやすい妖怪変化の世界に惹かれる、そのヒトを引き付けるニヒルな妖怪の世界を作り出したのが水木さんだと考えられる。わたしは、そこ(水木さんのニヒリズム)に引き付けられたうちの一人である。

 

 さて、映画には水木さんの影響が完全に落ちたのであろうニヒリズムの味わいがなくなってしまってがっかりした。重要な脇役である一反木綿や沙かけ婆とかが出てこないし、一番肝心のねずみ男もほんの少しの出番である。いきなり出だしからの八墓村の焼き直しのストーリーには心底がっかりした。映画八墓村が作られたのは、草深い田舎から都会に出てきたヒトがまだ都会のあちこちに居たころの話である。やっと都会に慣れたヒトがこの映画を見ておおそうであったと昔を懐かしく思い出したのである。今のヒトは、都会育ちである、または田舎を持っている人もその田舎が遠くモンゴルとかベトナムとかになってしまっている、日本風の田舎ではないので八墓村はもう受けないだろう。このストーリーでは、今の都会育ちの観客には訳が分からないであろう。

 そうは言いながら、シナリオライターは現代社会に対する痛烈な皮肉の言葉をあちこちにちりばめている。同じ問題意識を持っている人がこの映画の皮肉な毒のある言葉に接すると「あんたもそう思っているのか、確かにそここのままではいけないよな。」と思わず手をたたきたくなる言葉である。

 その意味で、この映画の製作者は全体の構想が時代遅れで失敗したが、シナリオライターはじめ制作に携わった人々は精いっぱいの社会批判の言葉を盛り込むことに成功した。ただし、水木さんのニヒリズムを求めて見に行った観客はがっかりした映画である。


くそじじいとくそばばあの日本史(大塚ひかり ポプラ社2021年第8刷り)

2023-11-15 15:00:23 | 日記

くそじじいとくそばばあの日本史(大塚ひかり ポプラ社2021年第8刷り)

 日本昔話などでは、昔の日本のおじいちゃんおばあちゃんは、よいヒトとがめついヒトが半々でがめつい人もその程度は可愛いし、すぐに反省しそうな雰囲気である。しかしこの本ではそんなことはない、よいヒトでも相当ガメツイしガメツイヒトは一切反省がないほどの性悪であると様々な実例で説く。

 日本昔話の原文は、たぶん筆者の説くような内容であったろう。教育的配慮で今世間に流布しているあのような内容になったと考えられる。そういえば、アンデルセンもグリムも恐ろしい話だしイソップも原文を知らないが多分恐ろしい話だと思う。我が日本だけが例外であるはずがない、原文は恐ろしいものであったと想像される。なぜ子供に恐ろしい話をしたのか。たぶん子供が寝る前におばーちゃんが聞かせるのであろう、それは良いことなのか。もし残虐なことを聞かせた方が子供が良く育つということであれば、今からでも遅くはない我々は改訂版日本昔話(残虐篇)の執筆にとりかからねばいけない。

 わたしは、平安時代は優雅な時代で京の都では(陰険な権力闘争はあったと想像されるが)歌を詠みながらの恋愛ばかりしていたものとのイメージがある。しかしとんでもないエロ爺とエロ婆が、笑われるような事件もおこし暴力沙汰もあったようである。どうも朝廷の周辺で不祥事が起こったことを教育の場でまたは時代劇テレビドラマで描くことはご法度のようである。だから今まで知らなかった。この本を読まなければ一生知らないままであった可能性が高い。平安の時代でも今と同じである。身分の高い人もそうでない人も、エロごとと物欲に生きていた。我々は勝手に平安貴族はエロごとと物欲はないものと、たとえあったにせよそれは極めて優雅で小さいものと勝手に思い込んで居たのである。

 翻って今現在を見るに我々は、何とか議長や何とか副大臣にはエロごとと物欲はあってはならぬ、いやないものと思い込んでいないか?たまに自分たちと同じ性根のヒトで、ことが露見すると首相の任命責任とまで言い募る。そのくらいのことはオオ御同輩であると見てあげればいい。その代わり増税やりすぎやないかとか、ちょっとここで利権団体に利益吸い取られスギやないかとか、突っ込みどころはもっと他にあるのではないのか。自分がその立場に立てばするであろうことを、自分ができないばっかりにそれをやっているヒトを責め立ててても溜飲が下がるだけで何もいいことが起こらない。お前はこんなスケベーなことをした、こんながめついことをしたというのは、政治がワイドショーになっているのである。政治論争とはそういうものではないであろう。

 くそじじいとくそばばあの政治論争という題で誰か書かないかなー。本当はエロくてガメツイ令和の国会論争との副題をつけてである。