映画 star wars のダースが父親であったことについて
多分最終回だったと思うが、いかにも旧ドイツ軍を思わせるダースが実はルークの父親であったとのストーリーがあった。わが国で言えば桃太郎が鬼ヶ島へ征伐に行って、鬼の親分が実は自分の父親であったということであるから、つまんない蛇足じゃないかと思ってしまう。思わせぶりなだけで意味も教訓もないじゃないかと思っていた。かろうじてアメリカには自分の父親を知らない少年少女がたくさんいるだろう、その子に対するサービスかなと思っていた。それなら自分の父親に旧ドイツ軍のヘルメットをかぶせるのはいかがなものか。もうちょっといい人が実の父親であってほしい。
長いことその意味を考えてきたがひょっとしてこうかもと思うことがある。ナチズムには様々な思想が流れ込んでいるであろうが、その中にダーウィンの適者生存またはこの世の中は競争である(勝ったものがエライ)との思想は入っているであろう。ルークの父親が旧ドイツ軍のヘルメットをかぶっていたということは、ルーク(即ちアメリカ)は、ナチズムの一部を受け継いでいますと言ってるようなものじゃないか。ナチズムのなかのこの「勝ったものがエライ」との思想をこれから受け継いでやっていきますとの宣言ではないか。またはそれが人種差別かもしれない。(最近は人種差別は否定しているけど、「勝ったものがエライ」のほうはアメリカはますます大声でおっしゃってる。良しあしは別にしてである。)
ルークの中に「勝ったものがエライ」の思想が入った後、アメリカは大発展をした。1950年60年のことである。それまでのアメリカは巨大な田舎というべきであった。
ちなみに戦後しばらくの間の日本はそれ以前の文化のままであって、「コネを持っていてかつ仕事は真面目にやる人がエライ」であった。なりふり構わず勝ちに出る人は迷惑な人とされかねなかった。コネのない人間は冷や飯食いになるので私なぞは不満であった。「勝ったものがエライ」の社会にしてほしかった。しかし、いざなってみると「勝ったものがエライ」の社会では利益がどこかに吸い取られるので、苦しいだけでよいことが何もない。元に戻せと思うのはわたし一人ではないはずである。
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