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断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑮ 吝嗇ではなく都会人なだけ

2022-10-26 13:33:39 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑮ 吝嗇ではなく都会人なだけ

 日記には、まるで金銭出納帳の写しではないかと思われるほどおカネの話が出てくるので荷風さんを吝嗇とする人もいるけどそうではないと思う。そもそも吝嗇とは入ってきたものを出さないヒトであるから出納帳を書く必要がない。入った金額と今の残高だけに興味のある人は、荷風さんのように何がいくらということを書かないであろう。日記だから印象に残ったものを書く。植木を植えた時の種類本数だけでなく、その値段や運送費用植木職人さんの手間賃まで記載してあるのは印象に残ったからであろう。

 大正末の貨幣価値が分かりづらいけど、植木職人さんの手間賃が3円というから一円が今の一万円とみてまあいいんじゃないか。江戸時代末期の一両が今の7万円というから下がったとはいえ明治維新と二度の戦争をはさんでも貨幣価値は十分の一になった程度である。それから7、80年で一万分の一になったようだから戦後の変動の大きさはバカでかいものであった。

 大正末には、荷風さんは四千某円の年収があったと税務署から通知が来たと記している。(今なら年収4000万円、当時の税務署は申告制ではなかったと見える。これなら税務署の補足しえない所得はどうなったのか。案外荷風さんもっと所得あったんではないか。)三菱銀行の預金が一万円になったので東京電灯の株を買うと書いている。遺憾ながら幾らで買えたかの記載がない。当時は高配当であったらしいから、配当金もたっぷりもらえたはずである。これで銀座のお店に行って晩御飯が一円であったのが四円になったとぼやいている。いくら何でもいきなり四倍はありえないから記憶間違いだろうと思う。晩御飯に一円のものを食べていたのである。これはケチな人ではない。

 昔の文士には、よく稼ぐのだけど台所が火の車破滅型の人が見られる。(これは当時の文士が今の芸能人の役割も果たしていたことの現れと思う。)別に文章が破滅型でないので平気で高校の現代文の教科書に採用されているけど、この人の人生を考えると教科書に載せて人の師表とするのはいかがなものかと思ったことがある。荷風さんはおカネには堅実なので教科書採用あってしかるべしだと思う。ただ、この人の小説の中身とお金以外の生活態度はやや問題ありなので教科書に載せるわけにはいけないかもしれない。一般に仕事の結果とその人の生活態度とは文士の場合あまり関係が無くて、なんだか世の師表にならないヒトの方が良い仕事をしているようにさえ見える。

 心が繊細で生活態度に隠さねばならないところのある人は農漁村には住みにくい。都会地ならなんとか生息できる。ただ都会地はおカネの勘定ができないと一日もやっていけない。だから日記にはおカネの話が延々と出てくる。他の人は無意識にやってしまうところをお坊ちゃんである荷風さん意識しないとうまくやれないということではないか。不器用な都会人であったということで、ケチではない。