川瀬巴水展 (大阪歴史博物館)
有名な雪の芝増上寺を見に行った。冬の戦前東京の情感を表現して見事な作品である。この作家は日本の戦前の風景を版画にした人で、しっとりした情感が海外で高く評価されたという。確かに当時の日本に住んでいるとこういう版画は普段の日常にある風景であるからまあいいなと思うくらいで、高く評価されないかもしれない。海外なら神秘の国の風景として珍重されたかもしれない。
今、われらがこれを見に行くのはもう昔の日本が今の日本と異なる国になってしまったからである。わたくしも遠い異国の情感を(現在につながらなくなってしまった情感)味わうことができた。100年前であってその写された建物は残っているものが多くある。であるのにもう異国のように感じてしまう。この100年の情感(人の心)の変化は大きい。
巴水は版画家であるが、今なら旅行写真家とするべきであろう。カラーで各地の風景を楽しみたいという需要に応えたというところか。版元の希望(従って需要家の希望)に沿って描いていった絵の職人の要素も強い人である。人生に悩んでその悩みを吐露するために描いた人ではなさそうである。同じような風景画家でも東山魁夷には悩みらしきものが感ぜられる。だからと言って両者に上下関係があるわけではないだろう。悩みが大きい人ほど立派だとするのは思い込みがひどすぎる見解だと私は思っている。スイスイと行くに越したことはない。パトロン(版元またはその絵の需要家)の意向に沿って描いたが、人生の前半と後半で特に色使いに変化が大きかったのだから(後半のほうが明らかに明るい)絵について悩んでいたのかもしれない。
多作の人であるからといってあまりに多くの絵を展示するのは考え物である。精選して少なく見せるのも必要なことではないか。何を選んで何を選ばないかが展示する人の腕だと思う。テーブル一杯の御馳走が出てもすべてを味わえるわけではない。