本の感想

本の感想など

昭和が戦後であったころ⑥ お葬式

2022-09-29 10:13:41 | 日記

昭和が戦後であったころ⑥ お葬式

 新しくできた仕事に引っ越し業と葬儀屋がある。昔はお葬式があると、自宅で行いました。その葬儀は近所のヒトがすべての式次第を執り行ったようです。私の家は、農村と市街地の境目にあったが当時の事情は市街地の真ん中でも変わらなかっただろう。ごく近くの近所から適切な年齢の男性を選出して葬儀委員長を選ぶ。どうやら選ばれたほうは嫌とは言えなかったようだ。この人の差配ですべてが動く。しかしわたくしの小さいころの一回だけ経験したのでは、あまり差配が上手ではなかった人のようだった。後片づけしながら、近所のおばさんが「うまいこと行かへんかったな。」、「けど機嫌よくしてはったやんか。」としゃべっていた。

その後、一時お葬式を出す家の人が勤めている会社の人が葬儀委員長になる時期があったかもしれないが、葬儀会社ができてこの風習は姿を消した。時代が進むとなにもかも悪くなるという人が居るが、決してそうでもない。これは良くなった方の例である。

 葬儀のある家の隣の家は、親戚の人の待合所として提供される。湯飲みを大量に準備しないといけないし、何よりアカの他人に家の中を見られるのである。私の母親はこうなることをとても嫌がったが、これは断れないことだったようだ。我が家も一時間ほどの間だったが多くの人が葬儀の開始を待つのに使われた。

 

 農村にある私の親戚の方でも同じようなことだったようだ。農村の風習が市街地の中に入り込んでたはずだから当然であろう。しかし、農村でわたくしの知る人は、この差配がうまくてかつ大好きな人であった。小さいころ私も葬儀に参加しないといけないことがあった。そのあと全員に酒肴が供せられる。ひどく陽気な会話がそこで話される。いままで神妙な顔をしていたのは、何だったんだ。この人々は、葬式を楽しみにしている風に見える。そこでは、「あのひとうまいな」「ホンマ好きやねんで」という会話がなされていた。あのひととは、この差配のうまい人のことだろう。

 この人は道ですれ違ったクワを担いだ人に「お前んとこのババこの頃顔見ないな。」と弾んだ声で尋ねる。クワの人は、「いや家の中で元気にしてるで。」と答える。この差配の好きな人は、これを聞いてひどくがっかりした表情であった。

 漢の高祖劉邦を助けて、国の礎を作るに功あった蕭何も葬儀の段取りのうまいひとであったらしい。葬儀の段取りがうまいくらいであの巨大な国の政治ができるものかと今でも思うのは、このがっかりした差配のうまい人はとても蕭何のように見えなかったからです。それとも案外単純なことで、漢のような巨大な国が運営されていたのかとも思う。


読書反省文③  読書の家は富貴の家 詩経

2022-09-28 15:19:34 | 日記

読書反省文③  読書の家は富貴の家 詩経

日本の旧首相官邸の屋根には、フクロウの像が並んであって、私は小さいころなぜ鷹とか鷲のようなもっと強そうなのにしないのか不思議に思っていた。または 鶴のような優美なのでもいいけどと思っていた。

やっと見つけた。詩経にフクロウは災害がおこる何年も前から、巣を災害に対応できるように手入れするとあるらしい。(詩経の原典を見ていないのでらしいと書いておきます。)昔の人はそれを見て、自分たちも準備したと推測される。その言い伝えが詩経に残ってるんだろう。なるほど首相官邸にふさわしい鳥で、この建物は明治時代につくられたんでしょうけど明治の人の教養に驚く。

 同じような話が、永井荷風の断腸亭日乗にあって大空襲の朝つばめが一斉に居なくなったとある。ことさらに奇談によって世間の耳目をあつめるのを目的とした文章ではないので、これは本当なんだろう。自然災害を動物がその本能で予知するならわかるけど、空襲のような人災まで予知できるんだから、つばめの本能はなかなかなものと思われる。

 フクロウやつばめのような能力を是非いただきたいと思う。災害から逃れられるだけではない。どの会社へ就職するかとか、もっと言うと今晩何を食べるかまでこれによって決めると良いことが起きそうな気がする。

 昔、芥川龍之介の本を読んでいると「運命は性格の中にあり。」との格言が書いてあってさすが偉い人はいいこと言うなと思った。それというのもそのころ私はどうも自分の運命が宜しくないような気がしていた。同時に周囲から「あんた性格悪い。」と言われていた。ここまで証拠が揃うとこの言葉は実感を伴って正しいのではないかと思える。その後、その言葉の出典が中国の古い俚諺であると聞いて、なーんだと思ったが次のように考えられないか。

俚諺にせよ詩経にせよ古い時代の人類は、まだ言葉を使って考える前の本能の記憶を記録したものではないか。だったら俚諺とか詩経に限らないけど古くに書かれてその後もこれは良いんじゃないとされて語り継がれてきた言葉をもっと大事にするのがうまく世渡りするのに必要じゃないか。

つばめやフクロウに聞くわけにもいかないからせめて古典に聞きたい。


昭和が戦後であったころ ⑤ お米屋さん

2022-09-28 11:21:02 | 日記

昭和が戦後であったころ ⑤ お米屋さん

昔は半径数百メートルくらいを商圏としてお米屋さんがあった。お米屋さんは町の中心であった。時々、米俵を積んだトラックが横づけされて、頭から肩にかけて黒い布をかぶった男の人が二人くらいで米俵を運び込んでいた。一人一俵を肩に担ぐのは難しそうだけど、歩く距離はそんなに長くない。米屋の裏にある蔵までせいぜいが20メートルくらいだろう。米屋の主人は、毎日米俵を店先に戻してから精米機に移して精米するが、どういう構造なのかずいぶん上の方から米を入れねばならないから、主人の方が重労働に見える。精米機は一日中動いていた。ただ、精米の質は悪く当時のお米には小石が混ざっていることが多かった。

カラになった米俵は、店先でポンポンと叩いてくっついていた米粒を落とす。そうすると雀が一斉に飛び降りてくる。この米粒が目当てかどうか知らないがつばめも店先に巣作りする。よくつばめが巣作りするのとその家は栄えるというが、どうも因果関係がさかさまではないか。栄えている家の余慶を狙って、つばめが巣作りするように見える。このことから推察するに、家の前に時々米粒を撒くとつばめが巣を作ってくれそうである。しかし、それはすでに家が栄えている証拠であってこれからさらに栄えるという保証はない。しかし、それだけの余裕があってさらに家業に精をだすと繁栄を持続することは可能だろうから、この昔からの言い伝えは本当と思われる。昔の人の観察は正確だけど因果関係が逆になっていることもありそうだな。

精米されたコメは、近所のおばさんが空になった米櫃(といっても20リットルくらいの何の変哲もない蓋つきの缶)を持って行ってそこに半分強入れてもらって持ち帰る。主人は大きな多分一升は入るかと思われるマスに米を入れて、棒で擦り切れ一杯にしてから米櫃に移す。帰りは、おばさんが持ち帰ることもあるが、米屋の息子が担いで各家まで配達することもある。米屋の奥さんは、ボールペンのない時代なので万年筆ではなくインク壺に浸したペンで台帳にそれを記入する。奥さんの机には、インク壺を置くための場所が丸く削り取ってある。ちょうど飛行機や新幹線のテーブルのようにである。米屋の支払いは、多分年2回であったと予想される。事実上の金融の仕事もしていたのと同じに見える。米屋の奥さんは町内の各家の経済状態も知っていたに相違ない。さらに買う際には米穀手帳を持って行くことが必要であったらしいが、詳しくは知らない。

きっと江戸時代もその前も同じであったろう。市中に現金が無くても人々は生活できた。

どこの米屋さんの店先にも同じ政治家のポスターが張られていた。やがてスーパーができて、街の八百屋や魚屋が皆お客を取られて廃業しても米屋さんだけはスーパーが米を扱わないので安泰であった。しかし、そのポスターの政治家が引退をしたころ、スーパーが米を扱いだして街のあちこちにあった米屋さんの多くは姿を消した。このことは新聞に載らなかったが、ことが終わってからそういうことかと納得した。頑張っても十年二十年なんだなと分かった。


読書反省文②  読書の家は富貴の家 内藤湖南

2022-09-27 12:30:38 | 日記

読書反省文②  読書の家は富貴の家 内藤湖南

 むかし、陳舜臣の「中国の歴史」を読破しようと試みてほぼできたんですけど、電車の中とかで読むもんだから全く頭に残らなかった。それより小説家の本だから誰それがどうしたということを詳しく書いてあるのでそれに囚われて背景が分からない。それに王朝が変わるごとに同じような事件が繰り返されるので、今読んでいるところが宋王朝なのか明王朝なのかついにはわからなくなってしまうということまで起こってしまった。

 その後宮﨑市定の「中国史 上下」(岩波全書)を読んで、やっと蒙を啓くことができた。同じことを繰り返していない。各王朝は違う背景をもち違うことをやっている。市定さんの本は面白かったし論理的に書かれているので分かりやすいのでずいぶん読んだ。この人の先生である内藤湖南はもっと面白いかもしれないと思って岩波から「中国近世史」を買ってきて読んだ。

 私は他のことはさっぱり呑み込みが良くないが、本はかなりの速さで読む自信がある。それがさっぱり読めないので困った。しばらく置いておいてまた再開することを何度も繰り返してとうとう読みきることができなかった。かなり長い時間反省をしてやっと理由がわかった。

この本は口述筆記なので文章のリズムが普通の文とは全く異なる。頭にスーと入らない。ちょうど古い神社の階段を上るようなもので、現在の建築基準法に基づいていないからやたら高い段があるかと思うと次のは低くなっていて歩きづらいのである。現代の散文でさえもリズムがないととても読みにくい。落語を口述筆記した本はまだ読めるが、学者先生の口述を読むのはよほどの努力がいる。

さらにいろいろ考えた。この講義がなされたのは大正末年であるが、その数年後には満州事変が起きている。当時の時代の空気は、その是非はともかくとして日本は植民地拡大しないとやっていけない一辺倒だったろうと想像される。そこでこの講義がなされたのなら、ここへ赴任する軍人さんだけでなくここで一旗揚げようとする実業家までもがこぞって興味を持つはずである。そういう講義だったのではないか。相手側をここまで調べるのは勉強熱心であった。そのくらいでないと一旗は絶対上がらない。よく言われている日本の行き当たりばったりの拡大ではなかったのではないかと推察される。

この時代背景での講義だから、今の私が読んで読みにくいのである。そういう興味が無いのであるから。文のリズムだけの問題ではなさそうだ。本は今の自分が興味のあるものを読まねばいけない。

 

ところで、その後日本は対米戦争するけど戦争の前に、米国近世史の講義をしたのかな。多分してないと思う。当時の日本は、何も孫子さんにお出ましいただき喝破していただかなくとも当然やるべき勉強をしていなかったような気がする。


読書反省文① 読書の家は富貴の家 西遊記

2022-09-27 10:51:46 | 日記

読書反省文① 読書の家は富貴の家 西遊記

 まだ香港が中国に返還される以前の香港の街を歩いていて、見上げないと読めないくらい大きな派手なネオンサインで「読書の家は富貴の家」と書いてあるのを見て感心したことがあった。日本でこのキャッチコピーでは絶対売り上げ落としてしまいそうだけど、この分野に特化した出版会社の看板にいいのではないか。

 わたしは少しは本を読んだつもりであるが、読んだ本がいけなかったか読み方がいけなかったか、富貴の家にはこれからであって今のところまだなっていない。そこでここを反省しながら感想文(反省文)を書きたいと思う。

 

 小さいころから西遊記 水滸伝 三国志演義は大好きであった。高校に行ってから金瓶梅を図書室から借りてきて挑戦したが最初読んだだけで退屈して放り出して以後一遍も挑戦していない。三奇書は読破したけど四奇書はどうやら無理の様子である。

 このうち水滸伝は、滝沢馬琴が里見八犬伝に翻案しておおいに売れたであろう。もっともこの挿絵は北斎であったというからどちらの功績であるかははっきりしない。三国志演義は、講談本の原型になって広く売れたと想像される。金瓶梅も何かの原型になっていると考えられるがこれは知らない。

 むかし高校生の時漢文の教師が「千年以上前の古典を読め。新刊書はいけない。」と力説していた。そりゃ皆新刊書読むようになったらあんたの商売成り立たないもんなと皮肉な目で見ていたが、こう並べてみると売れた古典を翻案して現代風の物語にするのは、いい仕事になるのかもしれない。

 テレビドラマの水戸黄門は、見ることが無かったがつい最近再放送を見て突然思いついた。これは、西遊記を下敷きにしたもんだ。西遊記でも黄門でも旅をしながら悪人をやっつける。悪人は孫悟空猪八戒または助さん格さんによっていいところまで追いつめられるが、最後の詰めは観音さんまたはご隠居が、何かの霊力のある印を示すことで行われる。悪人は退治ではなく、改心することでその町または村が平穏になる。三蔵法師は主要な登場人物ではなく、水戸黄門では三蔵法師と観音さんをご隠居一人で兼ねている。遺憾ながら沙悟浄は、黄門様には出演されていない。

 思うに、昔の中国の農村には近くの山に山賊が巣くっていて時々荒らしまわる。これを退治してもまたその山には別の山賊が住み着くことを繰り返していたに違いない。山賊が改心することは切なる願いであったと考えられる。同様に当時の日本の職場には、派閥対立が激しく一方は他方を敵悪人とみなしていた。なんとか平穏のうちにこの敵悪人を改心させたいとお互いに願っていたと考えられる。

 ここに目を付けた水戸黄門の制作者は、実に慧眼であったと思う。昔の中国の農村と当時の日本の職場がよく似た困りごとを抱えていれば、よく似た物語がヒットするはずである。古典を読むときには、その古典がどういう人々に書かれてどういう立場の人々に支持されたかまでを読み解かねばいけない。そうしてそれが現代の人々のどの部分にどういう相似形で表れているかを見ぬかねばいけない。ああ面白かったとか、さすが古典には立派なことが書いてありますでは、とても富貴の家にはならないと考えられる。

 無条件で立派な文章というのはこの世の中にはないのである。