ロリータ
1962
Stanley Kubrick スタンリー・キューブリック
ロリコンの大学教授(ハンバート教授)が下宿先の小娘(ロリータ)に振り回される哀れなお話です。
ミステリー風味。
レビューやら解説なんかでは「ロリータ(役名)の小悪魔的な魅力故のハンバート(役名)が陥る禁断の愛を描いた官能的な作品」とか書かれているんですが、それは違うでしょう。
まず、ロリータが可愛くない。
ジャケットも既に可愛くない。
この部分で今まで観ることが出来ませんでした。
ただのハイティーンの女の子なだけで、大人をも惑わす魅力というのが現れていません。確かにちらほらとそういうシーンがあるはあるんですが、それもどの映画にも存在する程度です。特筆するようなポイントではありません。
むしろ、ハンバートのピンポイントの好みにハマッたという設定のために、そこまでの美少女を配置しなかったということなんでしょうか。
しかし、コレでは響かない。少なくとも映画を観る者全てが引きずり込まれるくらいの美少女を配置すべきでは。
強いてピンポイントで言えば手の質感だけ。
ハンバートの一方的なあこがれではなく、ロリータからの愛情表現も描かれてしまっている。むしろ、誘ってるし。
後にファザコンだということも判明。
悪いのはハンバートだけじゃないというよく分からない結末。
こうするとただの男女のもつれ話になってしまいます。
大学教授という設定のハンバートが頭悪そう。
教養と分別を持った大人とは思えない行動。もしかしたら「大学教授」というよく分からない人種にすることで常人とはかけ離れた思考が故のロリコンという趣向という複雑な構造を持ってきたかったのかもしれません。現在のようにポピュラーな言葉が無かったわけですし、むしろその性癖自体に好奇の視線は合ったかもしれないけれど、そこまでの軽蔑は無かったのかもしれません。
ソレにしてはド頭から馬鹿丸出し。
ちなみに、ロリータ・コンプレックスという言葉は本作の原作であるウラジミール・ナボコフの「ロリータ」(1955 パリ)に由来するそうです。
女が全部ウザイという驚異的な世界観。
もしかしたらキューブリック監督の女性観なのかもしれません。この描き方は、ある意味マザコンと言えるかもしれません。
ウラジミール・ナボコフ原作はどうだったんでしょうか。長々と各登場人物のキャラクターを描写する「ロング・グッドバイ」の様な描き方であったのならば納得です。
結局、どこにも感情移入できず、ブラックユーモアにも悲劇にも徹していない。
恐らく少女偏愛のハンバートの転落を描く作品だったのかもしれません。
ハネケ監督の
「ピアニスト」の様な視点に近い。
この「どこにも感情移入させない」というのが「博士の異常な愛情」以降の作品に共通しています。
「人間の特定の性質を描くドラマ」というものと「引きまくりの視点のキューブリック節」が一致していなか感があります。
たまにはこういうこともあるんでしょう。