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マンガ【預言者ピッピ】(2回目)

2007-12-10 00:44:52 | 映画
 
 
預言者ピッピ
1999~未完(現在第一巻発売中)
地下沢中也


同じ作品で2回目のエントリになりますが、本作はやはり是非とも読んでいただきたい作品。
以前のエントリはこちら

お話は、的中率100%を誇るが「願うこと」が出来ない地震予知ロボット(人工知能)が、自分の友達のために「願うこと」ことを願うというパラドックスです。
この「自分が願うことができないもどかしさ」がとても響く。
「願うこと」ができるというのはとても素晴らしいことだ、と。
第一話にそのあたりが集約されてますが、もの凄い密度です。



マンガからスキャンして勝手にトレーラーを作ってみました。
預言者ピッピ Trailer


※楽曲は私の友人のバンド霞町ファンクのthe end of the worldです。

映画【萌の朱雀】

2007-12-09 23:47:17 | 映画


萌の朱雀
1997
河瀬直美


97年のカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)作品。
河瀬監督は「殯(もがり)の森」で2007年のカンヌでグランプリ(審査員特別大賞)を受賞したことでご存じの方も多いでしょうか。


本作はストーリーをちゃんと理解して、というタイプの映画ではありません。
劇映画であってその役割を解説する台詞やナレーションなどが一切ありません。
ジャケ裏のあらすじはきっちり読んでからの方が良いでしょう。
何が何だか分からなくなること必死です。
一瞬の人間の表情を撮るような作品なので意図的にストーリー展開を排除したということもあるのでは。
「インランド・エンパイア」で途中退場した方や、話の展開が分からないともの凄くフラストレーションがたまってしまう方は遠慮した方が良いかと。


質感が全て、16mmフィルムで撮影された粒子の粗い映像と8mmフィルムの素朴な質感がとても効果的。
むしろズルイと思うほどに。

フレームの切り方がフォトグラファーの川内倫子さんの写真集の質感に近い。
本作のキャメラは田村正毅さんという方。このキャメラ無しにこの作品は無かった。
どうも好きだと思ったら、青山真治監督の「Helpless」「ユリイカ」「サッドヴァケイション」でもファインダーを覗いています。
決まっているのか決まっていないのか分からない不思議なフレーム。


誰かの、もの凄くプライベートな部分を観てしまった様な映画です。

映画【ロリータ】

2007-12-08 23:51:33 | 映画
 
 
ロリータ
1962
Stanley Kubrick スタンリー・キューブリック


ロリコンの大学教授(ハンバート教授)が下宿先の小娘(ロリータ)に振り回される哀れなお話です。
ミステリー風味。

レビューやら解説なんかでは「ロリータ(役名)の小悪魔的な魅力故のハンバート(役名)が陥る禁断の愛を描いた官能的な作品」とか書かれているんですが、それは違うでしょう。
まず、ロリータが可愛くない。
ジャケットも既に可愛くない。
この部分で今まで観ることが出来ませんでした。
ただのハイティーンの女の子なだけで、大人をも惑わす魅力というのが現れていません。確かにちらほらとそういうシーンがあるはあるんですが、それもどの映画にも存在する程度です。特筆するようなポイントではありません。
むしろ、ハンバートのピンポイントの好みにハマッたという設定のために、そこまでの美少女を配置しなかったということなんでしょうか。
しかし、コレでは響かない。少なくとも映画を観る者全てが引きずり込まれるくらいの美少女を配置すべきでは。
強いてピンポイントで言えば手の質感だけ。

ハンバートの一方的なあこがれではなく、ロリータからの愛情表現も描かれてしまっている。むしろ、誘ってるし。
後にファザコンだということも判明。
悪いのはハンバートだけじゃないというよく分からない結末。
こうするとただの男女のもつれ話になってしまいます。

大学教授という設定のハンバートが頭悪そう。
教養と分別を持った大人とは思えない行動。もしかしたら「大学教授」というよく分からない人種にすることで常人とはかけ離れた思考が故のロリコンという趣向という複雑な構造を持ってきたかったのかもしれません。現在のようにポピュラーな言葉が無かったわけですし、むしろその性癖自体に好奇の視線は合ったかもしれないけれど、そこまでの軽蔑は無かったのかもしれません。
ソレにしてはド頭から馬鹿丸出し。

ちなみに、ロリータ・コンプレックスという言葉は本作の原作であるウラジミール・ナボコフの「ロリータ」(1955 パリ)に由来するそうです。
女が全部ウザイという驚異的な世界観。
もしかしたらキューブリック監督の女性観なのかもしれません。この描き方は、ある意味マザコンと言えるかもしれません。
ウラジミール・ナボコフ原作はどうだったんでしょうか。長々と各登場人物のキャラクターを描写する「ロング・グッドバイ」の様な描き方であったのならば納得です。

結局、どこにも感情移入できず、ブラックユーモアにも悲劇にも徹していない。
恐らく少女偏愛のハンバートの転落を描く作品だったのかもしれません。
ハネケ監督の「ピアニスト」の様な視点に近い。

この「どこにも感情移入させない」というのが「博士の異常な愛情」以降の作品に共通しています。
「人間の特定の性質を描くドラマ」というものと「引きまくりの視点のキューブリック節」が一致していなか感があります。
たまにはこういうこともあるんでしょう。

映画【眉山】

2007-12-07 23:46:25 | 映画
 
 
眉山
2007
犬童一心


ビックリするほどのまっすぐな映画です。
変化球一切無し。
覚悟していたとはいえ、驚きです。

犬童監督、元CMディレクターとは思えぬ全編への力配分。往々にしてCM出身の監督は、ある1シーン・1カットに愛情を込めすぎるものです。
逆に言えば、映像ならではの演出が少なかったのかもしれません。けれども、作品のテーマはこの方法で伝わります。

ただ、脚本がフラットすぎ。細かい描写は生きているのですが、その演出部分と作品のテーマに距離があると感じました。
演出と脚本が乖離してしまっています。
お話の部分はほぼ原作の力では。
本作の脚本家の山室有紀子と言う方は以前ボロクソに書いた「タッチ」の脚本家でもあります。まぁ、あれは誰がどう書いてもあぁなるのはやむを得ずのハズレくじ。
日常を描く様な低予算モノには向いているのかもしれませんが、ある意味ベタな作品には向いていない気がします。

ついでに言えば、松嶋菜々子の手がゴツすぎ。
松たか子でやってほしかった作品です。


さだまさし原作の前作「解夏」(磯村一路監督)よりも、更にソリッドに磨き上げられた国産映画の正しい方向。
こういう作品はたまに観ると良いものです。
地方都市モノに弱いです。

映画【アルゼンチンババア】

2007-12-06 22:42:47 | 映画
 
 
アルゼンチンババア
2007
長尾直樹


薄い。
好きな感じの映画のはずなんですが、なんか薄い。
「家族をほんのり優しく表現したファンタジー映画」なのかもしれませんが、その部分が上手いこと描けていません。
やっぱりこういうのは文芸の方が得意のようです。
長尾監督にこの部分を描くことのできる素養がなかっただけかもしれませんが。

原作は未読ですが、よしもとばななは希代のストーリーテーラーだと思っています。
悔しいので読んでみます。
「デッドエンドの思い出」は名作です。是非。

堀北真希が美少女なのは良いんですが、残念なことにあまりにもダイコン。
カワイイだけじゃ映画にならんのですよ。
役所広司との温度差が激しすぎます。
CMだけ出てれば良いのでは。

意味の分からない映画でした。
堀北真希のPVとして観るならオッケーです。

映画【パッチギ!LOVE&PEACE】

2007-12-05 23:07:33 | 映画
 
 
パッチギ!LOVE&PEACE
2007
井筒和幸


前作の「パッチギ」が「より説教くさくなって帰ってきましたよ」と言う感の本作。
この映画はキライです。

毎度の独断の感想ですが、こういう描き方をすると余計に差別を助長してしまうということが分からないほど井筒監督は頭が不自由なんでしょうか。
もしくは差別を助長する為の悪意で制作されたのか。
反日プロパガンダなんでしょうか。
むしろ差別を強調しすぎて反在日プロパガンダの様にすら見えてしまう。

前作ではストーリーが展開すればするほど民族とか差別とかがどうでも良くなるという計算されたかのような構成に好感が持てたんですが、それは買いかぶりだったようです。テーマを忘れてしまただけだったんですね。


この映画の最も愚かな部分は、一人の人間を描くことが出来ないために、家族という集団にアウトフォーカスして、さらに描ききれなかったがために在日朝鮮人へとさらにアウトフォーカス。意味の分からない人間模様を描くことになってしまった。誰の映画だったんだ?という疑問が全開です。

プロパガンダをやりたいのなら別のやり方でやれよ、と。
前作への賛辞は撤回。
2百万歩譲って「全ての人間が死ぬまで生きる権利を持っている」という想いを描くのであればこうじゃないだろう。
っつうか、Peaceはどこにあったんだろうか。

殴り合いケンカだけ撮りたいなら撮ってればいいけど、中途半端な思想で映画を撮らないで欲しい。
映画はプロパガンダの道具じゃないし、まして個人の思想を伝播させるためのモノでもない。
映画は監督のモノじゃなくて、観る人のモノだということ根本的なことが分かっていない海馬ドロドロの人が撮った映画です。
他の映画をグダグダ言うのは別に構わないけど、これは無いわ。

映画【バーバー】

2007-12-04 23:55:00 | 映画
 
 
バーバー
2001
Joel Coen (ジョエル・コーエン)


久々にコーエン兄弟の作品を観ました。
近年珍しいくらいの映画作品としての良心が詰まった作品です。
映画を映画として撮っています。
オリジナルのモノクロで観るのがオススメ。
どうしてカラーのバージョンが出ているのでしょうか。謎です。

ある小さな床屋の無口な冴えない理髪師の奇妙な運命を映画板作品。
サスペンス風味。
実直すぎる男のちょっとした冒険が招く一時の波瀾万丈。その結果の破滅をモチーフとした作品です。


BRUTUS 2007年 12/1号での映画特集ではブラックユーモア作品として紹介されていたのですが、その「ユーモア」を日本語で言う「滑稽」という言葉に置き換えたんですね。「笑い」ではなく。
多分、日本で言うユーモアというのは笑いに直結してしまっていて、そこに欧米とはズレがある様です。
ユーモアというのはセンスに因るところが大きく、何をしてユーモアと捉えるかに人の質が見える気がします。
行き過ぎたユーモアはグロテスクな見せ物小屋に帰結してしまうのかもしれません。
テレビ芸人の様な中途半端な揚げ足取りで笑える方が幸せなのかも。
本作はそこまで行っていませんが、その境地に行ってみたい気もします。

本作では随所に主人公の滑稽さが現れていますが、それをして笑いにはなりませんでした。私には。考える(理解する)ことが先に立ってしまい、それを一瞬でユーモアと捉えることができませんでした。


中盤で急に面白かったのが、極端に無口な男の話であるのに、全編がその男のモノローグで構成されていること。「超饒舌じゃん!」ということに気付いた瞬間でしょうか。
もしかしたら、それだけを狙った作品なのかもしれません。

けれども、その寡黙で不器用な男の描き方に、人を描くことに長けたコーエン兄弟の技量がゴリゴリに効いています。

17才のスカーレット・ヨハンソンのぎこちなさも絶品。その筋の方にも楽しめる作品です。


コレは好き。

映画【転々】

2007-12-03 23:49:50 | 映画
 
 
転々
2007
三木聡


「図鑑に載ってない虫」DVDがリリースされたばかりの三木聡監督最新作。
たいした額じゃない借金まみれの男が、元借金取りに100万円で東京散歩につきあわされる、だけのお話。
なんですが、映画としての良心が見える作品です。
今回は笑いに走りすぎず(もちろん笑いあり)。

「図鑑~」よりも全然映画になっています。
不自然さが役者の力によって解消された感もあり、脚本も丁寧に書かれています。
人の想いを描こうとしています。
オダギリジョーのモノローグがフリで映像がオチというコント的な構成は三木監督の手法だとは思うのですが、ちょっと鼻につきます。

本作に感じたことは、笑いというオブラートに包んだ照れかくしの優しい映画だということでしょうか。
ラスト付近のオダギリジョーの微妙すぎる表情がこの映画の本質なのでは。
三木監督はやや肌に合わない感アリですが、本作は小さな良作です。

映画【それでもボクはやってない】

2007-12-02 23:08:18 | 映画
 
 
それでもボクはやってない
2007
周防正行


手法としては「映画で分かる!間違った裁判」というもの。
「司法の間違いキャンペーン」という意味ならば映画でやる必要は無かったのでは。

映画というのは下敷きが無ければドキュメントとは捉えられず完全なフィクションとして捉えられてしまうモノです。
本作の危険性は正にそこで「結局映画だしね~」ということになってしまう恐れが満載。
周防監督や制作サイドとしてはある種のジャーナリズムで「映画で出来ること」という意識でやったのかもしれませんが、その思惑がどこまで届くのか。
なんか、揚げ足とりにしか見えない。

本作自身が描いていることと全く同じ危険性を本作が孕んでいて、取材に取材を重ねた結果の作品なんだろうけど、結局誰か一人の理解が絶対となってしまう。映画の場合は監督でしょうか。
裁判の仕組みと全く同じじゃないですか。
結局監督が原告と被告のどちらを主とするかで描き方は全く違うモノになってしまいますね。本作の場合はもちろん冤罪で起訴された被告。
これを「どこにも当事者はいない」という黒澤明の「羅生門」的な描き方をしたら作品としてもっと面白かったと思うんですが。
「明文化された客観は事実である」という思いこみが招くブラックホールに陥った作品です。

この冤罪というテーマを「作品」として扱ってしまったことそもそもの間違い。
もっと「想い」を排除してクールに描くべきではなかったんでしょうか。
映画としてはあるまじき揚げ足取りのマスコミっぽい体質の映画です。
っつうか、映画じゃない。

司法を悪としてしまったらこの国はどうなってしまうのか。
裁判を「バカバカしい」と描く意味はあるのか。
そう描いた責任は誰が取るんでしょうか。

映画【水の女】

2007-12-01 23:50:27 | 映画
 
 
水の女
2002
杉森秀則


迂闊でした。
この作品は好きです。

全く以て偏見で、役者ではないUAが主演とういうことでちょっと敬遠していたんですが、表現としてものすごくマッチしています。
というか、よくもココまでやったなという感もあり。
浅野忠信の存在はやはり恐るべし。
役者頼りの感は否めませんが、役者あっての映画なんですから、そこは含めて良し、です。

本作はもと評価されて良いはずだし、もっと観られていいはずです。
本当に珍しいパターンですが、全ての登場人物の台詞がとりとめもない散文詩の朗読を朗読しているかの様なスタイルなのにも関わらず映画として成立している。
テーマとして何を訴えたいのか分からないけれどもなんか響く。
2年くらい経って何かが繋がりそうな映画です。
誰かの生活を俯瞰して捉えて分かったような気になる映画ではありません。
役者と鑑賞者の目線が同じであるような感覚です。

杉森監督の劇場公開映画が本作しかないというのはもったいない。
脚本・編集・監督というゴリゴリの作家性を持った作品。
「好きだ、」とか「トニー滝谷」に近いテイストです。
並べてみて分かったのですが、本作を含むこれらの作品の映像はとても二次元的。悪く言うと奥行きがない。良く言うと絵画的。映像が誰か個人の思考の中で完結している感があります。
杉森監督の場合は編集命という感じでしょうか。
好きな方にはゴリっとはまる表現。

例えて言えば「間口の広い塚本晋也監督」もしくは「押しつけがましくない青山真治監督」といったところ。
わりとポピュラーな作品とも言えるので、あんまり敬遠しないで観ると良いかもしれません。

最近のマーケティング臭がプンプンする映画に辟易している方には特にオススメです。