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映画【それでもボクはやってない】

2007-12-02 23:08:18 | 映画
 
 
それでもボクはやってない
2007
周防正行


手法としては「映画で分かる!間違った裁判」というもの。
「司法の間違いキャンペーン」という意味ならば映画でやる必要は無かったのでは。

映画というのは下敷きが無ければドキュメントとは捉えられず完全なフィクションとして捉えられてしまうモノです。
本作の危険性は正にそこで「結局映画だしね~」ということになってしまう恐れが満載。
周防監督や制作サイドとしてはある種のジャーナリズムで「映画で出来ること」という意識でやったのかもしれませんが、その思惑がどこまで届くのか。
なんか、揚げ足とりにしか見えない。

本作自身が描いていることと全く同じ危険性を本作が孕んでいて、取材に取材を重ねた結果の作品なんだろうけど、結局誰か一人の理解が絶対となってしまう。映画の場合は監督でしょうか。
裁判の仕組みと全く同じじゃないですか。
結局監督が原告と被告のどちらを主とするかで描き方は全く違うモノになってしまいますね。本作の場合はもちろん冤罪で起訴された被告。
これを「どこにも当事者はいない」という黒澤明の「羅生門」的な描き方をしたら作品としてもっと面白かったと思うんですが。
「明文化された客観は事実である」という思いこみが招くブラックホールに陥った作品です。

この冤罪というテーマを「作品」として扱ってしまったことそもそもの間違い。
もっと「想い」を排除してクールに描くべきではなかったんでしょうか。
映画としてはあるまじき揚げ足取りのマスコミっぽい体質の映画です。
っつうか、映画じゃない。

司法を悪としてしまったらこの国はどうなってしまうのか。
裁判を「バカバカしい」と描く意味はあるのか。
そう描いた責任は誰が取るんでしょうか。