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PV【閃光少女】東京事変MV

2007-12-22 01:03:54 | 侃々諤々
 
 
閃光少女
2007
児玉裕一


東京事変「閃光少女」のPVを観て思ったことを少し。
既に随分話題になっている様ですので、知っている方も大勢いらっしゃるかと。
まずはこちらの映像をご覧下さい。
たったの2min58secです。

東京事変 - 閃光少女




何とも思わなかった方は以下読まないでください。
ただの変態だと思われかねないので。ソレはソレで構いませんが。







好きとか同意とか越えて驚いてしまった。
映像が音楽を補完したり、何かを加えるのではなくて、歌詞が聞き取れなくてもイメージとして押し寄せる。
アーティストが一瞬も映らなくても全て繋がっています。
久々に国産でオマケではないPVを観ました。

ディレクターは児玉祐一(32才)。
編集は正直ベタなんですが、そのベタさ故の気持ちよさもあり。
一瞬で焼き付けるためのカイル・クーパー直系の手法。
で、焼き付く彼女たちの表情(顔だけじゃなく)。
コンテから計算でやっていたとしたら、ドエライ演出家がいたもんです。



彼女達を観て欲情するのではなく、ただただその様に見入る。けれども何が起こっているのか分からない。
これは映画「花とアリス」「リンダリンダリンダ」にも通じるもので、少女達の持つ私たちには絶対に分からない情動を翻訳してくれた数少ない映像なのだと思います。
翻ってみれば私たちの持つソリッドな少女への理想像でもあります。
コレは現代の「萌え」ですね。

クラスに一人はいた何を考えているか分からない(恋愛沙汰から距離があるように見える)あこがれの美少女が、そのとき何を考えていたのかということの一つの理解なのでしょうか。
彼女たちは『その瞬間』しか生きていなくて、打算など無く、異常なほどに直線的だったのでしょうか。

たまたま見つけたこちらのブログではこの対峙する2人の少女に「『死』の臭いを感じる」とのこと。
なるほど。
「その対立によって結びついている」というヘーゲルの弁証法的な『死』をモチーフにした『生』の解釈ともとれます。
意図的にトーンを落として、表情があるのはド頭の息を呑む一瞬カット。そして踵を返して走り出した瞬間。
多分、演出上では「無表情で」というのがあったと思うのですが、しかし節々に漏れてしまう彼女たちの表情。
そして、走る様に隠しきれない漏れるような情感。
本作から『死』を感じるも、『生』を感じるも紙一重。
歌詞の物語性から言えば『死』でしょうか。
彼女たちはその一瞬後に『生きている』ことを考えていない。
これが正統な「萌え」なのか、どうなのか。
  ※古典における語義は「芽が出る」「きざす」「芽ぐむ」を示すとのこと。

上記の「何を考えているか分からない」のは、彼女たち自身にも「自分が何を考えているのか分からない」からだったではないのでしょうか。
以前、高校の同級生のある友人で、正に「何を考えているのか分からなかったあこがれの美少女」だった友人から「あの時は無意識だった」という談からの類推です。


瞬間に昇華してしまう、故に他人には決して捉えられない世界。
俗と純の無茶苦茶なミックスで一瞬の眩すぎる閃光を放つ少女。
その瞬間(ストップウォッチで計るような時間は関係なく)を完全にクローズで、例えば本作のような2人だけの世界に閉じこめてしまう。
暴力的なアプローチとすると大友克洋の「AKIRA」の覚醒状態の内側への強力な引力。
それを抽出し、凝縮し、また希釈し、作品にまで昇華できたのが近年では「花とアリス」「リンダリンダリンダ」そして「閃光少女」の3作品。
近いところにテリー・ツワイゴフの「ゴーストワールド」もあります。


「アンタ大丈夫か?」とお思いの方、安心してください。
私はこのテの病気です。それも重度の。


ちなみに児玉氏はUNIQLOCKの演出家でもあり。出てる女の子も同じ。

ちなみに、先日友人から「東京事変の『OSCA』のPVがヤバイ」とうことを聴いてYoutubeにて拝見したところ、気になるサムネイルから本作を発見。
テレビに接していなくてもこういうモノは向こうからやってくるんですね。
インターネットの浄化能力は凄いものです。