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神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

満足山 極楽院 妙行寺

2025-04-21 23:34:46 | 寺院

満足山 極楽院 妙行寺(まんぞくさん ごくらくいん みょうぎょうじ)。
場所:茨城県稲敷郡河内町生板4947-13。茨城県道68号線(美浦栄線)「小関」交差点から南東へ約700m(電柱に「妙行寺→」の案内板がある。)で左折(北東へ)、約450mで墓地のところから左折(北へ)して境内に入る(駐車場あり。)。山門は、その先の東側にあるが、門前の道路が狭いので、注意。
寺伝によれば、大同元年(806年)、満願上人が生板郷丸田不断所というところに開山したという。満願は、常陸国一宮「鹿島神宮」などの神宮寺を創建したという修験僧で(「神戸山 蓮華院 慈眼寺」2022年10月29日記事参照)、「満足山」という山号は満願に因むという。丸田不断所というのは現・「(旧村社)皇大神社」(当寺院現在地から北東約300m)の南側の場所であったようである。貞和元年(1345年)、第41世・忠海のとき現在地に移転した。文化9年(1812年)、火災に遭い、同14年(1817年)再建。江戸時代には「東叡山 寛永寺」(現・東京都台東区上野)の直末寺で、境内1580坪、末寺14ヵ寺あったという。昭和3年にも火災に遭い、本尊と過去帳は助け出されたが、その他の伽藍・寺宝は全て焼失したという。現在は天台宗で、本尊は阿弥陀如来。本尊の木造阿弥陀如来坐像は像高107cm、慶派の流れを汲み、桧(ヒノキ)材の寄木造で玉眼が嵌入されており、鎌倉時代の作とされる(河内町唯一の茨城県指定文化財)。他にも、平安時代(11世紀頃)の作とされる木造薬師如来立像(元は末寺「照明院 薬師堂」の本尊)、室町時代作の木像八幡三神坐像(いずれも河内町指定文化財)などを所蔵している。
蛇足:天台宗関東総本山「寛永寺」の直末寺は常陸国に14ヵ寺あり、旧・稲敷郡(現・牛久市、竜ケ崎市を含む)では江戸崎「不動院」(2022年6月18日記事)、小野「逢善寺」(2022年5月28日記事)、阿波「神宮寺」(2022年7月9日記事)と当寺院の4ヵ寺であった。当寺院の住職には「寛永寺」の勧学寮(当時の天台宗最高の学問所)から30歳前後のエリート学僧が派遣され、更に格式の高い寺院に転出する習わしとなり、「出世寺」とも称されたという。


河内町のHPから(木造阿弥陀如来坐像)

同(薬師如来立像)


写真1:「妙行寺」入口。寺号標と山門。


写真2:同上、南側からの入口、寺号標。


写真3:同上、本堂


写真4:同上、鐘楼


写真5:同上、地蔵堂。茨城百八地蔵尊霊場第71番札所となっている。


写真6:法華塔(生板三義人供養塔)。文化14年(1817)年、生板村など天領8ヵ村の農民が、凶作にもかかわらず重くなる年貢に耐えかねて、 江戸の代官邸及び勘定奉行所に門訴した事件があり、捕らえられて獄死した3人の指導者を供養するもの。 その後、代官は解任され、年貢は軽減されたという。塔高4.1mで、文政6年(1823年)建立。河内町指定文化財第1号。


写真7:「皇大神社」(場所:河内町生板5103)。何故か河内町内には「皇大神社」が多いが、この神社が(旧)村社。


写真8:同上、社殿。


写真9:同上、鳥居横のイチョウに見とれてしまった。じつは、「妙行寺」境内には河内町指定天然記念物のイチョウ(幹周4.2m、樹高38.5m)があるのだが、うっかり撮り忘れた。

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