舟塚山古墳(ふなつかやまこふん)。舟塚山古墳群16号墳。
場所:茨城県石岡市北根本597番地ほか。国道6号線と茨城県道118号線(石岡田伏土浦線)の「貝地」交差点から、県道を南下、約2.3km。県道沿いに「見学者用駐車場」がある。そこから、直ぐ手前(北西)のところに「史跡 舟塚山古墳」の石碑があり、そこから南西へ、約300m。なお、JR「高浜」駅からは徒歩約11分(約900m)。
「舟塚山古墳」は、恋瀬川が霞ヶ浦に注ぐ河口近くの台地上に築かれた前方後円墳で、墳丘長は約186m。これは、茨城県内で最大、関東地方でも「太田天神山古墳」(群馬県太田市、約210m)に次ぐ第2位の規模になる。墳丘は3段築造、前方部幅約100m、後円部径約90m、後円部高約11mで、盾形の周濠も巡らされていたとされ、これを含めた全長は約260mという大きな古墳である。後円部径に比べて前方部が長く、日本一の大きさで有名な「大仙陵古墳(仁徳天皇陵)」(大阪府堺市)に似た形であるという。墳丘の発掘調査は行われていないが、昭和47年の周濠確認発掘調査時に円筒埴輪が出土しているほか、付近の陪塚とみられる円墳からは木棺、短甲、直刀、楯などの副葬品が発見されており、築造時期は5世紀後半頃と推定されている。被葬者は明らかでないが、よほどの大豪族の首長であり、伝承では茨城国造の筑紫刀禰(天津彦根命の孫で、応神朝に茨城国造に任命されたとされる。)であるという。大正10年、国指定史跡に指定された。
石岡市のHPから(舟塚山古墳)
写真1:県道沿いに立つ「史蹟 舟塚山古墳」の石碑。古墳へは、この道を入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ad/c68439f1dd82ae08462900aa4efb71cf.jpg)
写真2:石碑のところから進むと、「舟塚山古墳」がこんな感じに見えてくる。墳丘は西向き。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/22/7f55e390e1c5cfc8aaf25aaa138674a1.jpg)
写真3:後円部西側に「鹿島神社」があり、その部分が少し削られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/67/b892aea95a7d99de748d83ce258452e7.jpg)
写真4:「鹿島神社」鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/51/e05e59a4e49d6f6a1f0bdbaa798ac4d5.jpg)
写真5:「鹿島神社」社殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c5/c53f6498906336698daf6206d39837df.jpg)
写真6:古墳上に上ると、北西方向に「筑波山」がきれいに見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/07/a16685a331939fe9cf440d413ba0c629.jpg)
写真7:後円部から前方部を見る。前方部南端が墓地になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/c1/dac65d4878107e71ca113c95b52e70f1.jpg)
写真8:前方部から後円部を見る。なんだかゴルフ・コースみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/55/567d4b5e51ea0e5e8dda5c01bfae255c.jpg)
写真9:同上
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/12/a6813051db768afaeaf17acf9c5897de.jpg)
写真10:古墳北側からみる。かつて墳丘全体が松林となっていたが、マツクイムシの被害で松の木がなくなったとのこと。
場所:茨城県石岡市北根本597番地ほか。国道6号線と茨城県道118号線(石岡田伏土浦線)の「貝地」交差点から、県道を南下、約2.3km。県道沿いに「見学者用駐車場」がある。そこから、直ぐ手前(北西)のところに「史跡 舟塚山古墳」の石碑があり、そこから南西へ、約300m。なお、JR「高浜」駅からは徒歩約11分(約900m)。
「舟塚山古墳」は、恋瀬川が霞ヶ浦に注ぐ河口近くの台地上に築かれた前方後円墳で、墳丘長は約186m。これは、茨城県内で最大、関東地方でも「太田天神山古墳」(群馬県太田市、約210m)に次ぐ第2位の規模になる。墳丘は3段築造、前方部幅約100m、後円部径約90m、後円部高約11mで、盾形の周濠も巡らされていたとされ、これを含めた全長は約260mという大きな古墳である。後円部径に比べて前方部が長く、日本一の大きさで有名な「大仙陵古墳(仁徳天皇陵)」(大阪府堺市)に似た形であるという。墳丘の発掘調査は行われていないが、昭和47年の周濠確認発掘調査時に円筒埴輪が出土しているほか、付近の陪塚とみられる円墳からは木棺、短甲、直刀、楯などの副葬品が発見されており、築造時期は5世紀後半頃と推定されている。被葬者は明らかでないが、よほどの大豪族の首長であり、伝承では茨城国造の筑紫刀禰(天津彦根命の孫で、応神朝に茨城国造に任命されたとされる。)であるという。大正10年、国指定史跡に指定された。
石岡市のHPから(舟塚山古墳)
写真1:県道沿いに立つ「史蹟 舟塚山古墳」の石碑。古墳へは、この道を入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ad/c68439f1dd82ae08462900aa4efb71cf.jpg)
写真2:石碑のところから進むと、「舟塚山古墳」がこんな感じに見えてくる。墳丘は西向き。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/22/7f55e390e1c5cfc8aaf25aaa138674a1.jpg)
写真3:後円部西側に「鹿島神社」があり、その部分が少し削られている。
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写真4:「鹿島神社」鳥居
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写真5:「鹿島神社」社殿
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写真6:古墳上に上ると、北西方向に「筑波山」がきれいに見える。
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写真7:後円部から前方部を見る。前方部南端が墓地になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/c1/dac65d4878107e71ca113c95b52e70f1.jpg)
写真8:前方部から後円部を見る。なんだかゴルフ・コースみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/55/567d4b5e51ea0e5e8dda5c01bfae255c.jpg)
写真9:同上
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写真10:古墳北側からみる。かつて墳丘全体が松林となっていたが、マツクイムシの被害で松の木がなくなったとのこと。
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