神が宿るところ

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西向地蔵尊(千葉県船橋市)

2013-10-12 23:55:35 | 史跡・文化財
西向地蔵尊(にしむきじぞうそん)。
場所:千葉市船橋市本町2。JR「船橋」駅前から南に約350m進み、「本町1丁目」交差点から西へ約200m。駐車場なし。
「西向地蔵尊」は、村人達が万治元年(1658年)に建てた地蔵尊像のほか、円西という僧が延宝8年(1680年)に建てた阿弥陀如来像、称誉という僧が元禄9年(1696年)に建てた聖観音像(いずれも石造)などが納められた小堂で、いずれの像も西向きに立てられていることから、その名がある。
船橋市の中心部である本町地区は江戸時代の「船橋宿」で、「西向地蔵尊」のある辺りがその入口であった。西側には、かつて本海川(山谷澪)という川が現・天沼公園付近から海に向って流れていて、河口付近は漁船の船溜りになっていた(本海川は今もあるが、殆ど暗渠になっている。)。そして、その川端(町外れ)に罪人の仕置場(刑場)があったという。だから、この「西向地蔵尊」は、「船橋宿」の出入り口を守るとともに、処刑された罪人の供養のためでもあったのだろう。
さて、「船橋地誌」の著者・長谷川芳夫氏は、古代東海道の「浮嶋」駅の擬定地を、旧「船橋宿」のうち旧九日市(村)とする。九日市は市川から延びる砂洲の先端だが、海神(村)との村境となっていた本海川によって分断されて島のようになっていた。これが「浮嶋」の名の由来である、とする。また、前項(「海神念佛堂」)で書いたように、海神付近には古墳や古い集落があって、駅家を維持し得るだけの人口があった、というのも理由の一つに挙げている。
ところで、現在のメイン道路は「西向地蔵尊」の北側を通っているが、ちょうどここで少しカーヴしている。古代東海道が直進したとすれば、南側を通るのだろうが、現在、その先に直線道路の痕跡はない。地図に直線定規を当ててみると、京成本線「大神宮下」駅付近を通り、同「船橋競馬場」駅の東側で、再び国道14号線に合流する。これが、古代東海道のルートだったのだろうと思われる。


写真1:「西向地蔵尊」


写真2:同上、海神側(西側)に少し引いて撮影。現在は地蔵堂の左を通るのがメイン道路で、その先を約900m進むと「船橋大神宮」(2012年12月1日記事参照)西参道に突き当たる。その先は「宮坂の切通し」であるが、これは徳川家康による東金街道の造成(元和(1615~1624年)頃に完成)によって開かれたものという。地蔵堂の右側にも道はあるが、直線道路の痕跡はみられない。
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