神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

王塚古墳・后塚古墳(茨城県土浦市)

2022-05-07 23:35:55 | 古墳
王塚古墳・后塚古墳(おうつかこふん・きさきつかこふん)。
場所:茨城県土浦市手野町2179-1(「薬王寺」の住所)。国道354号線「木田余跨線橋東」交差点から北東へ約600mの交差点を右折(南東へ)、茨城県道118号線(石岡田伏土浦線)を約130mで「薬王寺」入口。駐車場なし。古墳は「薬王寺」本堂裏山の墓地を挟むような位置にある。
「王塚古墳」と「后塚古墳」は、霞ヶ浦の桜川河口に近い、標高約22~25mの舌状台地に、約100mの間隔で築かれた2つの古墳である。王・后の名がついているが、被葬者は不明で、王とその后の墳墓かどうかはわからない。「王塚古墳」は前方後円墳で、墳長約84m、後円部径約45m・高さ約8m、前方部幅約25m(復元)・長さ約39m・高さ約3mという大きさとされ、土浦市内では最大の古墳という。前方部の幅が狭い手鏡型という比較的古い形式を示し、4世紀終末~5世紀前半の築造とされる。一方、「后塚古墳」は前方後方墳(前方後円墳とする説有り。)で、墳長約54m、後方部幅約36m・高さ約5.5m、前方幅約18m・長さ約18m・高さ約2.5mで、周溝もあったとされる。築造時期は「王塚古墳」と同時期だが、こちらのほうがやや早く造られたとみられている。いずれも発掘調査等が行われていないため詳細は不明だが、葺石や埴輪、土器片等は見つかっておらず、もともと設置されなかった可能性が高い。自然地形を活かして築造されたようで、「王塚古墳」は前方部が南東向き、「后塚古墳」は南西向きになっているのは、それぞれ、台地の先端を利用した結果らしい。ともに土浦市指定史跡となっており、築造時期・大きさ・所在位置等からしても重要な古墳と思われるが、樹木や竹が生い茂り、土砂がかなり流出してしまっているようで、保存状態がやや悪いのが残念。


写真1:真言宗豊山派「涌出山 宝蔵院 薬王寺」入口。堂宇は石段の上、台地の端にあることがわかる。


写真2:同上、本堂と六地蔵


写真3:同上、大師堂。向かって左手の石段が墓地参道で、古墳へはここを上る。


写真4:「王塚古墳」後円部。墓地の南側にある。後円部の北側から見る。ぱっと見は、大きな円墳に見える。なお、南側は本堂敷地としてかなり削平されている模様。


写真5:同上、目印になる「馬頭観世音菩薩」板碑(草が茂っていると、隠れてしまうが。)


写真6:同上、板碑の右手に墳頂へ上る道ができている。


写真7:同上、後円部墳頂の石祠(「天満宮」とのこと。)


写真8:同上、後円部墳頂。何となく円い感じがわかる。


写真9:同上、前方部を見下ろす。初めて巨大さがわかるが、前方部はかなり細長いようだ。


写真10:同上、後円部。北東側から見る。


写真11:「后塚古墳」。「市指定史跡 后塚古墳」石柱がある。墓地の北西側。


写真12:同上、後円部。北側から見る。


写真13:同上、前方部。南西部から見る。


写真14:同上、後円部墳頂。


写真15:同上、前方部を見下ろす。


写真16:同上、前方部はかなり低く、傾斜になっていて、土砂が流出してしまっているようだ。


写真17:同上、括れ部分付近。南東側から見る。木の根付近に供養塔らしき石材がある。


写真18:同上、後円部東側から前方部東側を見る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 常名天神山古墳 | トップ | 富士見塚古墳群(茨城県かす... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

古墳」カテゴリの最新記事