神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

衍応山 勝道院 仏生寺

2024-07-13 23:33:29 | 寺院
衍応山 勝道院 仏生寺(えんおうざん しょうどういん ぶっしょうじ)。
場所:栃木県真岡市南高岡259。茨城県道41号線(つくば益子線)から栃木県道・茨城県道119号線に入り、約2.9km(「仏生寺のけやき→」という案内板がある。)で左折(南西へ)、約190mで突き当り、左折(南東へ)、約400mで参道入口。参道周辺が「仏生寺公園」となっており、入口付近に駐車場がある。
寺伝等によれば、日光開山で知られる勝道上人は、天平7年(735年)に当地で生まれた。父は下野国府(現・栃木県栃木市)の国司の次官に当たる下野介・若田高藤、母は地元豪族・吉田主典の娘・明寿で、幼名を藤糸丸といった。神童の誉れ高く、幼時より仏道を信じ、長じて「下野薬師寺」の如意僧都に師事して天平宝字6年(762年)に出家し、勝道と号した。日光開山を志し、延暦元年(782年)、三度目にしてようやく「男体山」の登頂に成功した。その登山口付近に、「二荒山神社」の神宮寺として「補陀洛山 中禅寺」(現・「日光二荒山神社中宮祠」)を開いた。その後、当地に戻り、当寺院を開山したという。現在は、真言宗豊山派の寺院で、本尊は薬師如来。
なお、「仏生寺」境内全体が「日光開山勝道上人誕生地」として栃木県指定史跡となっている。本尊の木像薬師如来坐像(秘仏)は勝道上人の作と伝わるが、藤原時代(平安時代中・後期)初め頃のものと推定されており、勝道上人の時代よりは少し下るものの、栃木県内でも最古クラスとされる。ほかに、鎌倉時代頃のものとみられる金剛勢至菩薩立像や十二神将像(12体揃っているのは貴重)もあり、いずれも栃木県指定文化財。本堂(薬師堂)は江戸時代中期の寛保2年(1742年)再建とされ、真岡市指定有形文化財。山門両脇のケヤキの大木は栃木県指定天然記念物と、文化財が多い。


栃木県総合教育センターのHPから(仏生寺 木造薬師如来坐像)

同(仏生寺 木造十二神将立像)


写真1:「仏生寺」参道入口。石柱には「史蹟 佛生寺 日光開山 勝道上人誕生地」とある。ここから境内まで南西へ約230mのまっすぐな参道で、春には枝垂桜の名所となっている。


写真2:山門と2本のケヤキの大木。2本とも樹高30m、目通り幹周は、向かって右が5.6m、左が5.0mとされる。勝道上人手植えとの伝承があるが、樹齢はともに推定約700年とされる。


写真3:同行二人の歌碑。弘法大師信仰の1つ、「あなうれし 行くも帰るもとどまるも 我は大師と二人連れなり」という歌の石碑。


写真4:本堂(薬師堂)。


写真5:同上


写真6:境内の石仏など。


写真7:「仏生寺公園」駐車場から南に約200mの山裾にあるエドヒガン桜の大木。高さ約20m、目通り幹周約4m、推定樹齢約200年という。


写真8:写真7の桜の木から少し上ると、「勝道上人 産水の池」がある。水は涸れているが、傍らに「勝道上人霊」という石塔がある。
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