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三昧塚古墳

2023-07-22 23:32:02 | 古墳
三昧塚古墳(さんまいづかこふん)。
場所:茨城県行方市沖洲467-1外。国道6号線「山王台」交差点から国道355号線を東~東南に約8.6km。駐車場有り。
「三昧塚古墳」は、霞ヶ浦北部、鎌田川流域の沖積低地上に築造された前方後円墳。同じ霞ヶ浦北部にある現・茨城県小美玉市の「権現山古墳」(2019年1月26日記事)など他の古墳が台地上に所在するのと異なり、沖積低地に築かれたのは珍しい。昭和30年に霞ヶ浦の築堤工事のため土砂採取が行われ、半分以上が削平された。このとき、大量の埴輪も出土したが、殆ど破壊された。このような中、緊急発掘工事が行われ、後円部中央の深さ約2.7mのところから、未盗掘の石棺や副葬品が発見された(その後、平成6年、同11年にも追加調査されている。)。墳丘は基段上に構築され、後円部は2段築成(前方部は段築不明)となっている。大きさは、墳丘長82.1m(基段を含めると87.3m)、後円部直径46.5m(同52.1m)・高さ8m、前方部幅(推定)37.2m(同推定40.9m)・高さ6m。形態不明ながら周溝が認められ、これを含めた全長は136.2mとされる。前方部を北西に向け、墳丘表面に円筒埴輪列及び形象埴輪(人物埴輪、鹿形・牛形・犬形埴輪)が置かれ、後円部墳頂下に埋葬施設として組合式の箱式石棺があり、この石棺内から人骨のほか、金銅製の冠を始めとする多数の副葬品が出土している。また、石棺の近くに木製の副葬品埋納施設があった。築造時期は古墳時代中期の5世紀中葉~後半頃と推定されている。被葬者は不明だが、霞ヶ浦の水上交通を支配して治めた有力首長とみられる。古墳域は平成2年に行方市指定史跡に指定され、現在は墳丘が復元され、「三昧塚古墳農村公園」として整備されている。また、副葬品のうち、金銅製の冠は馬形飾と樹木状飾が付く唯一の遺例で、本体には心葉形の歩揺と花文・唐草文・動物文などの透彫が伴う貴重なもの。この冠自体は国産品とみられるが、細工の技術等は中国大陸・朝鮮半島の影響が色濃いものとされる。その他、銅鏡や金銅製の馬具なども学術上重要とされて、出土品一括で平成30年に国の指定重要文化財(考古資料)となっている(茨城県水戸市の「茨城県立歴史館」所蔵)。


行方市のHPから(三枚塚古墳公園)

茨城県教育委員会のHPから(茨城県三昧塚古墳出土品)


写真1:「三昧塚古墳」。駐車場(南側)から見る。手前が後円部、奥が前方部。


写真2:模型もあって、わかりやすい。


写真3:後円部。南東側から見る。


写真4:東側から見る。手前が後円部、奥が前方部。


写真5:北側から見る。手前が前方部、奥が後円部。


写真6:北西側から見る。手前が前方部、奥が後円部。


写真7:前方部から後円部を見る。


写真8:後円部から前方部を見る。この写真では見にくいが、前方やや左手に筑波山が見える。


写真9:公園の隅の石祠。
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