那閉神社(なへじんじゃ)。祭神:八重事代主命。
場所:焼津市浜当目3丁目14-13。県道416号線(静岡焼津線)の「浜当目」交差点を南東へ、突き当りを左折(東へ)。正面が「虚空蔵山」で、その南麓にある。当神社の前の狭い道を通り過ぎると海岸で、そこに海水浴客用の駐車場があるが、いつも釣人の車で一杯。
社伝によれば、継体天皇3年(509年)に物部氏が「当目山(現・虚空蔵山)」山上に勧請し、いったん鍋崎海中の「神の岩(かんのいわ)」に遷座したが、大浪を受けて岩が崩壊したため、現在地に奉遷したという。「鍋崎」というのは、かつて「虚空蔵山」から「神の岩」に向かって砂洲ができており、この砂洲を「鍋崎」といったものであり、当神社の別名を「鍋崎大明神」と称した。また、「ナヘ」は「波辺」であろう、ともいう。
「虚空蔵山」は実にきれいな円錐形をした山で、当神社は明らかにこの山自体を神体山として祀ったものと思われる。一説によれば、元々当神社には社殿はなかった、ともいう。山上には「当目山 香集寺」があり、本尊の虚空蔵菩薩を祀るため「虚空蔵山」という名があるが、当神社が元は山上に祀られたというのは、後の仏教(密教)的思想によるものとされる。神体山は、山自体を祀るので、麓に祭祀の場所たる社があるのが寧ろ当然だからである。また、「当目山」というのは「遠目山」でもあって、遠くから(特に沖の船から)の目印になった山でもあったろう。
また、山の東側は海に面した崖で、「御座穴」と呼ばれる洞窟がある(写真3)。海から「神の岩」にやってきた神が、次にこの洞窟に籠もるという。
このように、当神社の祭神は、海からやってくる神としてのエビス=事代主命ということになるのだろうが、原初はもっと素朴な神霊だったのだろうと思われる。
玄松子さんのHPから(那閉神社)
写真1:「那閉神社」正面
写真2:社号標は「延喜式内(郷社)那閉神社」
写真3:背後の「虚空蔵山」の東側は断崖絶壁。海に面して洞穴(「御座穴」)がある。
場所:焼津市浜当目3丁目14-13。県道416号線(静岡焼津線)の「浜当目」交差点を南東へ、突き当りを左折(東へ)。正面が「虚空蔵山」で、その南麓にある。当神社の前の狭い道を通り過ぎると海岸で、そこに海水浴客用の駐車場があるが、いつも釣人の車で一杯。
社伝によれば、継体天皇3年(509年)に物部氏が「当目山(現・虚空蔵山)」山上に勧請し、いったん鍋崎海中の「神の岩(かんのいわ)」に遷座したが、大浪を受けて岩が崩壊したため、現在地に奉遷したという。「鍋崎」というのは、かつて「虚空蔵山」から「神の岩」に向かって砂洲ができており、この砂洲を「鍋崎」といったものであり、当神社の別名を「鍋崎大明神」と称した。また、「ナヘ」は「波辺」であろう、ともいう。
「虚空蔵山」は実にきれいな円錐形をした山で、当神社は明らかにこの山自体を神体山として祀ったものと思われる。一説によれば、元々当神社には社殿はなかった、ともいう。山上には「当目山 香集寺」があり、本尊の虚空蔵菩薩を祀るため「虚空蔵山」という名があるが、当神社が元は山上に祀られたというのは、後の仏教(密教)的思想によるものとされる。神体山は、山自体を祀るので、麓に祭祀の場所たる社があるのが寧ろ当然だからである。また、「当目山」というのは「遠目山」でもあって、遠くから(特に沖の船から)の目印になった山でもあったろう。
また、山の東側は海に面した崖で、「御座穴」と呼ばれる洞窟がある(写真3)。海から「神の岩」にやってきた神が、次にこの洞窟に籠もるという。
このように、当神社の祭神は、海からやってくる神としてのエビス=事代主命ということになるのだろうが、原初はもっと素朴な神霊だったのだろうと思われる。
玄松子さんのHPから(那閉神社)
写真1:「那閉神社」正面
写真2:社号標は「延喜式内(郷社)那閉神社」
写真3:背後の「虚空蔵山」の東側は断崖絶壁。海に面して洞穴(「御座穴」)がある。
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