Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

今日から連休

2018-02-10 15:13:10 | 日記

 する事も無いし如何しようかなとと思います。溜まった雪はこれ以上如何しようも無さそうだし、また明日から雪が降るという予報だし、如何しましょう。のんびり休日にしようと思います。

 カレンダーを見ながら今月や今年の予定を立てようと思ったのですが、何時も見る年間カレンダーの載っている家計簿が有りません。何故かというと、このカレンダーは毎年母が銀行から貰って来ていたものでしたが、母が昨年暮れから介護施設に入所した為家には未所持となってしまったからです。長年毎年母自身に愛用され、私にも1冊という事で、父から成人した頃最初の1冊を手渡されました。

 本をただせば父が母に家計をつけるようにと銀行から家計簿を貰って来ていたようです。長年父が手帳と家計簿を貰って来て、その内母が自分で貰いに行くようになり、父がボケてからは、我が家の恒例行事として自発的に母が貰って来ていたようです。

 父が若く元気な頃は、母にすると家計簿をつける事に嫌気がさした時もあったらしく、私に銀行で貰って来るように言いつけた時もありました。事情を知らない私はお使いだと銀行に出かけ、窓口の係の人に「頼まれていないから。」と素っ気なく断られて、客商売の銀行が何て不愛想なのだろうと、子供心に非常に驚いた事があります。その時は子供のお使いだから適当にあしらわれたのだと思い、他の人には渡しても子供のお使いには渡してもらえないのだと不満に思っていました。

 しかし、この家計簿と手帳は申し込みの期限という物が有ったようです。私も漸く近年になり知りました。申込日までに申し込まなければ渡してもらえないのでした。そんな事を知らずに子供にお使いさせる方が悪いですよね、おかげで私は何時もは愛想がよい銀行で、突然思いも掛けない不愉快な思いをするという経験をしました。

 さて、昨年母は何時もの様に家計簿と手帳を申し込んでいたのかどうか、知るすべもない私は昨年末に今年の家計簿や手帳を貰わず仕舞いでした。気が付く事もありませんでした。今頃になってそう言えば今年は手元に無いなと思い当たっている訳です。若し申し込んであったとしても今の母が覚えているかどうか、それも不確実な事になってしまいました。

 綿々と父から母、母から私と引き継がれるべき?家計簿の習慣だったのかもしれませんが、恥ずかしながらきちんと途絶えてしまったのは確かな事です。近年はパソコンでも家計簿付けができる世の中です。また何かで我が家の家計簿付けが復活するかもしれません。

 因みに、私は両親から貰った家計簿をきちんと1年間通しでつけた事が1度もありません。そのせいで貰う意欲が湧かなかったようです。作年末家計簿の「か」の字も私の頭に浮かばなかった事も又確かな事です。そして、銀行に家計簿や手帳を何時申し込むのかも全く知りません。以前窓口の係の方で、親切にこの時期申し込むんですよと言って下さる方がいましたが、何時であったのか時期は私の記憶に残っていません。(欲しく無かったからですね。笑い)

 父や母から貰った家計簿や手帳、使ってみたりそのままだったり、それなりに利用した事はありますが、ほぼ未使用のままで来ました。紙代が勿体ないので貰わない方が良いかもしれません。今まで私が使った家計簿は、事業の補助簿に使われた時が一番活用されていた時でした。もうそれも遥かに父の生前の事になってしまいました。そうすると、5年以上前、それよりもかなり前の事だと思うと、『光陰矢の如し』で月日の経つ速さを感じてしまいます。


日帰り旅行

2018-02-08 10:29:58 | 日記

 ある程度の年代を経てから出来た友人、彼女の言葉は印象に残りました。心に沁みたと言えるでしょう。

 その後程無く、私はある人に何かしら自分の気持ちを伝えておこうと思い立ちました。目前に卒業式が迫っていました。その年卒業して去って行くある人に、私は思いを伝える事にしました。しかし向こうの気持ちが分からないだけに、相手の迷惑についても考えていました。好きだと言う言葉よりは、今までの事を感謝しているという、感謝の言葉をきちんと伝えようと決意しました。それが私のこの1年の1つの区切りだと思いました。冷静に再考してみて、確かにそれが自分のしたい事なのだからそうしよう、ときっぱりと決意しました。そう決断すると、思ったより気持ちはスッキリとして前向きでさっぱりとした明るい気分になりました。

 その時、友人の言葉を胸に刻んでいた私には勇気が有りました。誰にも何も言わずに1人で頑張る事が出来ました。そして、本当に予想もしなかった事に、事態は最良の展開を迎えました。それは全く個人的な見解でしたが、私はその機を逃しませんでした。今言わなければとそのチャンスを捉えました。ハッキリと目前の相手に自分の気持ちを伝えました。私の人生においてその時の場面が非常に美しい光景であり、良い思い出になりました。言葉と言葉を交わしただけの、それだけの場面ですが、私の人生に置いて真実光彩を放っている場面です。

 今振り返って考えてみると、彼女と私は相性が良かったのでしょうね、最初の出会いがそうでした。当時私が自覚していてもい無くても、彼女のアドバイスに従ったおかげで私の人生の青春時代に貴重な美しい光彩を収める事が出来ました。私は又と無い良い思い出を獲得したのでした。

 そのようなアドバイスをしてくれた彼女のお気に入りだった劇団、何時か観ると私が約束したようになっていた彼女の意向に、漸くの事で沿う事が出来たという今回の日帰り旅行。往路の途中、電車の中で見た琵琶湖の風景。幾重にも雲間から漏れて湖面に差し込むように降りおりていた薄い冬の日差し、真夏の太陽の様に強烈な印象は無いけれど、静寂の冬に心時めく日差しの光景。ほんのりとして穏やかなその風光。明媚な面影と記憶を呼び覚ますと、記憶の中の光景と面影は美しく若やかです。彼女にしても彼にしても、遥かに遠い過去の幻影、そう思うと今は昔、自分の現在の年代を感じて、私もまた夢の中にいるような心もとない気分になり、踏みしめる脚の感覚を確かめてみたりするのでした。

                         日帰り旅行  終わり


日帰り旅行

2018-02-05 20:33:28 | 日記

 もう皆青年期でした。青春時代、私がそこまでに至るにはいろいろな経緯がありました。私にすると単純に皆もそうだと思っていたのです。人間正直者は馬鹿を見る、そう言った経験が私には有りましたから、皆もそれなりにそういった事が分かっている年代だと思っていたのです。私は真実を伏せていて下宿の友人に悪い事をしたなとちょっぴり後悔しました。そして、この時迄私も他の皆の風聞同様に捉えていた彼女が、あっさりしていて自己中心的なだけのタイプでは無く、そこまで私の事を心配をしてくれている面があったという事実に驚いていました。目の前の彼女から私の境遇を思う真剣な言葉を掛けられなければ、それは全く気付かないでいた事でした。

 そうかと私は思いました。それではこれからは彼女達の事を信頼してなるべく正直に周囲の人と接した方が良いなと考えました。そして、私の事を気に掛けてくれて、それとなくアドバイスしてくれた彼女にしみじみとした感動を覚えました。そこで私も真摯な態度で了解したというような事を彼女に伝えました。彼女に向けて心底感謝の笑みを浮かべると、「本当に好きな人なら自分で言うわ。」真実は違うという含みを込めて言葉を返しました。「ありがとう、頑張ってみるわね。」と彼女の助言に素直に従う旨を伝えたのでした。

 この時私はやはり彼女は他の友人とは少し違うと感じました。真面目になると机から窓辺にいる彼女を見やっていました。彼女の話に留意して手元から頭を上げていた私は視界が開けたように感じ、何だか部屋に差し込んでいる冬の日差しが一段明るくなったように感じました。そうして落ち着いた時間を感じると共にほんのりとした暖かな気分になりました。「友達に成りましょう。」、私はこの時、友達に成った時の彼女の最初の言葉、その時の専攻教室の風景を思い出していました。結局、以前にも書いたようにその後も彼女とはそう親しくならずに終わりました。けれどもその為人としての思いやり、彼女からの友情という物を感じた一時でした 


日帰り旅行

2018-02-05 20:15:25 | 日記

 風邪で休んでいた下宿の友人は、よく私にしつこい程にサークルの誰が好きか?と聞いて来たものです。それが余りにしつこかったので私には段々彼女の事が不審に思えて来ました。最初は気楽にサークルの彼等の好感度等話していたのですが、途中から気を置いて、用心する事にして当たり障りのない人物の名前を挙げて置く事にしました。そして、その後ほぼその人に据え置きしておきました。私はその事だろうと思い付きました。

   確かに、元々の好意自体が自発的な物では無く、自然な成り行きで抱いた訳でも無い好意だっただけに、四の五の、あれやこれやと、下宿の彼女の話に合わせてみたりはぐらかしてみたり、時には別の人の名前を挙げてあの人もいいわね等言っていたものです。その様な訳で、好きと言ってはいても全く告白する気のない私でした。その話を聞いたのでしょう。彼女にすれば確かに私は優柔不断で曖昧な態度の人間に思えた事でしょう。成る程と思いました。私はその事だろうと合点しました。

 そう考えると目の前の彼女の考えは、好きなら好きで一直線、ドーン!と歯切れよく行けばよいじゃないのという事のようでした。私はその時、内心というより感情がすんなりと表に出てしまい、彼女の前で満面苦笑いでした。そうお、という感じです。そして、私の知らない所で彼女達はそんな話をしているのだと、初めて気が付き目の覚めるような驚きを感じました。こうやって気にかけてアドバイスしてくれたくらいです、私の話題が彼女達の重要な話のネタになっているのだとよく理解出来ました。

 えっ!、えー!、でした。私が慎重に構えて適当に発していた言葉が、他の人々に伝わりその人達に真面目に受け取られていたとは。何が誰に如何伝わるか分からないと気付くと、これでは冗談も言えません。そして、彼女達の間でそこまで深刻に私のロマンスが語られていた事、しかも本人を他所に真実も湾曲されて語られていた事に困惑しました。カムフラージュしていた私が悪いと言えば悪いのかもしれませんが、大切なもの程心の内の奥底に秘めておきたい、そう願う純真で複雑な人間の心理は誰にも理解されていなかったようです。しかも、人伝、間に入った人間の主観を経て伝わっているのです。そして、伝わった相手に対して私は不信感を全然抱いてい無かっただけに、思いがけず彼女を欺いたような結果になってしまい、酷く罪悪感めいたものを彼女に感じたのでした。