Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

土筆(2)

2018-02-24 10:07:13 | 日記

 この年の最初の雪解けの時期、それは春一番の吹いた直ぐ後の好天の日、戸外で遊んでよいという親の許しが出た日の事でした。年嵩に連れられて遊び場所へやって来た年少の者達は、この頃になるとある程度の自然物の名前が言えるようになり、走ったり跳んだり飛び乗ったり飛び移ったりという、運動神経の基本も皆一様に整って来ていました。その為戸外での遊びが多少は何でも出来るようになっていました。そうなって迎えた新しい春です、皆確かに作年末よりは一段と成長しています。が、冬の間室内でも毎日のように遊んでいた仲間なので、皆の慣れた目にはそれがそうとは直ぐに分からないのでした。

 冬の季節、世界が雪に埋もれて危険だったり、荒天で外に出られ無い期間屋内で積み木やカルタ取り、ゲーム(勿論ボードゲーム等です。)等、主に室内で手先や頭を使う遊びに明け暮れていたのですから、季節が進むと、遂にこれらの遊びに子供達は飽きて仕舞います。が、幾ら飽きたと言っても、外の寒さや天候に阻まれて致し方無く、子供達はまた嫌々これらの室内遊びで暇潰しするしかないのでした。この子達にとってはこういう忍耐的な知育期間を経た後に漸く巡って来た開放的な春なのでした。本当なら嬉しくて歌い出したくもなるくらいの物なのですが、幼い彼等にはまだ自然のサイクルや周りの環境の変化がよく呑み込めないでいるのでした。

 水が温み好天の日、子供達は待ってましたとばかりにまだ理解できない明るい言葉、雪の季節が去ったらしいという「希望」を胸に、遊び仲間を招集して回ると日頃の慣れた遊び場へと向かいます。状態が理解できる年長者は今迄寒さと屋内で鬱屈して縮こまっていた身体を一気に戸外で思いっ切りのびのびと引き伸ばそうとして弾むように浮き浮きしています。

 この様に年長の者達は、身体能力の方を十二分に伸ばす時期の扉が開いたこの日、季節の恩恵を十二分に受ける為に誘い合わせて陽気な戸外へ飛び出して行くのです。また、年嵩に誘われて訳も分からず外に出た幼い者達でも、お日様のぽかぽかとした暖かさに触れると、この日から自然に体を動かさずにはいられ無くなるのでした。


土筆(1)

2018-02-24 10:06:45 | 日記

 私は遊び場にしていたある施設の軒先で毎年春になると土筆を眺めていました。

   その場所は向きから言うと北西方向になり、日差しが差していた記憶からすると午後の日差し、午後の遅い時刻の思い出になるのでしょう。私は毎春その場所で遊び仲間と共に土筆を摘んで遊んだものでした。最初にその土筆の生える場所を教えてくれたのも当時の私より年上の遊び仲間でした。その頃は年嵩の者が若輩者にあれこれと教えて伝承の遊びを順繰りに伝えた物でした。

 先ず遊ぶ場所を教えます。年長者は皆を連れてその場所にやって来ると、そこにはどのような物が有りどのような遊び方が出来るかを教えます。そして遊びや遊ぶ物はどう出来上がりどう行えたら完成なのか、またはより良いのかというような出来栄えの完成度、達成度等までを説明します。

 その後、年配の指導者は実際にやって見せたり、作ったお手本を見せたりします。そこで教えを受けた弟子の年少者達はその遊びを確りマスターしようと早々に行動したり作業に取り掛かったりするのです。

 この日から初心者達は繰り返し皆それぞれ練習に励む日が続きます。年少者が教えてもらった遊びに習熟すると、指導者は次の遊びに移ります。年長者から年少者へ、簡単な遊びから難しい遊びへ、出来る者から順繰りに次の段階へと進んでいきます。こうやってその地域の伝統的な遊びが伝承されて行くのです。子供達の日常はこの遊びの繰り返しのようなものでした。ですから日がな1日遊びが子供達の日課になっていたという頃の時代であり年代の話です。この時代、一般家庭にテレビはありません。

   さて、土筆があるので季節はもちろん春なのですが、この頃の私達が土筆に気付くのは春も酣、かなりぽかぽかと暖かくなった頃でした。場合によっては初夏を感じさせる5月も近くなった頃、漸くこの土筆の生えている場所に来るという年もありました。