Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

雪の思い出

2018-02-13 10:12:55 | 日記

 私の1晩の雪の思い出といえば雪囲いでしょうか。家の軒下に角材を等間隔に置いて、その角材に菰(こも)を渡して荒縄で結わえ付けていくものです。上から3段くらいにして、菰(こも)は横に渡してあったようです。冬の雪に備え、まだ雪の降る前の木枯らしの頃、晩秋に祖父と父が家を囲う作業をしていました。時には伯父も加わっていました。その内父が1人で行うようになりました。

 家を覆うと言っても、庭だけの雪囲いでした。屋根雪を下ろすと見事に庭が埋まってしまい、窓や庭に面した戸口が積まれた雪で圧迫されて仕舞うので、雪に触れる家壁などが傷まないようにするためだったようです。当時の壁は木造りでした。窓は障子戸でした。雪の重みで十分折れたわけです。窓部分が障子戸なので隙間風が入り、冬の酷寒は台所へ行くと震え上がった物でした。それでも屋内になるので外よりは暖かかったのだと思われます。トイレは更にその奥にあり、寒さを思うとその場所へ行くのが嫌なものでしたが、生理現象なので寒いと思う以前に小走りで通っていました。何方かというとその後の手洗いの水の冷たさの方が嫌なものでした。終わると飛んでコタツに帰り、丸くなってコタツに潜り込んでいたものです。

 この頃の家は明治の後年に建てられたものでした。古めかしかったものです。元は台所も土間だったようです。座敷から庭に面した縁側は土間のままで、簡単な木の板が庭と縁側を隔てた仕切りとしてに渡された感じでした。それが壁になっていました。大きな窓もあったかもしれません。風が吹くと揺れるような板壁で、土台の無い物でした。最初は有ったのかもしれませんが、土間に面するところは朽ちてぼそぼその板の先になっていました。

 家の事より雪の思い出話でした。この雪囲いが出来上がると日差しは遮られ家の中は暗くなってしまいます。雪囲いを取り払う春の日までいくら外が晴れてお日様が出ても、家の中には日差しが入らず常に薄暗い状態になってしまうのでした。私は物心ついてから晩秋のこの日になると、台所の下り口に座り込み来るべき長く寒い冬や多雪を思いやりました。そして暗くなった家と同じくらい暗い気分になるのでした。

 そんな沈んだ私から来るべき季節への不満を聞いた父はこう言ったものです。「冬来たりなば春遠からじと言って、寒い冬の先には暖かな春がやって来るというものだ。また暖かい季節が来ると思えばいいんだ。」と。そんな父に、まだ幼かった私は言ったものです、「そんな先の暖かな日の事より、今から直ぐに寒くて雪が沢山降る日が一杯あるじゃないか。それが嫌なの。それなのにどうしてその先の暖かな日のことを考えなければいけないの?」と。

 私にとって雪囲いは、これからやって来る嫌な雪の季節の前触れとなっていたのでした。そして、幼い私には目前の今の時間しか捉える事が出来ないのでした。その先の未来や、まだまだ自分の人生が長く続いて行くという感覚が未だ分からない時代だったのでした。季節のサイクルを漸く覚えた頃、嫌悪に目覚めた頃の冬、雪の季節への新鮮な感情の発露でした。