立て、立つんだ、ジョー!
あしたのジョーの物語はこの地で生まれました。
かつて江戸時代には処刑される罪人が渡った泪橋、
その橋の下に「丹下拳闘クラブ」があったのです。
前回来たときはアーケードに覆われていた「いろは会商店街」
今回はアーケードは取り払われていて上を見ると青空が見られる。
お客さんもすっかり減ってしまった現在、維持するのも大変だったのでしょうね。
メンズウェアねえ、ものは言いよう確かにメンズではあるわなぁ。
ディスカウントストア、きっと何でもある雑貨屋さんでしょう、
ここで生きるには必要欠くべからざるお店と見ましたが。
場違いと言ってはなんだけど山谷に化粧品店が、
ま、この商店街にも女の人はたくさんいると思われるのであって当然ですか。
他の商店街にないもの、ロッカーが備わっていました。
以前はロッカールームというか建物全部がロッカーになっている家もあったような、
狭い部屋に置くと邪魔なのでそこへ置いていて必要なときに出したり入れ替えたり。
商店街からふと横を見るとこん光景が見られます、
人がいるのかいないのか街の中の廃屋ですね。
商店街の中にあるキリスト教伝道所センター、山谷労働者福祉会館の看板もある。
こんな外見だけど今でも機能しているみたいで礼拝の曜日と時間が貼ってあった、
キリストさまは偉いねぇいつでもどこでも救いの手を差し伸べられている。
前回はどこにでもいた丹下段平、やっと一人見っけ。
やっぱり酒屋の前にいるのが一番幸せなのかなぁ。
原作ではちょっと歩いたところに丹下健闘クラブがありました。
かつてはこの商店街の至るところに姿が見られた矢吹丈もここだけになってしまった、
段平やジョーだけではないそのほかのいろいろなキャラも道にずらりと並んでいたけど
その姿も今では見られない。
ジョーをプリントしたTシャツもたくさん並んでいたけど・・・。
現在の泪橋交差点。
手前の道はかつて横方向に「思川」が流れていて今は明治通り、
この交差点に向こうへ渡る「泪橋」が架かっていた、
処刑場へ引かれる罪人は泪橋を渡って刑場へ、見送る家族知人は泪橋まで同道することが出来た。
永遠の別れを思う思い川、涙・泪の泪橋。
江戸時代の刑場はつい目と鼻の先、跨線橋などを超えて10分くらいのところにありました。
そんな思川と泪橋が描かれた原作のワンシーン。
ここであしたのジョーは育っていったのです。
今も商店街を出たところに佇むあしたのジョー、
商店街の方を向いて思うのは何か。
苦しかったけど希望もあったかつてのあの頃か、
自分を応援してくれた山谷の労働者のことか。
戦後の混乱から高度成長へ
そこには山谷の労働者たちの力があったことには間違いありません。
そして山谷の住人は過去を引きずりながらでも
あしたへむかって生き続けていくことでしょう
data: EOS70D/EF17-40mm 1:4 。 撮影 9月17日 あしたのジョーのふるさと
あしたのジョーの物語はこの地で生まれました。
かつて江戸時代には処刑される罪人が渡った泪橋、
その橋の下に「丹下拳闘クラブ」があったのです。
前回来たときはアーケードに覆われていた「いろは会商店街」
今回はアーケードは取り払われていて上を見ると青空が見られる。
お客さんもすっかり減ってしまった現在、維持するのも大変だったのでしょうね。
メンズウェアねえ、ものは言いよう確かにメンズではあるわなぁ。
ディスカウントストア、きっと何でもある雑貨屋さんでしょう、
ここで生きるには必要欠くべからざるお店と見ましたが。
場違いと言ってはなんだけど山谷に化粧品店が、
ま、この商店街にも女の人はたくさんいると思われるのであって当然ですか。
他の商店街にないもの、ロッカーが備わっていました。
以前はロッカールームというか建物全部がロッカーになっている家もあったような、
狭い部屋に置くと邪魔なのでそこへ置いていて必要なときに出したり入れ替えたり。
商店街からふと横を見るとこん光景が見られます、
人がいるのかいないのか街の中の廃屋ですね。
商店街の中にあるキリスト教伝道所センター、山谷労働者福祉会館の看板もある。
こんな外見だけど今でも機能しているみたいで礼拝の曜日と時間が貼ってあった、
キリストさまは偉いねぇいつでもどこでも救いの手を差し伸べられている。
前回はどこにでもいた丹下段平、やっと一人見っけ。
やっぱり酒屋の前にいるのが一番幸せなのかなぁ。
原作ではちょっと歩いたところに丹下健闘クラブがありました。
かつてはこの商店街の至るところに姿が見られた矢吹丈もここだけになってしまった、
段平やジョーだけではないそのほかのいろいろなキャラも道にずらりと並んでいたけど
その姿も今では見られない。
ジョーをプリントしたTシャツもたくさん並んでいたけど・・・。
現在の泪橋交差点。
手前の道はかつて横方向に「思川」が流れていて今は明治通り、
この交差点に向こうへ渡る「泪橋」が架かっていた、
処刑場へ引かれる罪人は泪橋を渡って刑場へ、見送る家族知人は泪橋まで同道することが出来た。
永遠の別れを思う思い川、涙・泪の泪橋。
江戸時代の刑場はつい目と鼻の先、跨線橋などを超えて10分くらいのところにありました。
そんな思川と泪橋が描かれた原作のワンシーン。
ここであしたのジョーは育っていったのです。
今も商店街を出たところに佇むあしたのジョー、
商店街の方を向いて思うのは何か。
苦しかったけど希望もあったかつてのあの頃か、
自分を応援してくれた山谷の労働者のことか。
戦後の混乱から高度成長へ
そこには山谷の労働者たちの力があったことには間違いありません。
そして山谷の住人は過去を引きずりながらでも
あしたへむかって生き続けていくことでしょう
data: EOS70D/EF17-40mm 1:4 。 撮影 9月17日 あしたのジョーのふるさと