荒川土手は農業公園までしか行ったことない、
その先はどうなっているのだろう。
暖かい日差しに誘われ足を延ばしてみました、
結論を言えば何もなかったけど・・・。
ここまではいつも来ている、
この先の白い水門を超えて埼玉県へ。
いつも見ている超高層マンション見られるかな。
都県を分ける新芝川、
10年くらい前まではユリカモメとか
水鳥がいっぱい来ていたけど。
荒川へ注ぐ前の水門、
川が大きいので水門も大きいね。
水門を超えて埼玉県、
大きな工場がありますレンゴー東京工場。
創業者井上貞治郎は、1909年(明治42年)に
日本で初めて段ボールを事業化した。
「段ボール」という名前は井上の命名であると。
エルザタワー。
1998年建設当時は日本最高(185.8m)だった、
最上階55階は5LDK、1億7680万円は即日完売と。
吉永小百合の「キューポラのある街」は
この辺りに集まっていた鋳物工場をバックに
製作・撮影された。
対岸には岩淵水門の青水門、赤水門が望まれる。
さらに進んで新荒川大橋。
長さ約810m、川口市と東京・北区を結ぶ。
通る岩淵街道は日光御成街道として
将軍が日光社参の際に使用された。
農業公園まで帰ってきました、
河川敷では凧揚げが。
風があるし広いのでたくさんの凧が上がります。
以前は奴凧や四角い凧がいっぱい見られたけど
このごろはもっぱらゲイラカイトが主流ですね。
富士が見られるかなと期待して走ったけど
あいにくの曇り空というかモヤった空、
結局富士の位置すら見ることができませんでした。
data:PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月 9日 荒川土手を埼玉まで
でも命名した名前が残っているってコトは・・・
今ではこれがない世界は考えられないわ。
段ボールは1956年、シルクハットの内側の材質として生まれました。
その後アメリカで発展し、
日本では1909年に段々とつけた「段ボール」として生まれています。
明治の頃には次々と実用の必需品が作られたけど、
今の世はどうなんだろう。
近年の最高傑作は携帯電話(スマホ)だと思うけど、ちがうか~^^;
で、スマホどうなった?
買う事になりそ?
日本語で段ボールと名付けたのはその人らしい、
段ボールも緩衝材とか箱とかになったけど
今はベッドとか当時は考えられなかっただろう
いろいろな用途に活躍していますね。
そうですか、シルクハットの内側にね
時代と共にいろいろ変化したんですね。
昔は段ボールでメシを食ってた時代もあって
段ボールに関してはちょっとうるさい、
道端に放り投げられている段ボールを見ると
ちょっとかわいそうになります。
スマホ?きっと買うことはないだろうなぁ、
この年になってからは使いきれないだろうて。♪