小野照さんは今やすっかり"私の庭"と化し
たびたびお邪魔していますがここにも富士塚が。
ただ山開きの日にしか登れずフェンスの外から見るだけ、
この時期は草ぼうぼうですがそれもまたいいものです。
今回は正門ではなく裏門から、正面が拝殿です
あれ、こっちが正門かな?。
左手に富士塚があり山開きの行事はこの正面で行われます。
拝殿、鈴の緒は見られませんでした。
御祭神は、百人一首でも名高い平安初期有数の歌人であり、
漢詩は「日本の白楽天」と呼ばれ、その文才は天下無双、
「その才は神に至る」と評される程の絵の大家でもあり、
法律に明るい当代きっての学者で、
参議という国の要職も務めた 小野篁(おの たかむら)公です。
拝殿の前にはきれいな絵馬が並びます。
文鳥と筆の絵馬が多いですね、文鳥の「文(ふみ)」が
学問を表すという意味で、学芸絵馬が文鳥の絵柄なのだそうです。
拝殿の左に「下谷坂本富士」。
毎年夏越の大祓と富士山の開山に合わせた6月30日と7月1日の2日間に限り、
一般の人たちに開放されています。
守っているのは猿田彦大神ですね。
お山は草に覆われているけどあちこちにいろいろな碑があり
富士塚であることを知らせていました。
枯れ葉に覆われているけどここは登山道、
山開きの日には神職を先頭に町会の人たちや
一般の人たちが列をなして登っていきます。
"富士山"の姿は定かではなかったけど
山麓には何の実でしょうね赤い木の実が輝いていました。
"下山"してみるとそこには「御岳神社」と「三峯神社」が、
登山の前にお詣りするとこれから富士に登るぞと実感が湧いてくるかも。
ご祭神の小野篁(おの たかむら)公という人物とは。
小野篁(802年〜852年)は嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で、
武芸にも秀で、また学者・詩人・歌人としても知られています。
だが裏があって「閻魔王宮の役人」とも、
なぜか閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、
夜は閻魔庁に努めていたという奇怪な伝説があります。
京の六道珍皇寺・本堂背後の庭内には、篁が冥土へ通うのに
使ったという井戸があり、近年旧境内地より冥土から帰るのに
使った「黄泉がえりの井戸」が発見されたと聞きましたが。
data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月19日 小野照崎神社