東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

平賀源内さんのお墓

2020-09-08 | 風景

  源内さんといえばエレキテルを発明し
  「土用の丑の日にはウナギを食べよう」の言い出しっぺ。
  ずっと前から道路端にその石柱があるのは見ていたが
  百花園に行く前に時間があったので行ってみた。

 

  

     明治通りを百花園の方へ向かって白髭橋の手前に
     石柱があるのは前から知っていたが、
     行っても門が閉まっていて中に入れなかった。

 

 

  

     この日行ってみたら門のところに張り紙があって
     「門を開けてご自由にご覧ください、出たら門は閉めてください」と。
     なんだそうだったんだ、早速中へ入ってみる。
     寺ではなくただ源内さんのお墓があるだけの狭い場所だった。

 

 

  

     外にあった石柱と同じような石柱があった。
     このお墓は国史跡に指定されていますが、
     平賀源内の親友である杉田玄白によって建立されたものです。

 

 

  

     葬儀は平賀源内の親友であった杉田玄白が執り行いました。
     そして、お墓についても杉田玄白が私財を投じて建立しました。

 

 

  

     当時罪人であった平賀源内の遺体を引き取ることを幕府に拒まれたため、
     遺体のないまま葬儀は執り行われ、
     そのお墓に本人のお骨を納骨することはできなかったそうです。

 

 

   

     片隅に"駅ノート"みたいなノートが置いてある
     お参りした日付や名前などがびっしりと書いてあった。

 

 

   

     立派な墓碑もありました、例によって故人を偲んでありましたが。
     ここは元お寺だったけど引っ越しし源内さんの墓だけが残されたそうで
     なぜこれだけ残されたのかは分からないそうです。

 

 

   

     お墓は住宅街の一角にあり築地塀に囲まれた中にあります。
     この築地塀は総泉寺移転後、昭和6年に旧高松藩主・松平頼壽によって整備されたものです。

     平賀源内のお墓は元々は浅草橋場の総泉寺にありました。
     総泉寺は関東大震災で罹災した為、浅草橋場から
     小豆沢(現在の板橋区)に移転されますが、
     平賀源内のお墓はそのまま残され現在に至っています。
     平賀源内のお墓だけ移転されなかった理由については
     今も解明されていません。

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 8月30日  台東区橋場2-22-2

           

コメント
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