シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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演説と脅しのうまい男

2006年08月27日 | 歴史をひも解いて
右は、ヒンデンブルク大統領と握手するヒトラー。
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ヒトラーは、ドイツ志願兵として第1次大戦に参加する前 20歳前後のウィーンでの生活時代 独身者むけの合宿所に住み、労働者たちが集まるところで演説の才能を磨き、大衆への話し方を身につけたようです。 無駄に若い頃の時間を浪費していなかったことがうかがえます。
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以下は Wikipedia 他から … ヒトラーは敗戦後も軍の情報関係の仕事を続け、激増した新党の調査を担当、その一環として参加した「ドイツ労働者党」の集会で演説者をやり込めたのが党議長の目に留まり入党、20年には軍をやめ 党務に専念するようになる。

この頃ヒトラーは演説者としての能力を認められ、軍からプロパガンダの講習を受け、生まれて初めて大学の教室で右翼の大学教授や知識人の講義を聴いた。 このなかでもヒトラーの弁舌は興奮してくるとますます冴え、聞くものを引き込む彼は優れたプロパガンダの才能があった。

その扇動的な演説によって多くの党員を獲得、党の要人となったヒトラーは、退党をちらつかせて独裁を認めさせ、党名を国家社会主義ドイツ労働者党と改め 21年その党首となる。

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“退党をチラつかせて …” は、彼の脅しのやり方です。 後にミュンヘン会談でもこれで成功し、英首相を騙しました。 でも いつもこれで成功するわけもなく、結局は失敗するのです。
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伊ファシスト党が行ったローマ進軍をまねて、23年 ナチ党はミュンヘンで政権の奪取をもくろみ クーデターを起こすが、警察・軍隊いずれの協力も得られず、州政府によって鎮圧された (「ミュンヘン一揆 Hitler Putsch 」)。

ナチ党は非合法化され、ヒトラーは逮捕されて、禁錮5年の判決を受け 刑務所に収容されるが、所内では特別待遇を受け この期間に秘書ルドルフ・ヘスによる口述筆記で「我が闘争 Mein Kampf / My Struggle」を執筆した。

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クーデターを起こして逮捕、刑務所に収容といっても比較的自由な環境だったらしいですから、州政府は心情的にはヒトラーとナチ党を大目に見ていた、つまり その時代の雰囲気が想像できますね (要するに容認していたのです)。 5年の刑も1年で釈放されます。
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これは、箸にも棒にもかからない退屈な本で、その上読みづらかった。 典型的な文章は「いつの時代においても この世界における変革の原動力は、大衆を鼓舞する科学的知識よりも、むしろいつも大衆を支配する狂信および彼らを前進させるヒステリーの中に見いだされてきた」_ 要するに「大衆は論理的に思考しない。 彼らは狂信とヒステリーに駆られて前進する」

24年には釈放され、25年ナチ党を合法政党として再出発させた。
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当時の独は前大戦の賠償金負担と世界恐慌による苦しい経済状況が続き、大量の失業者で街は溢れ 社会情勢は不安の一途をたどっていた。 その中でヴェルサイユ体制の打破を訴え、アジテーターとしての才能を発揮したヒトラーは多数の支持を得た。

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第1次大戦で敗北したドイツは、”ヴェルサイユ体制” (講和条約の通称) で支払い能力を大きく上回る多額の賠償金を課せられ、23年 天文学的なハイパーインフレが襲い、さらに29年の世界恐慌で再び社会不安が増大したとなれば、異常な空気がドイツ全土を覆ったであろうことは容易に理解できます。

“ヴェルサイユ体制” 打破を叫ぶヒトラーが大衆の支持を集めるのが見えるようです。 ですから ヒトラーがナチ党にいなかったとしても、ほかの人物が同じことを大衆に訴え、支持を得ただろうと想像できるのです。
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共産党の排撃を訴え、ソ連のような事態 (共産化) を恐れる資本家からも援助を受けて 力をつけたヒトラーは32年、大統領選に出馬する。 大統領選には敗れたものの、国会議員選挙では激しいプロパガンダと積極的な遊説によって ナチ党を国会の最大政党に押し上げた。 議会の要請に従い、ヒンデンブルク大統領は33年ヒトラーを首相に任命する (Wikipedia)。
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ナチ党党首がヒトラーでなかったとして、例えば ドイツ人によくある名前のシュミットやマイヤーだったら、ドイツ人はハイル・シュミットかハイル・マイヤーって呼んでいたかも知れませんね。

“欧州の再配置を求める狂犬” に続く。

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