3月7日、御園座の「清富」に行く。「散歩のとき何か食べたくなって」の名古屋懐旧から。
新国劇の名古屋公演は、御園座だった。
役者たちもそうだが、私なども名古屋へ到着し、御園座へ入るや否や、
「先ず、清富へ行こう」
ということになる。
[清富]は当時、御園座の三階の一隅にあった[おでんや]である。
どこがうまいと尋かれても返事に困るが、どちらかというと小ぶりのおでんが、この店独特の味つけになっていて、清富のおでんを口にしてはじめて、
(ああ、名古屋へ来たのだな……)
あらためておもうのは、芝居の関係者の中に多かったようだ。
その後、御園座は大改装をして、清富は地下の食堂街へ移った。
(中略)
入り口の[御酒 おでん 茶めし 清富]とのみ染めぬいた暖簾も、この店で客に出すものがどんなものかをきわめて端的に表現しているようにおもわれる。
新国劇の名古屋公演は、御園座だった。
役者たちもそうだが、私なども名古屋へ到着し、御園座へ入るや否や、
「先ず、清富へ行こう」
ということになる。
[清富]は当時、御園座の三階の一隅にあった[おでんや]である。
どこがうまいと尋かれても返事に困るが、どちらかというと小ぶりのおでんが、この店独特の味つけになっていて、清富のおでんを口にしてはじめて、
(ああ、名古屋へ来たのだな……)
あらためておもうのは、芝居の関係者の中に多かったようだ。
その後、御園座は大改装をして、清富は地下の食堂街へ移った。
(中略)
入り口の[御酒 おでん 茶めし 清富]とのみ染めぬいた暖簾も、この店で客に出すものがどんなものかをきわめて端的に表現しているようにおもわれる。
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