雲行きが悪くなり国道を北上して駅に戻る。衣浦大橋も海底トンネルも無い時代、駅近くの川に三河の碧南への渡し舟の乗船場があった。10人も乗れば満員になる小さなポンポン船だった。一度乗ったことがあるが揺れで船酔いになった記憶がある。
以前は国道沿いに八百屋、魚屋、肉屋、米屋、食堂などが並んでいた。映画館やパチンコ屋まであった。町から出なくても事足りて生活できる環境が備わっていたが、今はコンビニ一店と食事をした食堂しか見当たらなかった。地方のどの町も似たようなものだと思う。地方再生が声高に叫ばれているが実現できるのか疑問に思った。3時間たらずの滞在であったが複雑な思いを残した武豊探索の旅だった。
以前は国道沿いに八百屋、魚屋、肉屋、米屋、食堂などが並んでいた。映画館やパチンコ屋まであった。町から出なくても事足りて生活できる環境が備わっていたが、今はコンビニ一店と食事をした食堂しか見当たらなかった。地方のどの町も似たようなものだと思う。地方再生が声高に叫ばれているが実現できるのか疑問に思った。3時間たらずの滞在であったが複雑な思いを残した武豊探索の旅だった。