モーターショーは、2回しか行ってない。東京の場合は、40年も前で、今のようなコンセプトカーなどのない、古い時代である。
ボストンに居た1966年、日曜日の10時すぎ、モーターショーの場所に行った。ひっそりとして、人影もない。開幕は、12時だった。午前中は、教会へ行く時間帯だからである。当時、日曜日は、デパート・商店はほとんど休みで、時間つぶしに困った。映画館はやっていたが、午前中はどうだったか。
ボストンのモーターショーは、スケールが小さい。アメ車が中心である。日本車はない。滞米1年2ヶ月のあいだに見た日本車は、2台である。しかも、1台はロサンゼルス郊外で、えんこしていた(コロナ相当、多分ティアラ)。
バットマンのクルマがあった。そのオートバイが、日本製をベースにしていた。ホンダか、川崎か、忘れてしまった。バットマンは、今もかっこいいオートバイに乗るようだ。
クルマは、単に足である。モーターショーに行くだけの、関心も気概もなくなった。
写真は、Auto-Universum 1966 年版にある、カラー印刷の日本車・ホンダとNISSANのスポーツカー(58HP,85HP,当時の米車は290HPくらい)
ボストンに居た1966年、日曜日の10時すぎ、モーターショーの場所に行った。ひっそりとして、人影もない。開幕は、12時だった。午前中は、教会へ行く時間帯だからである。当時、日曜日は、デパート・商店はほとんど休みで、時間つぶしに困った。映画館はやっていたが、午前中はどうだったか。
ボストンのモーターショーは、スケールが小さい。アメ車が中心である。日本車はない。滞米1年2ヶ月のあいだに見た日本車は、2台である。しかも、1台はロサンゼルス郊外で、えんこしていた(コロナ相当、多分ティアラ)。
バットマンのクルマがあった。そのオートバイが、日本製をベースにしていた。ホンダか、川崎か、忘れてしまった。バットマンは、今もかっこいいオートバイに乗るようだ。
クルマは、単に足である。モーターショーに行くだけの、関心も気概もなくなった。
写真は、Auto-Universum 1966 年版にある、カラー印刷の日本車・ホンダとNISSANのスポーツカー(58HP,85HP,当時の米車は290HPくらい)
