3月31日のFT(ファイナンシャルタイムズ)の記事(日経)であるがこれもちょっと気になる話かもしれない。
私は金融の事には詳しくないが、亀井が何故あそこまで「郵政逆行」を強行し、当初大声で反対を唱えていた閣僚たちが易々と閣議決定に応じ、それを止められなかったのかということの裏には、日本政府が容易ならぬ金融情勢を迎えつつあるのではないかと言う懸念が有るのではなかろうか?
先日も伝えたが3月13日の週刊東洋経済は民間金融機関は海外投資も有り今後の国債買い入れ余力は極端に低くなりつつある(約40兆円)と報じている。亀井が何処なの番組で「財政規模を続けるなら必要」とつぶやいていたのが気になる。
以下はアメリカの話であり、FTの要約というより、チェリーピック(つまみ食い?)であり、全ては伝えていない。
アメリカ国債の際限のない増大がその買い入れにリスクが出て来ているなら、日本の国債は日本の金融機関が買い入れていると言うこともあろうが、際限のない国債増大が起きつつある日本にも同様のリスクは当然近い将来にやってくるのだろうが、日本ではその時にどんな形をとって現れてくるのであろうか?海外が日本国債を殆ど買っていないことは対外債務の破綻が起きないと言う安全性はあろうが、それだけ狭い市場に日本国債は頼っていると言う現実もあり、それがかつ限度にまで来ていることだ。そして最善でも国債金利の上昇は起きるのであろう。
これからの生活、年金支給への不安等を考えると際限のない財政支出を続ける民主党の財政政策には、経済・金融への私の小さな好奇心を超えた強い懸念を感じざるを得ない。
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無リスクと見なされなくなった米国債
(2010年3月30日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
すべての資産運用担当者が学校(正確に言えば、MBA=経営学修士号=を取得するためのクラス)で学んだ大事な原則は、米国など、トリプルAの信用格付けを持つ国が資金を借り入れる際の金利は「リスクフリーレート(無リスク金利)」と呼ぶことができ、また、これを指標にして企業などの借り入れコストを評価できるということだった。
一時的な異常現象?
この「リスクフリー」という呼び名を見直すべき時なのだろうか。現在、米国および英国の金利市場で起きている動きを見れば、その答えは「イエス」だ。
債券市場のスワップスプレッドが「プラス」であるべきことは自明の理とされてきた。この「スワップスプレッド」と呼ばれるものは基本的に、銀行などの民間機関がLIBOR(ロンドン銀行間取引金利)市場で資金を借りる際のコストから、政府が国債を発行する際のコストを引いた数字だ。
民間の借り入れコストは信用力と取引相手の問題(言い換えれば、銀行がデフォルト=債務不履行=したり、債務を返済できなかったりする事態)に左右されるため、理論上、LIBOR金利は政府の借入金利よりも高くあるべきだ。トリプルAの格付けを持つ中央政府は本来、最も安全な存在であるはずだからだ。
ところが今、何か奇妙なことが起きている。
米国では30年物の市 米リーマン・ブラザーズ破綻後の2008年暮れ、金融の大混乱の真っただ中に市場場が注目されないこともあって、当時、スワップスプレッドがマイナスになったことはあまり報道されなかった。
しかし先週、より注目度が高く、影響力もずっと大きいベンチマークの10年物スワップスプレッドもマイナスに転じた。
これは単に一時的な異常現象かもしれない。そもそも、スワップ市場はマクロ経済の状況を示す完ぺきなバロメーターではないし、今は普段見られないような需給の不均衡が市場をゆがめている。
一部の銀行やヘッジファンドが最近、スワップの大きな振れに不意を突かれて損失を被ったと噂(うわさ)されていることだろう。だとすれば、これらの銀行やヘッジファンドがポジション(持ち高)を整理し、市場の動きを悪化させていることも考えられる。
パニックの前兆との見方も、今起きている現象について、これは先々起きる国債のトラブルと投資家のパニックの前兆だという見方である。
政府介入が生んだゆがみ
スワップスプレッドの振れは少なくとも、一部の投資家が神経質になっていることを示している。また、こうした動きは、我々が今、「正常な」市場に生きていないという事実を改めて浮き彫りにしている。金融システムは表面上、落ち着いて見えるかもしれないが、内部の歯車は、政府の介入によっていまだはっきり理解されていないような形でゆがめられたのだ。
もし我々が、希少価値を失ったこともあって、国債がもはや自動的に「リスクフリー」と見なされない世界へと足を踏み入れつつあるのであれば、それは投資家が今知っている世界とは全く異なる世界になる。
特に目を凝らすべきなのは(それだけ見るということではないが)、果てしなく拡大していく米国債の世界だ。