杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

台湾が大変だ!

2008-12-02 13:30:02 | Weblog

 11月29日(土)、拓殖大学で黄文雄氏の講演「台湾」を聞く機会を得た。
 午前十時に開始し、第一部 過去 第二部 現在 第三部 未来 で五時までの予定のところ五時二十分頃まで行われた。昼を除き略一人でしゃべり続け、熱く台湾を語った。
 3ページにわたるレジメが用意されており全てをここで伝えることは出来ないが、一つだけ、そしてどうしても伝えておきたいこと、それは日本ではメディアが殆ど取り上げていないが、今台湾が「大変な事になっている」と言うことであり、外国のメディアは「第2革命が進行中」、「異星人の対立」とまで報道するほどの内容である。そして今の台湾はくるくる代わる短期駐在型の日本メディアにはなかなか把握しきれないのではと黄氏は述べ、日本での報道が少ない理由を挙げている。

 馬英久は今年5月20日に総統になったが、以来親中政策を思うがままに始めたため、就任3ケ月にして激しい反政府デモに見舞われておりそれは現在も続いている。
 8月30日    30万人
10月25日    60万人
11月       40万人
 いずれも大規模な反政府デモである。
 そして学生たちはその後も引き続き台北で「座り込み」を行っており、国民からの指示も受けている。

 このデモの要因として挙げられている三つの危機がある。

第一の危機 経済の危機
 陳水偏が2000年に総統に就任したが、その年に台湾は約20兆円、2004年に約10兆円と中国への投資が行われており、経済の空洞化が進み台湾国内の経済は悪化してきている。空洞化は技術と人材にも出ており既に100万人が中国に。経済を立て直すと公約した馬は何も手を打てずにおり失業率も上昇。為に、国民の不満はたまり、特にイケメン馬を指示した女性からの反発が大きい。これで三通が進めば更に9兆円が中国に向かい台湾はもっと悪くなるだろう。未曾有の台湾経済崩壊の危機である。

第二の危機 民主主義の危機
 20年にわたって培われてきた民主化の成果が脅かされてきている。台湾の香港化であり、主権の危機が叫ばれている。

第三の危機 ファッショ化への危機 司法・公安・メディアの三位一体による支配
 司法は国民党の支配下に入った。陳水偏を指示した企業への圧力、倒産。陳水偏の逮捕もその一貫。
 公安はこの20年間にない警察の凶暴化、軍事教官の学校配置。
 中国によるメディア支配。TVは二社を除いて全て中国資本。活字は自由時報一社だけで、それも圧力を受けている。

 国民党はブルーで代表されているが、白色恐怖に代わる藍色恐怖であり、中国再統一に狂奔する歴史革命とまで言われている。

 黄氏は台湾の将来を予測するのは難しくなって来ていると言う。

<中国は対台湾に軍事圧力をかけても実行はしないのではないか?台湾の経済が徹底的に悪くなれば都市国家ヴェニスが近代国民国家イタリアを選択したように台湾人も自ら中国との統一を希望すると言うシナリオもあるといい、一方では台湾の民主主義が最終的にはこれを押しとどめるとも>、複雑な胸中を述べていた。

 はたして台湾は中国の台湾を貶めるというソフト戦術―第三の国共合作―に落ちてしまうのか?もしそうなれば日本も決定的な影響を受け、米国しだいでは中国の対日包囲網は完了してしまう。

 今、台湾から目を離せない!国内はもとより外国メディアの報道にも注視しよう。

田母神氏が問いかけるもの?

2008-12-01 01:15:18 | Weblog
 産経が田母神氏とのインタビュー記事を出し、それを以下の様に書きとめたままにしておりましたら、たまたま故宮本警部の記念碑が建立されたことを知り、何か因縁じみたものを感じブログに載せた次第です。


 産経が恐らく更迭後始めてと思われる田母神前空幕僚長へのインタビューを行っている。
 内容的にはこれまでの発言に変わりがあるわけではないが、我々国民が彼の発言の中でどうしても忘れてはならない事があると思う。
 それは、

「軍隊は、自分の命がかかればかかるほど、使命感がなければ動けなくなる。使命感とは、自分のやっていることは正義なんだ、と言う気持ちです。この国のために命をかけることが正しいのだという気持ちがないと軍は動けない。」

 軍隊という組織はいざとなれば、国民を守るために合法的に人を殺すことを赦された唯一無二の組織である。
 最近はやたら意味も無く他人を殺すと言うことが頻発するが、そこには正義のかけらも感じられない。常識のある人間なら、我々一般人が、もし人を殺さなければと言う事態に落ちいったら、「何故?」と同時に「正しいことか?」という二つの疑問がまず湧いてくることは間違いない。
 
 それは軍人とて同じことである。正義のないことに誰が命を掛けて訓練を行おうと思うだろうか?だれが前線にでて国を守ろうとするだろうか?
 大方の日本国民はいまだに国防という問題をないがしろにしてきているが、この素朴な問題に答える必要がある。そしてこの曖昧さが国防の現場にでている人々にとっては、くっきりと浮かび上がってくるのである。
 
 戦いの最前線に出ればその一瞬の迷いが自らを、そして同僚の命を失うことに繋がるのだ。

 とかく人は「正義」と言う言葉に美しいもの、気高い気持ちということを想像しがちであるが、しかしそれはむしろ「空虚な正義」に他ならない。
 「現実の正義」は血なまぐさい、どろどろとした、見る角度によれば汚い物ですらある。そしてそれぞれの国はそれぞれの正義をその軍隊・軍人に使命として与え、いざと言うときの為に備えるのである。
 落ち度の無い「完全な正義」などは存在する筈が無く、その「現実の正義」から逃避するなら国家は存在できなくなる。もし日本国民が「現実の正義」から目をそむけるなら、国家は存在しない。
 ならば、自衛隊を解体して、どこかの国の属国になることを選択せざるをえない。それがどんな結果をもたらすかは歴史が教えてくれているが、自立とか自尊心とかいう言葉からは程遠いことであることだけは間違いが無い。望んでそうなっているわけではないが、今の「チベット」を見ればそれが「属国」の姿だ。全ての自由を奪われ宗主国の言うことに全て従わされるのが属国だ。

 日本がそんなことでいいはずが無い。私ならそうなったら非力であろうとも戦い、死ぬことも止むを得ないと考える。

 今ひとつ国民が考えなければならないことがあろう。

 これは自衛隊にかかわらず、警察、消防、海上保安庁などの組織で働く人々への国民の思いである。他人を救う為に自らの命を掛けることを生業とする人々への敬意という問題である。
 
 我々は故宮本警部の死に、あの韓国青年の死に深く心動かされ多くの人が、花束をささげ、弔問に訪れたことを記憶している。そして我々の心に、人の為に自らを犠牲にした人達に深い感動と敬意を示すと言うことが、当然のことと考えていることを折に触れて思い出すのである。

 しかしながら、そしてその点だけを言えば結構なことではあり同時に皮肉な話ではあるのだが、自衛隊がこれまで戦闘行為による・あるいは救援支援による犠牲者が出ていないので、国民の心はそのことに思いをはせることがないのである。したがって、靖国神社への理解も今ひとつ進まないということであろう。
 いずれにしても我々国民は、今一度自らの心を見つめなおして、「自らの命を賭けて他人を救うことを生業とする人々に対して、尊敬と敬意を払う」ということを表すということに日常的に心がけねばならない。教育の場所でも語られねばならない。
 
 なぜならそういう行為で失われた命は、金銭で償うことが出来ないからであるからだ。
 それではそれを償うものはなにか?私には「尊敬・敬意の表明であり名誉を捧げること」しか思い当たらない。

「身を捨てて いさおをたてし 人の名は 国のほまれと ともにのこさむ」
         (明治天皇の御製と伺っています)


 私には田母神氏がこの二つを問いかけているのだと思う。