杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

日本人の知らない二つのアメリカの世界戦略

2007-01-29 11:21:04 | Weblog

 深田匠の「日本人が知らない二つのアメリカの世界戦略」をまだ、読んでいる。ようやく、361ページまできた。この本は582ページありぎっしり文章が書かれているから、普通の本に置き換えたら800ページぐらいに相当するのでは?とにかく、大作であるが内容も素晴らしい。いままで、こんな人を知らなかった。

 「ブッシュの靖国参拝ならず!」要約すると以下。
2002年2月の来日まえにブッシュは靖国に参拝したいと打診してきた。米国大統領として初めて。その意味は対等な同盟国となるべき日本の主権を尊重し、日本の英霊に敬意を表し、ともに中国と戦おうという意思表示に他ならない。靖国で中国にたたかれている小泉への援軍でもあった。しかし、腰抜け日本は中国に遠慮して断り、参拝は見送りになる。参拝をブッシュに進言したのはアーミテージ、日本は共和党政権の友情を自ら捨ててしまった。このブッシュの動きは容共民主党が主導していたGHQの対日政策の否定であり、共和党がニューディーラーの作った戦後体制を含めての世界秩序再編の一環であり、大局的見地からなされた行動である。

 まだ先があるが、話が長くなるのでこのくらいにする。話題を進めると、一昨年の夏、ロシアは戦勝60年とかでモスクワへ世界各国要人を呼んだ。ブッシュがこの直前にバルト三国に行って「ヤルタ協定」は間違いであると演説している。このとき私は、これを利用して日本はロシアに四島問題を取り上げるべきと論じたことがある。しかし、小泉はモスクワへ行き、胡錦濤の前でブッシュとの親密振りを見せ付けることはできたが、このブッシュ発言を利用して、四島問題に触れることすらしなかった。

 アメリカというか共和党の大局的なものの見方に日本はついて行けなかったのか、行こうとしなかったのか、この二つの見逃しは日本にとり極めて残念な話である。

 日本は本当に大丈夫だろうか?間に合うのだろうか?
何を言っているかというと、言うまでも無いが中国の属国にならないようにという話だ。

中国とクリントンの癒着

2007-01-27 00:04:14 | Weblog
ヤフーのブログへこの記事を投稿しようとしたら拒否された。この前の記事と合わせて二度目。ヤフーはとうとうおかしくなって来たのかな??




「日本人が知らない’二つのアメリカ’の世界戦略」(深田匠 2005年)ページ269-271。

 「クリントンは1996年の大統領選挙において中国人民解放軍から30万ドルの献金を受け、それ以降もクリントンやゴアなど民主党政権要人の多くは中共から総額1000万ドル以上の裏献金を、インドネシア・香港・マカオを経由して受け取っていた。インドネシアの華僑である李文正は中共がインドネシア経済支配のために送り込んだエージェントだが、この李文正は1970年代初頭に米国アーカンソー州に銀行を設立し、その経営を息子に任せている。実はこの銀行の顧問弁護士がヒラリー・クリントンであり、李文正は中共から民主党への裏献金を中継するマネージメント役を行ってきたのである。又中共は在米華僑のリアディーズ財閥を通じて民主党系の二つの有力法律事務所を民主党用要人の裏献金チャンネルにしており、その一つはまたしてもヒラリー・クリントンの所属するアーカンソー州ローズ法律事務所であり、もう一つは民主党元全国委員長 C・マナットが主宰するロサンゼルスのマナット・フェルプス法律事務所(民主党のカンター元通商代表もここに所属)である。米国情報筋によれば、クリントンはこの中共からの闇献金受領に関するやりとりをひそかにビデオにとられてしまい、そのために、クリントンは核開発の極秘データを中共に提供している。ついでに付記すればクリントンはアーカンソー州知事時代に、横山ノックの紹介で朝鮮総連系大阪在日朝鮮人商工会からも多額の献金を受けており、まるで自民党親中朝派政治家や社会党のように中朝のカネに汚染されていたのだ。まさに容共主義の伝統を持つ民主党ならではの腐敗した政権がクリントン政権であった。(中略)
 現在アメリカには」、約一万五千人の中国人のロビイストが存在しており、その大半は民主党と太いパイプがある。一例を挙げると、アメリカにおいて政治や経済などの分野で成功し社会的影響をもつ在米華僑約百人が、1990年に’百人委員会’というロビー組織を結成した。そのメンバーは現在は五百人近い人数に膨らんでいるが、主要メンバーとしては、中国系で初めて州知事になったワシントン州知事ギャラリー・ロック、カリフォルニア大学バークレー前総長のチャン・R・ティエンなどが名を連ねている。このような中共のロビーそしきは大小合わせて全米に無数に存在しているが、一方日本はマトモなロビー組織を持っておらずロビー活動も行っていない。なお、共和党に対するロビー活動は台湾のロビイストの方が活発なのだが、民主党は伝統的に嫌日傾向と中共よりにスタンスが強く、ヒルズ元通商代表、ヘイグ元国務長官、民主党上院議会の有力者ダイアン・フェインスタインなどは今や完全に中共のエージェントである。」
まだまだ、続くがこのくらいにしておこう

物事の両面を知る ’マッカーシー旋風のB面’

2007-01-26 22:23:11 | Weblog
昨年8月に友人のHPに寄稿したものです。ブログに出すのを忘れてました。 
                               

 学生時代にケネディーをアメリカそのものと見て育ったといってもよい世代である我々にとって、今となってはリベラル過ぎたと思う内容のものでも、当時アメリカから伝わってきたメディアの情報はバイブルといってもよかった。そんな中でも所謂「赤狩り」と呼ばれた中でのマッカーシー上院議員の存在は悪の象徴として伝わってきていた。確かに、マッカーシーのやり方は野卑で無法で、人間の自由も尊厳も無視して無実と思われる市民までを共産主義者として弾劾したことは今もって許されることではないであろう。

 『ビッグイシュー日本版』という雑誌がある。月2回発売されており駅店頭等で売られているがイギリスに本部を置く団体が“ホームレスの仕事をつくり自立を応援する”ことを目的として発行している。記事の取り上げ方が面白いので毎号を買う機会はないが駅で見かければ買うことにしている。

 平成18年4月1日発売の第47号に新作映画「グッドナイト&グッドラック」の紹介があった。マッカーシー旋風に正義感を持って立ち上がったメディアの戦いの物語であり、タイトルの「グッドナイト&グッドラック」は主役であるCBSのニュースキャスター、エド・マローが自らの報道番組の最後に毎回使う決まり文句である。監督・主演はジョージー・クルーニー、テレビシリーズ「ER/緊急治療室」でブレーク、子豚をペットにしたことでも知られている44歳のイケメン男優である。しかし、我々世代には日本で江利チエミが流行らせた「カモノマイハウス(うちへおいでよ)」を歌ったローズマリー・クルーニーの甥と言ったほうが通りがよいかもしれない。偶然ではあるが、映画はこの歌が流行った時代、1950年代を背景としている。

 「マッカーシー旋風とは一体どんなことだったのか?」私も分かっている様で実は確かではない。ネットで調べ、年代順に追ってみた。尚、マッカーシーとはウィスコンシン州選出の米国上院議員、ジョセフ・マッカーシーのことである。


1947年 05月 米ソ冷戦が始まり、アメリカで非米活動委員会が活動を始め          る。 660万人が取調べを受け500人が職を失う。
     10月 ハリウッドで赤狩り始まる。
1948年 08月 ルーズベルト政権の国務省元高官のアルジャー・ヒスがソ連ス         パイの容疑があがる。
(ヒスはハル・ノートで有名なハル国務長官の副官である。筆者注)
     10月 チャップリンが反米活動の疑惑を受ける。
1949年 06月 トルーマン大統領、赤狩りに行き過ぎを非難。
     07月 上院司法委員会共産主義の禁止をうたうマッカラン法(共産主         義者取締り法)を承認。
1950年 01月 前述のヒス、偽証罪で5年の禁固刑を宣告される。
     02月 共和党のマッカーシー上院議員、共産主義のスパイが政府機関         に潜入し、枢要なポストを占めていると告発、「マッカーシー         旋風」始まる。(第二次赤狩り 筆者注)
        マッカーシー議員、国務省に57人の共産主義者がいると演          説。
     06月 朝鮮戦争はじまる。 カリフォルニア大学が非共産党員確認書         の署名を拒否した教職員157人を追放。
     07月 ローゼンバーグ夫妻、原子力スパイ容疑でFBIが逮捕
        上院委員会、マッカーシーの告発は根拠がないと結論
1951年 04月 トルーマン大統領、マッカーサー元帥を罷免、元帥は帰国。
     09月 マッカラン法(国内治安法)、トルーマン大統領の拒否権を押         して成立・発効
1952年 04月 サンフランシスコ平和条約発効
1953年 01月 共産党幹部、NY市連邦地裁により、陰謀罪で有罪判決。
     06月 前述ローゼンバーグ夫妻、原爆スパイ容疑で死刑。
        マッカーシー旋風のピーク。
1954年 08月 共産党統制法成立、共産党が非合法化される。
     12月 上院は“米国上院議員にあるまじき行為を行った”として、マ         ッカーシーの譴責決議を67対22で採択。
         マッカーシーは失脚し、直後に病死し、マッカーシー旋風おわ         る。

 ご覧のとおりアメリカの「赤狩り」は1947年に始まるが、二つの時期に分かれており、マッカーシー旋風は1950年に始まる第二次とも謂うべきものである。映画はマッカーシー旋風がピークを迎え、全米が恐怖に慄いていた1953年、報道の自由も失われかねない中で、新興メディアのテレビ報道番組「シー・イット・ナウ」がその権力の横暴を取り上げる決意をする。CBSの経営陣、スポンサーもしり込みする中でこの問題を取り上げてゆく中心人物がキャスターのエド・マローとプロデューサーのクルーニー演じるフレンドリーである。

 映画のパンフレットによれば、“1954年3月9日、アメリカの「報道史」において、のちのちまで伝説として語り継がれる番組が放送される。(途中省略)番組の中で、マローはマッカーシーのこれまでのスピーチを取り上げ、その虚偽と策謀を露にしてゆく。そして‘アメリカは、国内の自由をないがしろにしたままで、世界における自由の旗手になることは出来ない’という言葉で締めくくった。」とある。

 この最後の「自由」に係る一節が911以降のアメリカの動きに懸念を見たクルーニーが映画を作るきっかけとなった。勿論映画は番組を通じてマッカーシーを失脚せしめるのであるが、皮肉なことに結末は世間が新興メディアのテレビに立派な報道番組よりも娯楽番組により期待する時代へと移りつつあることを告げて終わる。モノクロームの画像、そして時折演奏されるジャズ、子供心に抱いた「良きアメリカ」「理想のアメリカ」が懐かしく蘇えってきた。ここまでが「マッカーシー旋風のA面」である。

 それから約40年経った1995年、アメリカはそれまで非公開としていたソヴィエト連邦の暗号電報を解読し公開した。そしてマッカーシーの言ったとおりルーズベルト政権の中にあまたのソヴィエト連邦のスパイがいたことが明らかにされたのである。
 以下の二つの書物がそのことが真実であると伝えてくれている。
 保守の論客と言われるアン・コールターは著書「リベラルたちの背信」(草思社)で書いている。
 “当時リベラルたちが(マッカーシー問題で:筆者注)嘘をついてきたのは周知のことだった。だが、半世紀にわたって神話が作り上げられた後、1995年7月11日、ついに審判の日が訪れた。この日アメリカ政府は、非公開とされていたソヴィエト連邦の暗号電報を公開した。それは冷戦中に“ヴェノナ作戦”と呼ばれた最高機密活動によって解読されたもので、マッカーシーの告白が掛け値なしの真実だったことを証明した。

 驚くべき発見だった。学者たちは、ソヴィエト連邦のスパイ活動の範囲に関する論文を撤回せざるを得なかった。アルジャー・ヒス(前述)や、ジュリアス・ローゼンバーグ(原爆スパイ)、アメリカ人ジャーナリストのIFストーン(“ジャーナリストの鑑”、“調査報道の良心”と言われた。以上筆者注)までが、モスクワの工作員だったことが明らかになったのだ。
 それでも、おおかたの読者はこの“ヴェノナ作戦”について始めて聞かれたと思う。
 <ニューヨーク・タイムズ>はソヴィエト連邦の解読電報が公表されたことを殆ど報じていない。これで、‘マッカーシズム’の犠牲となった誇り高き不屈の魂の物語は損なわれたろうが、結局のところ、彼らは潔白でなかった。“

 この本は2003年に書かれている。よく読んで貰いたい所はアメリカの読者に向かって著者が「大方の読者はこれを始めて聞かれたとおもう。ニューヨーク・タイムズは殆ど報じていない」と言っていることである。報道の自由を求めて立ち上がったかつてのメディアの意気込みは、今や自らに不利な事実の出現に対して真実を伝えようとしないのか?我々が理想と考えてきたアメリカン・リベラルも日本の左派とあまり違わないと言うことのようだ。

 ここで、日本人にとってなじみの無い「ヴェノナ作戦」について簡単に触れておこう。日本政府の暗号解読がパープルの名前で行われ日米開戦前に解読されていたらしいことは知られているが、アメリカ政府は同様にソヴィエト連邦の暗号も解読していた。しかし、時期は日本むけより遅い1943年からの開始であり、1980年まで続いた。その極一部といわれている約3000通の暗号が解読され、アメリカ政府内のスパイ網が判明する。1945-52年頃にかけて概要が掴めていた様であるが、ソヴィエト連邦は暗号をその時点でまだ使用しており、アメリカ政府としてはこれを公表するわけには行かず、結果としてマッカーシーを見殺しにすることになる。(なお、ヴェノナの詳細を知りたい方は  NSA‘アメリカ国家安全保障局’のホームページにアクセスしてください。)

 さて、私はアメリカでの赤狩りが二次に別れていると書いているが、マッカーシーに先立つ部分にも光を当ててみたい。
 「リベラルたちの背信」の書かれた3年前に産経新聞社は「ルーズベルト秘録」を出しており、そのなかで、アメリカ連邦政府内のスパイ網を告発した人物二人、ウィタカ・チェンバースとエリザベス・ベントレーを取り上げている。そして二人はそれぞれのスパイ網を告げてきており、たまたまではあろうがともに組織における役割は連絡要員であった。
 「ルーズベルト秘録」にあるスパイ網には国務省、財務省、ホワイトハウス内に40名以上のスパイが存在していた、とある。チェンバースの告発はヴェノナが始まる前の1939年に始まる。当初大統領にまでその報告が行くが信用してもらえず、告発は数回にわたる。1945年FBIはヴェノナ情報をもとにチェンバース並びにベントレーに事情聴取し、その告発があらまし正しいことを知った。
 そしてチェンバースの告発の中にいたのが、一人が前述のアルジャー・ヒスであり、1950年の偽証罪による禁固刑に?がったようである。今一人は財務省のハリー・デクスター・ホワイトである。このホワイトは大統領と親しいモーゲンソー財務長官のもとで次官をつとめており、ハル・ノートの作成にあたりソヴィエト連邦、中国国民政府と連絡を取り、その内容を大きく変更するなど重大な影響を与えたと言われている。ホワイトについては単なる共産主義信奉者であったという見方があるが、NSAはスパイと断定して報告している。何よりも戦後IMFのアメリカ側代表理事にまで上り詰めたホワイトがスパイの容疑を受け証言を求められそれを否定しているが、その直後に心臓病で急死していることに注目せざるを得ない。
(F.D.ルーズベルト、米大統領‘民主党’、第二次世界大戦により通常2期の大統領職を1933-1945間の12年3期をつとめ、1945年4月大統領任期中死亡、日本に原爆を投下したトルーマンが大統領に。筆者注)

 ここまでが私の言いたい「マッカーシー旋風のB面」の意味であり、ことの両面、歴史を見極める難しさとでも言ったことを伝えてくれていると思う。
 ついでに付け加えれば、1990年代ソヴィエト連邦の崩壊と共に同国での情報公開がなされ、更に1995年には前述のとおりアメリカでソヴィエト連邦時代の電報解読が公開されるに及んで、これまで憶測の域を出なかったソヴィエト連邦の「コミンテルン」を通じてのスパイ網・活動が明らかになってきた。

 「コミンテルン」はスターリンが始めた国際共産党組織であり、共産党革命のために世界中にその組織を構築したが実態はスパイ組織そのものである。スターリンは日本の中国大陸からのソヴィエト連邦への北進を避けるために、そのスパイ組織をフルに活用した。即ち、アメリカのスパイ網を通じアメリカの対日政策に影響を与え、日本ではゾルゲ事件を起こし、中国では張作霖爆死を日本の仕業に仕組むなど、日本を孤立化させ、中国で疲弊させ、更には南進に追い込みアメリカと戦わせる、そのために謀略の限りを尽くしてきたといってよかろう。そうした罠に日本はまざまざと引っかかってしまったということだ。
 独裁国家はこういう仕掛けを行いやすい体質を持ち、一方では民主主義国家はこの様な陰謀には脆弱な体質を持っているということを常に留意する必要が有ることを、歴史は教えてくれている。

 一体、‘先の戦争’は何だったのかは、私にとっての尽きせぬ疑問の連続である。その謎解きにはまだまだ時間が必要なようであり、歴史はその重い扉を一度には開いてはくれない。時間をかけて、複眼で、重層的に検証してゆくことが必要のようだが、私に与えられた時間は充分なのだろうか?




「二つのアメリカ」(深田匠)を読む

2007-01-24 09:27:57 | Weblog
「日本人が知らない‘二つのアメリカ’の世界戦略」

 産経の正論で入江昭氏が暫く前に3冊の本を薦めていた。
・大東亜解放戦争(上下)            岩間弘
・戦後60年の嘘               前野徹
・日本が知らない二つのアメリカの世界戦略   深田匠

 このうちの3番目を読み始めたが、読んでいるうちに腹が立ってきた。本がつまらないからではない、中国の酷さ、日本の馬鹿さ加減がこれでもかこれでもかと思うほど書いてある。そして、書いてあることはそのとうりと感心することが殆どであり、続けて読まざるを得ない。

 いま、自分が考えていることがあって、ラルフ・タウンゼントの「暗黒大陸中国の真実」(芙蓉書房出版)という本を読み返していた。この本は新聞記者出身のアメリカ外交官が1931-1933年に中国の副領事として駐在し、その時代の日米中の外交を絡めた中国観をのべたものである。同氏は親日派として真珠湾攻撃後に反米活動をとがめられ投獄までされている人物である。そこに書いているのは一言で言えば中国の批判に終始しているといってよいが、どれも至当である。

 一言だけ引用すれば、いや二言かな?
・中国は世界に冠たる詐欺師・ペテン師である。中国に少し長くいた外国人はだれでも中国人は嘘つきだという。
・中国とは国交断絶したほうが良いが、出来ない。つまり、今までの対中国政策は失敗だったと素直に認める以外ないのである。金を貸せば、返してもらえないばかりか悪用される。学校や病院を建てたら、火をつけられる。宣教師は宣教師で、いくら中国人の中に飛び込んで命がけで働いても、教え子に拷問され虐殺されている。ただ、外交援助するばかりで、なんの罰則もなく甘い顔ばかりしてきたから、かえって暴虐の限りを尽くしてきたのである。

 この二冊を読み比べてみると日本が戦前も戦後も中国にだまされ続け、脅され大変な金をつぎ込まされていることが良くわかる。早く日本人もそのことに気がついて手遅れにならないように対処しなければと思う。前回はアメリカ・ソ連を抱き込まれて戦争に引き込まれて失敗したが、今回は同じ轍を踏まぬよう用心、用心である。

 肝心なことを言い忘れた。歳はとりたくないね。
日本の敵は中国だ!宇宙戦争には組しないなどと奇麗事を言う中国は信用できない。
「中国人の言うことは信用するな、その行いを見よ。」良く引き合いに出すが中国人女性作家「何清れん(さんずいに連)」の言葉だ。

「昭和のまちがい」を読む

2007-01-16 00:43:01 | Weblog
「昭和のまちがい」

 昭和42年発刊の「昭和のまちがい」を読んだ。1932年生まれの岡田益吉というジャーナリストが書いた本だが面白い。昭和のまちがいは全て大正にあるというのが題名の由来である。私が面白いと思った所を引用してみる。受け取り方は読者にお任せします。
副題は「新聞記者の昭和史」、まずは後書きの後ろ半分を引用してみよう。

 「日本がファッショになり、一方大正マルクス主義が流行したのも、昭和初期の恐慌が原因しているが、その又原因は大正時代の放漫財政にあった。‘大正、昭和をころす’とあえて言いたい。
日本がファッショになり、政党政治が破壊された原因の一半は、また元老西園寺公の独断的行動にあったことを強く指摘したい。
 私は今までの昭和史観を覆そうと思う。満州事変は決して帝国主義でも侵略主義でもなかった。ただ後半になってそうなってしまったのである。満州国さえ育成しておけば日支関係は再建されたし、日本は二度と戦争を起こさないで済んだ。それを支那事変に引きずり込まれた。これほど馬鹿げた戦争はなかった、このことはいずれ書きたい。(中略)どこに‘昭和のまちがい’あったか、いつから‘くいちがい’が起こったか、それをありのままに見るのも一つの批判だと思う。イデオロギーで歴史を批判するのは一番愚劣だとおもう。だからなぜなら人間は本来愚劣なもので、将来を見通すこともできずタイミングをいつも誤るものである。新聞記者の感覚はおぼろげだが、そのズレを直感する。岡目八目という事かも知れない。」で終わる。上述で‘いずれ書きたい’とあるが残念ながら私には氏の他の著作が見当たらない。

東久邇宮の日米戦争予言
 「日本の皇族の中でも異色とされていた東久邇稔彦王(終戦直後の首相、現在民間人)が、大正9年(1920 第一次大戦後 著者注)4月フランスへ留学したさい、ペダン元帥にあったとき、
‘日本は日米戦争やるのか’
ときかれたので、彼はビックリして、
‘日本陸軍は日米戦争は考えていない。対米作戦計画というものは全く無い’と答えると‘それは嘘だ’とペダンは笑った。
二度目にあったときも元帥は、
‘アメリカでは、お前の国を討つかもしれないから、よほど用心しなければいけない’
と力を込めていったので、東久邇宮はおかしな話もあるものだと思ったという。
その後も、ホテルのマネージャーから、
‘このホテルにはアメリカの高官が沢山来ているが、あなたが食事に来ると、あのジャップを今にたたきつけてやると、いっている」と告げ口されたり、ポメリー・シャンパン会社というシャンパンの本場に招かれたときに、そこの社長夫人(アメリカ婦人)から、
「あなたは私の敵です。今に私の国は日本と戦います」と大真面目にいわれた。
二度ならず三度まで、フランスへ来て日米戦争論をきかされて、嫌な気持ちにもなり、又不思議におもったので、東久邇宮は、クレマンソー(第一次大戦中のフランス首相)に会ったとき、
‘あちこちで、日米戦争が将来起きると聞かされているが、それはほんとうか’ときいたところ、虎といわれていたクレマンソーは次の如く答えた。
‘それは当たり前だ。アメリカは、太平洋に発展するには、日本はじゃまなんだ。太平洋
や中国大陸で、アメリカが発展するために、日本の勢力をとりのぞかなければならないのは、当たり前だ。フランスにきているアメリカの軍部の高官連中は、みんなこういっている。今回の戦争{大正7年11月に終わった第一次世界大戦}で、ヨーロッパでは、じゃまになるドイツをたたきつけてしまった。今度は太平洋でじゃまになる日本をやつける、といっているよ。
アメリカはまず外交で日本を苦しめてゆくだろう。日本は外交が下手だから、アメリカにぎゅうぎゅういわされるにきまっている。そのうえ日本人は短気だから、きっとケンカを買うだろう。つまり日本の方から戦争をしかけるようにアメリカは、外交をもってゆく。そこで日本が短気を起こして戦争に訴えたら日本は必ず負ける。アメリカの兵隊は強い、軍需品の生産は日本とは比較にならないほど大きいのだから、戦争をしたら日本が負けるのは当たり前だ。だから、どんなことがあっても日本は我慢をして戦争をしてはいけない‘
東久邇宮は大正12年1月に日本にかえり、ぺダン、クレマンソーの日米戦争必然論をあちこちで話すが誰も本気にしなかった。ただ一人西園寺公だけが{国家の指導者は慎重にあるべき}と同調したとある。そして、クレマンソーの言うとおりの先の戦争になってしまうが、日本は対米戦への備えを怠り、充分な準備の無いまま戦争に突入し無残な敗戦を迎えた。ブライスの話は1912年ごろ、即ち日露戦争後にアメリカが日本へのオレンジ計画を含め軍事作戦を構築し始め、イギリスがそれを知らされないまでも理解し始めた時期であろうし、第一次大戦後には日本を標的として戦うことがアメリカ軍の高官レベルまで周知され始められ、それがヨーロッパで語られ始めたと言うことが理解できる。そして、そのような情報にあちこちで接しながら日本はそれに気がつかずにいた。おそらく日本としては勝てる相手ではないから戦わないということであったのだろう。しかし、相手は戦うことを前提にしていた。それに気がつかない、国としてこれ以上おおきな間違いはないのではないか。岡田氏もそう指摘している。

日英同盟の弔鐘
 ワシントン会議の第4次本会議は対象10年12月10日に開かれた。まずは米国のロッジが立って、新しい条約の4条を静かに朗読した。新条約の終わりに、彼の言葉はなんであったか?
「本条約は、ワシントンにおいてできるだけ速やかに批准を了すべきものとする。そして批准と同時に1911年(明治44年)7月13日、ロンドンで終結された日英両国間の協定は終焉する。」
 日本代表団の顔面筋肉は緊張したままだった。一部英国代表は不愉快な顔をした。米国と中国の代表は大きく微笑んだ。すると突然英国全権バルフォアが起立した。
「私は、いま起って、ちょっとの間、諸君のご清聴を煩わすのは、条約全体についてではなく、単に日本から来た我々の友人と、英国代表部が直接関心をもつ条約の一項について一言述べるためである。
日英同盟に終焉すると第4条が規定していることに、諸君は気がつくであろう。日英同盟は二大戦争(日露戦争と英独戦争)において、その目的に奉仕し、共通の犠牲、共通の心配、共通の努力、共通の勝利の試練に堪えた。その激しい試練の中に結合してきた日英両国民は、汽車のたびを数時間ともにした二人の未知の人が分かれるように、この試練のおわりに当たって、お互いがただ帽子を取って丁重に別れることは出来ない。単なる条約の言葉以上の何者かが、より密接な何物かが、両国をつないでいる。、、、、、」
 この演説のはじめのころから、日本代表たちの顔は真実の感動を示した。(日英同盟廃棄十周年におけるモーニングポスト紙の回想記)(中略)
英国のピゴット少将とともに、強烈な親日家であった米国人、日本政府に前後15年間顧問をしていたフレデリック・モアーは、‘日本の指導者と共に’という著書の中で、
「英国に強要して、日本との同盟を廃棄させたことは、米国外交政策の過失だったと、私は痛感した。日英同盟は米国を脅威する筈がなかった。脅威という非難は真実ではなかった。日英同盟の廃棄は日本に衝撃を与えた。これが日本を独自の行動に向かわせた初めだった。、、、、これは、心理的にドイツとの協力への道を開いた。もし同盟が継続されていたら、日本において文官及び海軍の影響力が充分陸軍を抑え、中国へ向かわせることを阻止でたろうとさえ、私は思っている。」
 一番ものを言わなかったのは、日本人だった。ピゴットを恐れさせたのは日本人の沈黙であった。(中略)
 だが、日英同盟を継続できなかった責任をすべて英米の政治家だけで負うべきものであったか、日本の政治家がいかにボンクラであったかも十二分に検討すべきではないか。日英同盟の廃棄こそ、第二の‘大正のまちがい’であった。

キッシンジャーと日高義樹 ワシントン・レポート

2007-01-08 02:47:53 | Weblog


 毎年正月になると、日高義樹はキッシンジャーをゲストとしその年の予想・予測をさせる。
 これまでこの番組を楽しみにしていたが、昨年外交文書の公開でキッシンジャーの日本人への人種差別的発言、中国との金がらみの関係を知るに及んで、彼への尊敬の念は消えうせてしまった。しかし、何を言うかは聞いておきたいのでテレビに向かうことにした。

気になる話は五つ。

・中国の軍事力強化は進むが、これから10年はアメリカに向かうということはない。
(10年後は分からない、危ないとも聞こえる。もっとも10年先まで言い切るにはそれなりの根拠もあるのだろうが、彼が親中派ということも考えざるを得ない)

・北朝鮮が日本に武力攻撃を行ったらアメリカは迷わず北朝鮮を報復・殲滅する。それがアメリカにとっての日米50年の同盟関係の重みだ、と言い切った。(核を使うということしか考えられない、その覚悟をしているということだ。)

・靖国問題は日中間の問題ではあるが、中国がもしこの問題で日本の立場、面子や困惑する立場に日本を追い込む場合にはアメリカ政府が間に立つことになると思う。

・(中国の石油戦略を話しているときに話をさえぎるように)世界は今年にでも石油消費量の割り当てを話し合う場を設けないといけない、と言い出した。そしてその前にしていた発言は、現在の石油をめぐる大国の動きがかつての植民地時代のようだといいかけていた。(この国際的話し合いの必要性は3年連続である。更なる戦争の危険性、世界的混乱を危惧しているようだ。日本は石油の手当てはアメリカしだいであることは戦前も戦後も変わっていない。だから日本人はこういう点をしっかり聞いておく必要がある。)

・核拡散の国際的な動きにも左右されようが、前にも話しているが、日本が秘密裏に核武装への準備をしていると聞いても、アメリカ政府の見解ではないが、といいながら私個人は驚かないという。準備をしてないことはないだろうとの発言にも受け取れる。

彼の話を聞いて改めて思うこと。

 良し悪しは別にして、日本がアメリカについていかなければ明日から石油に事欠くことになることは明らかだ。そして前述のとおりこのことは戦前も戦後もちっとも変わっていない。
従って、アメリカの言うことには充分に耳を傾けていかざるを得ない。

 日本の核武装はむしろ日本の判断の問題であるが、アメリカとともに地域・世界の安全に係るということになると、まずは集団的防衛義務(自衛権とはおかしな表現)、そして自衛隊の海外派兵(PKOのみならずPKFも含め)が必要になる。油の一滴が血の一滴という話になってゆくだろう。日本人もいよいよ「命を懸けて他人を守る」ことの大切さを認識しなおすことが必要だ。アメリカ人だけが死んでいいことにはならない。そんな片務的同盟のままなら遠からずつぶれてしまう。
 戦後の日本の復興は民間人が海外に出ることで行われてきている。それも、アメリカの力で一定の平和と安全が維持されていたから、まずはそう危険な目にはあわずに済んできた。しかし、よく見れば病気、犯罪、誘拐、そして9.11のテロでの犠牲者が出ている。どの国もやっていることだが、民間人が血を流してきているということだ。アメリカ一国で世界の安全の確保は困難になってきたということだから、いよいよ日本も軍事面での協力を果たさざるを得ない。私流に言えば一番最後にようやく軍隊が外国に出始めたということだ。そしてこれまで日本だけがさけてきた軍事協力、これにより血が流れることも当然覚悟せねばならない。やむをえないことだと思う。しかし忘れてはならないのは「命を懸けて他人を守る」人達(軍人に限らず、海上保安官、警察、消防等)への理解と尊敬が必要だということだ。こういう人たちがいないと国の安全が守れない、そしてその行為によって来る犠牲は金であがなえないからだ。それが靖国問題の本質でもある。

2007年、言の初め!

2007-01-06 14:16:27 | Weblog


明けましておめでとう御座います!

 新年から、そして誕生から三ヶ月の安倍政権に物を言うのが早いとは思いますが、やはり何かと心配であり、心ある人たちが一言言いたくなり、又言い出している気持ちは良く理解できます。

 復党問題では命取りに成りかねないと思わず言ってしまいましたが、道路特定財源の一般財源化問題、税調会長問題、行革担当相問題と続きましたが、沈黙を守りました。
年末に屋山太郎氏が防衛長官を更迭せよと正論に書かれており同感ではありましたが、これも沈黙を守りました。そしてその後V型滑走路失言が出ました。この人、駄目です!

 本日の正論は田久保忠衛氏の「安倍首相への年賀状―支持率より歴史的使命へ蛮勇を」です。読んでいるうちにムズムズしてきました。
「私が落胆したことは、、、
正月早々、野暮を承知でいろいろ申し上げる無礼をお許しください。(中略)それよりも、私が落胆したのは‘村山談話’踏襲を明言され、祖父岸信介元首相の‘結果としての戦犯責任’まで口にされたことです。これまでの安倍さんの心情を耳にし、目にしてきた私にとっては信じられない思いでした。(中略)戦後の日本は安全保障面で欠陥を持ったままとにかく生き延びればいいのだとの‘ハンディキャップ国家論’を私は直接批判してきただけに、安倍さんはついに‘向こう側に’に、からめとられたかの印象が強いのです。
‘美しい国’という悲願
(前略)支持率を取り戻すために記者会見をどうするかとか、話し方のパフォーマンスを改めるとか技術的な工夫を凝らすのも大いに結構でしょうが、それは人の心を動かしたりしません。
歴史的な使命を帯びた‘美しい国’に向けて蛮勇を振るっている安倍さんの姿勢が感知できれば国民には分かります。末葉末節に気を使って当面の支持率を上げる意義はなんでしょうか。岸さんは研ぎ澄まされた理性を貫くために、四面楚歌の中であえて支持率に歯向かったのだと思います。ソ連の中距離ミサイルSS20の脅威の前に、米国のパーシングIIと巡航ミサイル導入の決断を下したシュミット元西独首相の前にどれだけ国内の反対論が立ち塞がったか。レーガン元米大統領が政権の第一期にソ連を軍拡に誘い込んだとき、米世論はいかに反対を騒ぎ立てたか。日本では保守系の大物評論家が‘レーガンは右翼だ’とテレビでがなり立てました。安倍さんの大目的は支持率の回復でも、長期政権の維持でもない筈です。それらは手続きにすぎません。
‘何故急ぐ必要があるか’
(中略)中国は戦術的にではありましょうが、‘普通の国’へ向かって大きく舵を切りつつあるようです。米国を初め周辺諸国に‘脅威’とみられることを回避し始めたと思います。
(中略)中国政府は世界11ヶ所に1650人の警察官を送っています。日本の50人弱と比べてみなければなりません。仮に国際テロと戦うために米中両国が手を携える事態になったら日米同盟などは脆いと考えます。(三三壮途の歌の二番を引いて)
安倍さん、浮き草のような当面の支持率は気になさらずに、‘こちら側’で蛮勇を奮っていただきたい。神は安倍さんを試しているのだと思います。」と結んでいる。

 日本が国家として存亡をかけて再生できるかどうか?そのぎりぎりのタイミングで神が送り出したのが小泉であり安倍ではなかったのか?ここで日本が立ち戻れなければあとは落ちるだけ、滅びるだけである。だから安倍はただの首相ではないんだ。歴史的使命を帯びた宰相の一人なんだ!今一度小泉が言い出した‘自民党をぶっ壊す’、この言葉を噛み締めて、田久保氏ならずとも、安倍にはたとえ蛮勇であっても構わないから国を正しい軌道に戻してもらいたい。安倍政権になり、始めて日本政府の外交方針として普遍的理念である民主主義、人権、自由、法治国家を挙げ始めたことは理解しているし大賛成であるが、日本の安全保障を考えた場合、内外ともにもう一歩踏み出さねばならないことがある。その一つは集団的防衛権(自衛権にあらず)、今ひとつはミサイル防衛に加えてのイギリス型報復核抑止力の整備である。この二つを行ってはじめて日本はアジアの一員として大陸・半島を含む自らの地域の安全に貢献できる。

頑張れ!安倍宰相とエールを送りたい。