杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

参院選、あと3日!

2007-07-26 10:47:11 | Weblog

 何時も参議院選挙と言うものはかくも静粛であったのだろうか?
私はブログのタイトルどうり杉並区に住んでいるが天下分け目の決戦が29日に行われると言うのに、後実質3日も無いと言うのに、近辺にはその様な雰囲気は微塵も感じられてこない。

 安倍叩きに終始していたマスコミもここへ来て「自民、過半数危うし」と煽り始めてきたが、浮動票が2-4割とも言われており、確かに自民不利かもしれないが、まだまだ分からない。安倍叩きをしたマスコミも本音では年金問題の敵失で有利にたっただけの民主党が参院とはいえ過半数をとることに疑問を持ち出したのだろうか?「自民危うし」の報道が繰り返されると、自民応援報道にも思えて可笑しい。

 今見る限りは良識の府と言われる参議院選挙にしては争点のレベルが低すぎる。まさに国の未来を語るべきこの時期に、果たして国民はこのままのながれで29日に望むのであろうか?私には最後に日本人のバランス感覚が働いてくるように思えるが、そう思うのは私だけではなかろう。

 産経はこのところ選挙の争点を明らかにし何が争点たるべきかを報道し、安倍支持に回っているが、24日から始まった一面のコラム「何たる選挙戦」もそのさいたるものだ。私は産経ももう少し色を出しても良いのではと思うがいずれにせよこのような問題点の取り組みには賛成である。何故なら中立的などという意見は批判することにしかならず、何も建設的なことを生みださないからである。
 
 24日は石橋文登が「誰を利する‘国家’なき迷走」と題して政策論争なき選挙が行われようとしており、その結果北朝鮮を利し、民主党を利するに止まらず、自民党内にも乱れを生み、古賀・谷垣はひそかに会談し安倍の退陣ラインを話し合うまでになっていると報道している。
 
 25日は古森義久が「醜聞・年金だけの争点は恥だ」と題して米国の若手日本研究者マイケル・オースリン、ニック・セーチェーニ、そしてベテランのジム・プリシュタップの話をそれぞれ伝える。三人を代表してオースリンのコメントを書こう。
「今回の参院選は、日本が今後国際的にどんな役割を果たすべきか、安倍晋三首相が示したビジョンへの賛否が問われるべきと思っていたら、一連のスキャンダルと年金制度の管理ミスだけが争点のようになってしまった。これはシェーム(恥)だと思う」その他海外の日本を知る人たちの論調もシェームとまで言わないが、同様である。

 もう少し色を出したほうが良いなどといっていたら今日26日ははっきりと色を出してきた。今日で三回目であるがまだ‘完’が出ないので明日以降も続くのであろうが、なんとお出ましになったのは真打クラスの石井英夫氏である。氏はストレートそのものと言えよう。
 「(前略)こうして世論とマスコミは二人三脚となって、明日にも政権交代が実現するかのような報道ぶりになっている。 

 ちょっとまってくれ。

 参院選は衆院の総選挙と違って総理大臣を選ぶのが目的ではない。そもそも自民・公明は衆院で過半数を維持している。選挙の結果、万が一安倍退陣というような事態が起きたとしても、同じ自民党からほかのだれかが出てくるだけなのだ。
それより何より、社員食堂の日替わりランチのメニューではあるまいに、くるくると指導者の顔を挿げ替えてどうしようというのか。安倍さん‘戦後レジーム(体制)からの脱却’を掲げて、ともあれ教育や政治の改革に乗り出したばかりのところである。その首相を道半ばでひきずりおろし、一体だれにこの日本丸の航路の舵をまかせようというのだろう。

 “何たる選挙報道”、海外も日本のていたらくをみている。いまの世論と一部新聞には、そのあたりの覚悟と存念が有るのかどうか聞いてみたい(攻略)」

 たしかに石井氏の言うとおりであるし、私も安倍氏の続投を希望している。又、安倍氏が退陣した場合に日本が陥る危険を大変に危惧している人たちがいることも事実である。
 しかし、もしそうなっても安倍に選択肢がないわけではない。いっそのこと自民党を割って、民主の右派若手を釣り上げ手を組んで新しい体制を作ると言う選択肢もあるはずだ。そして、もしそこまで踏み切れればそのほうが望ましい体制であろう。

 マスコミならぬ「マスゴミ」は議席数ばかり数えることを止めて、すこし頭を使うことを考えたらどうか?読者はそんなに利口ではないかもしれないが、意外とバランスのとれた常識人であることを忘れないで欲しい。

 後4日、選挙結果が楽しみだ!

対米外交に於ける日本の我慢!

2007-07-19 00:54:15 | Weblog
 日本と言う国が今後どうあるべきなのか基本的問題点をあらっておく必要があると思うので書いておく。

 日本は領土、人口、資源ほかあらゆる点から見ても、独立した大国であるという存在になることは考えられない。アメリカの庇護の下、戦後通商国家として現在のような経済大国と言われる様な存在にまでなってしまっているが、これからの日本がこれまでの延長上に引き続き経済大国のまま存在しうるかどうかは、極めて疑問である。即ち、原料たる資源、食料の外国からの調達が滞ればたちどころに日本経済のみならず、日本全体が窮することになる。
そのような状況を避けるには他国との協調・同盟関係が必然的に不可欠となる。

 日本は海を自然の要塞として江戸時代までは鎖国をすることで独立国として存在し、同時に独立国に相応しい文化・思想を育み、誇り高き民族を構成することが可能であった。
 しかし、明治維新は日本にそれまでと全く異なる課題を与え、日本の存在が自らの力だけでは維持できないことを悟らせた。そしてその願いが、締結されるまでは、「高嶺の花」と考えられていた「日英同盟」であった。この締結により日本は日清・日露の戦争に勝利し維新の愁眉を開いたわけであるが、一方では日露戦争において白人に勝利したということが、白人の恨み・猜疑心を生み、第一次大戦後のワシントン条約に見るごとく米国の手にかかり、日英同盟は崩壊させられ日本は世界の孤児として国際社会に放り出され、米国を中心とする嫌がらせを避けえずに大東亜戦争に踏み切り敗戦に至った訳である。天皇制を中心とした政治制度(統帥権)にも問題が有ったのだが、パートナーを失った瞬間からと言っても良いほど国内が分裂し外交が蛇行し始めたのである。

 敗戦により日本が米国の属国状態と成ったことは止むを得ない。米国の巧みなマインドコントロールに拠るとはいえ日本人が現在に至るまで独立国としての気概に覚醒せぬままに21世紀を迎えてしまったことは誠に慙愧に耐えない。しかしながら、選択肢がなかったが恵まれたといって良いと思うが、米国と言うパートナーの存在があったからこそ、日本は戦後の復興をここまで成し遂げることが出来たのである。パートナーとは表現を変えれば‘みかた’のことである。

 いずれにせよ、良いパートナーがあったときは日本はまあ、まともに過ごせたのが明治維新からの歴史といってもよかろう。

 さて、何が‘慙愧’か?
 世界の変化に気がついていない。とりわけ冷戦構造の崩壊という変化に気づいているのかもしれないが、国として全く対応できていないことである。そしてその対応とは何かといえばアメリカとどのように付き合ってゆくか?日本としての覚悟・我慢の程を知ることである。

 論理的又は理論的とでも言うならば日本には、1)同盟国を持たずに完全に独立する、2)中国と同盟関係(属国化)をもつ、3)アメリカの州の一つとなる(この場合天皇制が問題になるが)と言う選択肢がないわけではないが、この三つの選択肢は日本にとってあらゆる観点から見て現実的ではないことは明らかである。従って、日本はアメリカを軸とする同盟関係を基盤にして、これに加えて欧州・豪州・インド等との協調関係を強化して行くということになり、アメリカを軸として中国との関係を強化すると言った選択肢は選ぶべきではない。あくまでも、資本主義、民主主義、自由、人権と言った価値を共有する国々との関係強化を優先すべきであろう。
 しかしながら、共通の価値観を持つということだけで、アメリカとの同盟関係を維持してゆくだけで果たして充分であろうか?同盟国を持つということは自国の安全保障を保つためのものであるからして、経済、文化、防衛他なるべく多くの関係・結びつきを作っておかなければならない。なぜなら、日本から見れば強い結びつきになると考える共通の価値観であっても、例えば米中の関係で見れば、たとえ価値観が一時的に違っても両国の経済や国として規模、地域の安定等にアメリカにたいして中国が日本より貢献がより大きいならアメリカは躊躇なく中国との関係を優先するに違いない。そしてそれはそのほうがアメリカの国益に副うからである。誰とかの名言、「国家間に友情はない、国益が存在するだけである」。

 冷戦構造の崩壊がもたらした物で我々があまり意識していないのが国連の役割の低下である。一方、日本はこれまで国連にたいして神話とでも言えばよいほどの期待感をいだき続けてきた。しかし今やこの国連外交中心主義に日本も決別すべきである。即ち何の役にも立たないに近い存在である。冷戦時代にはアメリカは国連の場で常任理事国であるイギリス・フランスを味方にしておくことは不可欠であったし、アジアではアメリカの模範生として日本を位置付けておくことも重要であったろう。しかし、冷戦構造の崩壊、ソ連の崩壊こそがブッシュをしてアメリカにとって機能不全の国連に変えて有志連合なる新たな仕組作りを可能にせしめたのである。そしてこの新たな仕組みはアメリカの都合により極めて柔軟に姿・形をかえる存在といってよかろう。そしてアメリカという‘指’に留った国々はアメリカの都合に翻弄されることになるが、その典型となるのがイギリスであり日本ではなかろうか?言葉は悪いが、もし日本がアメリカという‘親分’の都合に機敏に対応してゆかなければ、‘子分’である日本は、上席に座らせてもらえず親分の面倒見も悪いと言うことになり、有志連合である以上、その席すらも時々の貢献度により変わりうると言うことになる。

 なんだか‘組’の映画にでも出てきそうな話であるが、60年間固定化されていた世界が流動化し始めたということは、弱肉強食の次代に再突入したと言うことに他ならない。我々は朝鮮半島が100年前に戻った、又韓国が時代主義に戻っていると言っているが、100年前の半島は列強の草狩場であった。前回は日露中が狩人であったが今回は米中露である。そして、台湾問題の帰結を待つまでもなく、次には自らを守りえない日本が続けば米中という、ひょっとすれば領土問題を抱えた露も加えた狩人の前に身をさらす破目になるのである。
 それを避けるためには自らを守る気概とアメリカにしっかりとフックをかけ同盟関係を強化しておく必要がある。

 しからば、同盟関係の強化とは何か?世界が少なくても東アジアが弱肉強食に戻りつつある今、最終的にはお互いに守る合える軍事力に収斂される。そしてその軍事力とは武器であり人間である。双方が血を流してでも守りあう気概がなければ成立しないし、その覚悟が出来ないのなら、その覚悟を示すことすらも躊躇するなら同盟国(みかた)など持つ資格がないのである。
日本がアメリカとの同盟関係で当面しなければならないことを列挙してみよう。
・アメリカのトランスフォーメーションに合わせて、沖縄からの基地移転を円滑且つ早急にすすめ、アメリカ軍の撤退が進む中で核抑止ミサイルの配備も含め日本独自の防衛体制を強化すること。
・スパイ防止法、軍事機密保護法等を整備し、アメリカからの武器・兵器の調達を円滑・容易にすること。
・集団的自衛権問題の解決を計り、日本の行動範囲を決めるにしても日米助け合ってともに戦える状態にすること。
・世界がアメリカのBSE基準を認めている中で、全頭検査が正論かもしれないが、日本はその対応で「羹に懲りた」面もあるので、程ほどに妥協してゆくこと。米欧がアメリカ基準で食べているのだから、日本人が食べても大丈夫と思うしかない。
・言うべきことは言うこと。従軍慰安婦、南京事件、ファンド規制等。

 まだ他にもあるだろうが、国と国の関係は戦争をするのでない限り全て交渉事であり、何が絶対正しいと言うことはない。絶対に正しいと言い出したら解決は武力しかない。
 アメリカを同盟国として日本がその生き残りは賭けるなら、それ相応の妥協と我慢を続ける必要がある。アメリカとの交渉事が日本だけにとって有利に解決するなどと言う幻想は棄てなければならない。日本人はそうまでは思ってないというかもしれないが、その反応は昔から過激・過敏とも言えるし、メディアの対応にも大きな責任があろう。

 日米関係を身近な例に譬えれば、アメリカは大企業、日本はその大企業に大きく依存する出入りの中小企業といえよう。大切な「顧客」の無理を聞きながらも自らを存在させてゆく、相手の気を引いておくだけの努力を続ける、いささか喩えは悪いかもしれないが、そういった我慢が必要となる日本であると思う。言うべきことを言うことは構わないが、そのためにはするべきこともしておく、極めて常識的な話に落ち着くことが出来るのが日米関係であろう。