杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

ヴェールを脱いで見せた中国!

2008-04-30 17:44:48 | Weblog

 今回の聖火リレーに関連して中国は世界各地で中国人学生を中心とした動員をおこなったが、我々日本人はこのことをどのように理解しておくべきかを考えてみた。

 その結論は今回の中国政府の対応は日ごろの情報活動の一環のなかから出てきたものであり、中国政府はその多くの情報活動のなかの、それこそヴェールの下に隠されていた氷山の一角を我々に見せたに過ぎないということである。

 即ち、彼らは日常的に他国である民主主義国家の自由を悪用・乱用して、秘密組織を日常的に構築し、ひとたび中国自らの利益を守る必要があると判断したときは、その組織を即座に他人の国家であっても遠慮会釈なく発動し、目的を達成することが出来るということを示したわけである。

 これまでも、世界各地で中国の情報活動については語られてきているが、今回のように世界各地でそれこそ同時多発的に動員がおこなわれたことによって、彼らの仕組みが顕在化し、我々はこれまでと異なる現象を目にした事により、初めて中国政府の情報活動の正体を知ることが出来たということになるのではないか。
 従って、大切なことは中国という国家が単に厚かましい等と言うレベルを超えて、いざとなれば他国の存在など無視してでも、自らの主張を実現するためには、なりふりかまわずに、行動する存在であるということを、日本人として認識し、これからは今まで以上に中国並びに身近にいる中国人に対しても対応し、警戒を怠らないということが必要であろう。

 今回はたまたま長野という地方都市が対象であり、地方都市の一つぐらいなら、中国も影響力を示すことが出来るだろうと簡単に思う向きもあるかもしれない。しかしながら、彼らがその組織を長野にあわせて、その規模で動かしたと見るべきではないのか?今回は中国人留学生だけが動員の対象であったに過ぎないのだから。(余談になるが今回の件を見て外国人に地方参政権を与える等と言うことが、いかにとんでもない話か理解できよう)

 中国という国がそういう国だということを知るに十分、その素顔を見る機会であったと考えている。

聖火りれー、長野日帰り

2008-04-27 08:55:51 | Weblog

 6時50分発の高速バスで長野へ、予定通り10時30分長野駅到着、善光寺でお参りをして、タクシーでリレー終着の若里公園へ移動。チベット支持派に合流。雨と寒さで12時15分現場を離脱。(聖火は12時30分に到着)2時長野発のバスで東京へ。(因みにバスの往復料金は7,200円、これが時間は掛かるが一番安い、年金貧者にぴったり。)

 現場にいると全体が把握できないが、やはり現場に行ってしか感じられないことを感じることが出来た。

 それは数の上では組織動員された中国人グループには劣るというものの(チベット支持派が動員もなくこれだけ集まっていること自体が凄いことであるが)、チベット支持派は確実にその存在感を示すことに成功し、中国人グループに少しもひけをとることがなかったということである。チベット支持派は私が若里公園にいた1時間強の間も、「フリー、チベット」を始めその他のシュプレヒコールを途切れることなく叫び続けたのである。

 チベット支持派が「ひけをとらなかった」という理由を私がここに見たことを伝えておきたい。

 今朝のフジテレビを見るとチベット派はリレー終了後も一時間以上シュプレヒコールを続けたと報道しており、チョットと現場を覗いて来た私のようなチベット支持派に発言の資格はないのかもしれないが、今回のリレーにあたり、同じ仏教徒として出発地点を辞退した善光寺、数に劣るとはいえその存在感を十分示すことができたチベット支持に動いた人々の存在、この二つがあったことで、国際社会の中で日本がチベットの人権問題に関心を持ち、それに添って行動する国であることを、示すことになったのではないかと思っている。

鉄道各社は福知山線事故に何を学んだか?

2008-04-25 15:09:51 | Weblog
一日に2件も出す必要もない。ましてはサボりにサボっているブログだというのに。

3年前の今日があの恐ろしい福知山線事故のおきた日であることを忘れていた。しかし、この中で私が懸念したようなホームからの転落事故を散見するようになってきた。鉄道各社はとくに混んでいるホームではホーム・ドアーの取り付けを急ぐべきであることが明白になってきている。

以下を繰り返す。

今日はJR西日本が旧型車両のスピードメーターに10%の誤差があると言い出した。
先日は事故当時の運転手が常軌を逸した速度でカーブに入ったと運転手が悪いかのような記事をメディアに書かせておいて、今度は特定車両に限ったスピードメーターの誤差であり事故車両は関係ないだと、いい加減にしてくれよ。
特別なスピード計測法が最近開発されたとは聞いていないが、鉄道車両のスピードメーターは今もって車軸径で計測しているはずだし、昔はこの方法ではスピードを正確には計測できないと言われていた。今も変わっていないのではないか?
だとすれば磨耗により車輪が新しいときと古いときではスピードが違うのは当たり前である。車輪が新しければ径が大きく、もし誤差が10%あれば運転台が120キロとあっても実際は車輪の回転は遅いから130キロを超えているのでは?
その逆に車輪が古ければ磨耗により車径は小さくなっているから回転が速くなっており120キロが出ていると思っても実際のスピードは出ておらず時刻表どおりには運行できない。
もしもそういうことを現場の若い運転手判断に任せて神風ダイヤを組んでいるとしたら、JR西日本は最低の会社である。会社としての体をなしていないし、運行責任者のプロ意識も感じられない。残念ながら考えれば考えるほどそう思えてくる。

私は一時現場作業の総監督のような仕事をしており、現場作業の最終責任が自分にくる立場にいたので今回の事故については安全という観点から少しはコメント出来ると思っている。そして、今回の事故に先立ちもし安全管理者が「つぶさ」に現場をパトロールしていたなら、なんらかの異常を感じていたはずである。
神風ダイヤ、不完全なATS、変更された軌道、コンピューターも使えない在来線に新幹線並みの接続サービスの導入、何か感じていなかったのだろうか、不思議でならない。
安全を扱う業界でよく出てくる言葉に、ハインリッヒの法則がある。
「大事故の前には300回の‘ひやり、はっと’が現場ではおきている」
この‘ひやり、はっと’を見逃すと大事故に繋がる。ダイヤが守れない、オーバーランが頻発する。そしてこれを運転手の責任と誤解して、異常な再教育に熱を入れた。素直な疑問は、ダイヤ、オーバーランを知りながら、本当にパトロールをしていたのか?何処を見ていたのか?と言わざるを得ない。

現場のパトロールに不可欠な条件は、第一は最終責任者が陣頭指揮に立つことである。「安全に完全はない」が持論だがこの最高責任者の陣頭指揮が無ければ安全の第一歩は始まらないと思っている。
そしてパトロールの構成員の中に‘素人’を加えておく必要がある。専門家だけでは自信過剰と慣れで駄目なのだ。この素人の感性が大切であり、爾後の反省会でこの素人の意見に耳を澄ます必要がある。
何処かに危険を感じなかったか?何か変だと思わなかったか?と聞くことが大切である。平たく言えば「岡目八目」である。こうした安全パトロールの最大の目的は潜在的危険の予知であるが、型どおりのパトロールではこの潜在的な危険予知はおぼつかない。

さて、今回の事故に関してJR並びに鉄道各社は関連の安全対策を早急に実行するものとは考えてはいるが、この際に総合的な安全対策に取り組めるか否かでその鼎の軽重が問われよう。

私が必要とみている安全対策は首都圏のプラットフォーム上の混雑をどうコントロールするかという問題である。
各社はプラットフォームそのものの幅を拡げたり、階段や通路の改良を進めているようだが、サービスを改善すればするほどに人が流れ込んできていることに気が付いていないのではないか?
これでは、いざというときにこれをどうコントロール出来るのか、その対策が見えてこない。これで事故が起こればプラットフォームからパラパラと人が線路へ転げ落ち、大事故にも繋がりかねない。
この様な例はすでに兵庫県の花火大会で起きている。違うところは圧死したか線路に落ちるという違いだけであり、事の本質は混雑のコントロールにある。

結論を言えば、首都圏のJRを始め鉄道各社は安全対策としてまず実行しなくてはならないことは、プラットフォームから人が落ちないようにすることが大切であり、そのためには新幹線や一部の地下鉄に設置されているプラットフォーム側のドアーが必要である。プラットフォームのドアーに合わない車両は首都圏サービスから外さざるを得なくなる。
このことのほうが安全対策としてはプラットフォームの幅を拡げたり、階段、通路を改良するより優先されるべき対策のように思われる。
これを怠り事故が起きれば、例の花火大会同様刑事罰を受けるだけでなく、被害者からは無作為をとがめられ民事による膨大な損害賠償を請求される可能性が極めて高いと考える。
そう、私なら間違いなく損害賠償訴訟を起こし、示談などには絶対に応じない。
(2005.8.10)


「聖火リレー」って何?

2008-04-25 10:22:03 | Weblog

 聖火リレーなるものが始まったのは1936年のベルリン大会であるようだ。そして、第二次世界大戦による中断をはさみ1948年のロンドン大会から現在に至るまで聖火リレーは継続されており、そのスタイルは段々派手になってきているが、一体聖火リレーを何故行うようになったのかは、分かる様で分からない。ギリシャから開催国に聖火をもたらす儀式といえばそうかも知れないが、何も今回の中国のように世界中を飛び回り聖火を北京に届ける必要も無いのだろう。

 中国がこういうことをやると決めたには、中国も国際社会の一員として仲間入りが認められたと思い込み、世界の支持は当然あるべきもの、スポーツの祭典に政治的判断など入るはずないと考え、行ったに違いない。しかし、ことさらに聖火を世界中にリレーしたことで、結婚式で言えば披露宴の役割を聖火リレーに負わす結果になった。即ち、世界に向かって、「いよいよ、中国はオリンピックをやりますよ!皆さん、よろしいですね。」と問いかけたに等しい。それに対して、中国の弾圧・圧政の被害を蒙っているチベットのみならず世界中の国々がこれを知って抗議の声を上げたということだ。
 だから、在外中国人が自国、中国の聖火を守るためなどといって集結し、自国旗をかざして、示威行動をするなどということはあってはならない行為である。

 長野聖火リレーは明日いよいよ行われるが、陰で動いている中国政府がいようがいまいが、在外中国人の長野に於ける行動いかんでは、またまた中国は自らの披露宴に唾をはき、国際社会の一員としての資格を欠いていることを世界に知らしめることになるのかどうかの判断を問われることになるのである。
おそらく在日中国人はこのようなことを意識できる状態にはなかろうから、自国旗をかざし、他国の領土内で聖火を守るという愚かな行為をあたかも正統な行為でもあるかのように振舞うであろうが、まったく筋違いな話であり、はなはだ見苦しい事に他ならない。なぜなら、本来彼らは、披露宴を開いている両親のごとく、聖火リレーが行われる国の反応を見守る立場でしかないからである。

 私は明日早朝に長野に向かうことにしているが、現地到着が10時過ぎなので、全てを見るということにはならないが、中国人の厚かましさ、見苦しさの一部でも見て来れればと思っている。勿論、帽子には“FREE TIBET”のテープを貼り付けて出かけるつもりだ。

 さて、最後の問題点であるが、果たしてマスコミの一部でも私が考えるような切り口で報道してくれるところがあるだろうか、ということである。しかしながら最近の報道は中国での反日行動に繋がることを懸念してか、なぜか腰が引けた感じがしていることが残念であるだけでなく、大変気がかりである。

チベット弾圧、抗議せよ!

2008-04-10 12:53:38 | Weblog

 国内の政治には目を向ける気にもならない。理念が無いのだろうが、遠慮がちに言っても、理念が見えない福田政権にはコメントする価値すら見当たらない。ただただ、国益が棄損し続けている現状を憂えることしか見当たらない。あえて言えば国内政治が自民党・民社党という既存政党の枠を超えて世代間抗争の様相を呈してきていることであろう。
 占領期の米軍を前に「ギブミチュウインガム」と言った経験を持ち、黒塗りの教科書で小学校が始まった世代の人達にはもう日本を任せておくわけには行かないということがはっきりしてきている。そしてその筆頭が福田首相であると思う。その次の世代辺りにもおかしな人々がいるので、より解かりやすく言えば、一足飛びに戦後世代に任すときが来ているのであろう。早くそのような時が来てほしいし、その意味では安倍前首相の病気辞任が改めて悔やまれる。

 今日の産経1面が桜井よしこさんの「福田首相に申すーチベット弾圧抗議せよ」を載せている。私もチベット問題を取り上げたかもしれないが、何故か、さほど真剣に取り上げてきていないことを若干反省もしている。
 今回の桜井さんの主張を読んで見て、私に特に欠けていた点はその書き出しの部分にあった。全文を読みたい方にはネットで検索していただくことにして、その書き出しを以下に引用する。
「いま、どの国よりもチベット問題で中国にものを言うべきはわが国である。
日本は、武力よりも、民主主義と国際法、人間の自由、文化・文明の尊重を以って戦後の道を切り開きたいと望んできた。同時に米国の占領政策によって、日本文明の粋を失う悲しみを味わってきた。だからこそ、ダライ・ラマ14世が“チベット文化の虐殺”と呼ぶ中国の弾圧に、率先して抗議しなければならない。日本と多くの価値観を共有し、日本に友好的であった国、チベットのために発言することは、日本が依って立つ基盤を守ることである。福田康夫首相が望むよき日中関係の構築も、日本が発言して初めて可能になる。
 しかし、チベット人の抵抗運動については、首相は“中国の内政問題”とし、“人権にかかわるようなことがあれば心配、懸念を表明せざるを得ない”と語るにとどまる。弾圧の中の沈黙は中国共産党の共犯者となることだ。」

 チベット問題に関する欧米の批判、聖火リレーへの抗議活動は日ごとに激しさを増す中での、民主主義国家日本の沈黙は異様としか言いようが無い。日本人の私が日本国内にいてもそう思うのだから、外から見ても異様であることは間違いが無かろう。
 小さな救いは今日の産経に前総理明恵夫人が本日乗り継ぎのため短時間成田に滞在するダライ・ラマ14世に面会するとあることだ。
 
 日本も抗議することは勿論であろうがその抗議を明恵夫人のように勇気をもって行動に繋げることこそが望まれる。
 私なぞにその資格はないが、聖火リレーに向かって抗議集会を開くなど抗議活動へと結び付けてくれる御仁は居ないのであろうか?それとも私が知らないだけなのか??