杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

産経正論 上坂 冬子  プラス アルファー

2005-12-29 23:13:15 | Weblog
始めまして!「杉並の純一郎」として今までヤフーで書いてきましたが、今回からGOOにもお邪魔します。当面は引越しも大変ですので、お許しを得ながら同じようなことを双方に書こうとしていますので、宜しくご指導ください。



 12月29日の産経正論は上坂冬子が「靖国問題は外交の根本変える好機だ」と題して、まずは「国立追悼施設」の調査費が見送られ、年の瀬にホットした出来事としている。次には「政府は実情を伝える責務が」が続き、「いまこそ靖国神社の何たるかを知らない世代に、良くも悪くも男たちが靖国で会おうと言って死んでいった時代の実情を伝えるべきだ」と訴える。更には「同時に国外に対しては、中国も韓国もA級戦犯の合祀に関して発言する資格の無いことを、噛んで含めるように説いて聞かせる必要がある」そしてSF平和条約11条について触れ、一つは戦犯裁判の判決を受け入れること。従って無謀な裁判であっても結果を取り消せと言う要求は出来ない。二つ目は独立後の日本が戦犯を釈放するにあたり裁判を担当した国の了解のもとで行われたと説明している。

 つぎの「抗議する資格の無い中韓」で始まる説明は不勉強の私にはなるほどとうなずける点であった。彼女の説明によれば「同25条に署名、批准していない国には‘いかなる権利、権原又は利益’も与えないとかかれている。同条約は日本を含む49ヶ国が署名、批准しているが、その中に中国も韓国も見当たらない。更に、条文は‘ここに署名、批准していない国によって日本の利益が減損され又は害されることは無い’と書き入れてある。つまり署名もしていない国がクレームをつける資格もないことになる。

 次元の低い参拝の是非論ではなく、国家として国際条約に対する無資格を突きつけて近隣諸国の内政干渉に区切りをつけない限り、靖国問題の決着はつくまい。調査費を見送った今こそ、政府として腰をすえて外交の根本に着手し、ことを収めるべきときだ」と結んでおり、外交関係の早期修復などと寝言を言う国内媚中派はもとより、それこそ’早期‘に中韓に申し渡して靖国問題終了のゴングを鳴らすべきだと思う。

 さて、一度に二つの問題を取り上げることになるが、靖国問題の整理はついたので、東京裁判とA級戦犯合祀の問題を日本もしくは日本人としてどう考えてゆくべきか?この二つがとかくセットで、しかも外交問題イコール国内問題として取り扱ってきていることで、議論を複雑にしていると思うので、私なりの整理をしてみたい。

 この二つの問題の根底にあるのは、「日本が敗戦を自ら裁かないで来てしまった、或はその機会を与えられなかった」ことにあると考える。先日も「世界が裁く東京裁判」と言う本を読んで、改めてこの裁判が如何にいい加減なものであったかを知ったが、だとしても、日本自らが敗戦を裁いていない以上、この裁判を否定しても国際社会を納得させるだけの理論武装をすることはまずは不可能と考える。ましてや、A級戦犯を含め当時の関係者はあらから死亡している以上、今、墓から暴いて裁きなおすなどとは中国・朝鮮ではありえても日本ではあっては成らないことと考える。従って今となっては東京裁判は国家として認めざるを得ないことと考える。ただし、可能かどうかは別にしても再審請求の形をとってでも、「南京事件」だけでも、はっきりしておく必要があろう。日本では捏造であるとの理解が深まってきているが、諸外国にはいまだ「南京大虐殺」と東京裁判史観がはびこっており、日本政府としてそれが誤りであることを史実を基に検証してゆく必要があろう。しかし、間違っても中・朝を交えての共同研究などはやめたほうが良い。なぜなら、彼ら(韓国も含め)に言論・報道の自由はなく、史実の捏造はあっても、史実に基づく検証などは行い得ないことは日韓の歴史問題共同研究が物語っている。

 さてA級戦犯問題となれば、どうしても東条英機がその中心になろう。最近は孫の女性が出てきて、東条英機の気持ちを伝えようとしているが、批判もあるとは思うが彼女の立場に立てば「言い訳をするな」と武士の教えを受けて、満足に裁かれずに死刑となった祖父の気持ちを代弁したい気持ちは、同じ日本人としてよく理解できる。しかしながら日本にこれだけの人的・物的の損害をもたらした開戦時の日本国の首相であったことの責任は免れ得ないし、彼の最後の言葉として残されている「東京裁判無罪、日本国に有罪」が示すように彼自身もその責任は十分に感じていたことが伺われる。自殺未遂についても色々言われているが、段々と事実が明らかになってきているし、生き残ったことは決して日本に無駄ではなかった。彼が「俺の責任だ」といって絞首台に上らなければ天皇にまで追求が及び、天皇制すらおも危うくしたに違いない。繰り返して言うが、戦争を起こしてしまった当事者には責任があったし、それは追及されねばならなかったが、しなかった、出来なかった。東京裁判により絞首刑にされた戦犯にしてみても、日本国に裁かれたのであれば納得も出来たということもあろう。そんな中途半端な形でしか戦争を総括できなかった日本が、彼らの無念の気持ちを受け止めて靖国に合祀することになんの問題があるというのかと私は思っている。「東京裁判無罪、日本国に有罪」これは忘れられない。