杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

そんな男か、キッシンジャー!

2006-05-31 23:02:49 | Weblog

 ニクソン米大統領の補佐官としてベトナム戦争終結に大きな功績を果たしたといわれたキッシンジャー氏ではあるが、当時から米国内では所謂台湾派といわれる人たちからは、その評価に疑問符がつけられていた。それは、米中国交正常化を旗印に台湾政府を中国に売り渡してしまうという裏切り行為ではなかったのかという疑問である。
 
 しかし、日本ではあまりこの辺の話が表に出ないで、むしろこれまで同氏の洞察力への評価が高く、もてはやされてきていたようにおもえる。だが、5月28日の産経は情報公開法に基づき入手したホワイトハウスの極秘文書が明らかになり、そのなかで、同氏が1972年8月にハワイで行われた政権内の会合での日中国交正常化交渉に関する話の中で「あらゆる信頼できない者のなかでも、ジャップが他に抜きん出ている」とのべ、「彼らは中国との国交正常化を急ぐだけでなく、国慶節を選んだ」とも指摘し、不快感を述べたとある。
 
 ご存知の通り、米国は中国との国交正常化を日本に通告することなく決定してしまい、日本政府が極めて具合の悪い立場に置かれ、当時の田中政権が拙速で日中国交回復を図らざるを得なかったことをご記憶の方も多かろう。そんな中でのキッシンジャー発言は残念ながら「日本蔑視」の発言と受け止めざるを得ない。
 
 最近読んだ伊藤貫著の「中国の核が世界を制す」で伊藤氏はキッシンジャーとブレジンスキーを比較した記述の中で、キッシンジャーは「日本人に対して鋭い敵意と嫌悪感を抱いている。思考力は優れているが、ネクラで陰険である。」更に、伊藤氏はキッシンジャーとの日米関係に関する対話の中で「日本人を殆ど生理的に嫌悪・軽蔑していると感じられる。」と書いているが、今回の発表でそれが裏付けられたということであろう。
 伊藤氏はキッシンジャーが一つの中国を認め台湾を売ってしまったのみならず、日本の核武装を認めないことを中国に約束している所謂ニクソン密約にも言及しているが、キッシンジャーが当時中国にというべきか、毛沢東にというべきかもしれないがどのように対応したのか、外交文書ではないがユン・チアンの「マオ」第54章 ‘反共ニクソン、赤に呑まれる’は示している。P426 「1971年7月に大統領訪中の下準備のために北京を極秘で初訪中したキッシンジャーは重い手土産をどっさり携えてきた。しかも、ひとつとして見返りを要求しなかった。もっとも意表を衝く手土産は、台湾に関する提案だった。」一つの中国を認め中国を国連常任理事国の椅子にすわらせ、ソ連との交渉に関する情報を流し、ベトナムからの完全撤退を約束したことをユン・チアンは「毛沢東にしてみれば、労なくして山のような献上品を受け取った形だ」と表現している。だから「日本に核武装をさせない」程度の話は、キッシンジャーにとっては朝飯前だったのであろう。

 「マオ」は毛沢東が外国要人を篭絡させるには、「何でも望むものを与えよ、金には糸目をつけるな、女は好きなだけ与えよ」と支持していたと書いていたと思うが、伊藤氏も同様な記述をしている。そして伊藤氏は「キッシンジャーが米中関係において果たした役割の重要性を認める中国の官僚ですら‘キッシンジャーは、我々の目の玉が飛び出るような金を要求してくる」と書き、ユン・チアンは「キッシンジャーの機嫌を取るために個人的な話題にも触れ、キッシンジャーが女性にもてることを冷やかした。会議記録には、次のような会話が残されている。’貴方が病に倒れる寸前だという噂がありましたよ。(笑い)ここに座っている女性たちは、みなそれを聞いて残念がった(特に女性たちから大きな笑い声)博士が倒れてしまったら、我々の仕事が無くなってしまうという噂でした。」「中国女性を差し上げましょうか?1000万人でも結構ですよ(特に女性から大きな笑い声)」とあり、同氏が金と女の両面からも毛沢東に篭絡されていたことを暗示している。ついでの話になるが、中国のこうした体質は今も変わっておらず、元首相の例に限らず、最近では外交官の自殺にまで発展しており、今までどれほど多くの日本人が篭絡・懐柔され日本の国益を大きく損なってきているか、所謂媚中派・親中派という人々の不可思議な発言・行動をみれば理解できると思うが、中国の体質がこのようなものであることを肝に銘じて、付き合う必要があろう。
 
 いずれにしても、キッシンジャーの名誉は剥奪されるべきであり、以降同士の洞察力・分析力に着目することはあるにしても、心を赦して意見を乞うという相手ではなくなったことだけは今回の外交文書の公開でハッキリした。

頭の体操 そのとき「日本はどうする?」

2006-05-30 08:21:13 | Weblog


 2002年9月に初めて小泉首相が北朝鮮を訪問・帰国したときに、すでに何回か述べたが「核開発 日本に薦める 北朝鮮」という川柳を詠んでひんしゅくを駆ったのを忘れない。当時は北が拉致を謝罪したというものの、まだ核問題のほうがいざとなったら大切になるという考えも多かった中での‘ひんしゅく’であった。

 その時点から北の核問題は一向に進展せず、北朝鮮は‘せっせせっせ’と核兵器の製造に努めていると考えるが、一方の六カ国協議はなんら進展をみせない。その背景は、イランにつまずいたアメリカが北に対して武力行使を行い得ない状況と中・朝が判断し、六カ国協議を進展させる必要がない、その間に北の軍事力を貯えておこうという方向に進んでいるのではとおもう。そして、中・朝の現在の標的はまずは韓国であることは間違いなかろう。そして、今のところ彼らの思惑どおりに韓国は動いてきているといってよいだろう。このままでは、南北の融和は進められ統一には時間が掛かるにしても、日本側からみれば融和であれ統一であれ南にも核があるに等しい状況が作り出される可能性が高い。

 一方、イランの核問題も進展しそうにも無い。アメリカは常に軍事力をオプションとして捨てていないというが、イラクをかかえた現状ではここでも外交的な手段しかとりえないだろう。すなわち、あまり期待も出来ない国連主導によるイランの核開発中止が無ければイランの核開発は野放しになる。

 北朝鮮とイラン、この両国での核開発を国際社会が止められないなら、核拡散条約などはゴミ箱に入れるしかなくなる。そして、エネルギー問題もあり世界各国での核開発が始まり、核兵器製造の機会は大幅に増え、世界は危険な状態へと入ってゆく。中国を初めとして核兵器とりわけ核ミサイルを手にした国々が国際社会で得たメリットの大きさ(インドの核政策に対するアメリカのダブルスタンダードむき出しの支援も含め)に他国が注目しだしたこともおおきな促進要因であろう。

さて、そのとき、日本はどうするのか?

 私は、このような状況が‘来る、来ない’に拘わらず、中国の対米核抑止力が高まってきている現況では日本も報復抑止力としての巡航核ミサイルぐらいは持たなければと思っている。なぜなら、米国が対応できない、そして対応する気が無い日本周辺での地域紛争にさえ中国は核による恫喝を行う可能性があると考えているからである。先日の東アジアガス田協議で日中は協議内容を公表していないが、中国が何を言ったのかは気になっている。まさか、そういうことを言うのは中国の軍事力を含めた国力が米国に近づく10年後位と思っているが、中国のことだ、事務レベルと称してそんなことを言い出す可能性も捨てきれない。

そろそろ、日本も核アレルギーを脱却し、世界の軍事情勢に眼を覚まさないと、遠くない将来、中国の属国になる可能性があることを覚悟する必要がある。
私は属国になるのは何処の国を宗主にするにしてもごめん蒙りたいが、比較の話としてなら、アメリカの属国ならまだしも中国の属国等は死んでもごめんである。自由・人権・民主主義のない国の属国などまっぴらである。そんな国との国交など無理して続ける必要などさらさら無い。「核武装も辞さず」であると考えている。

と、昨晩書いてみて、一夜明けての今朝の産経は、核とイラク問題を隣りあわせで載せている。

一つは、‘「核の闇市場」解明は程遠く’。パキスタン政府はカーン博士が関与した「核の闇市場」に関する捜査を事実上終了したが、米国は下院公聴会で調査継続の要請や、闇市場が現在も存在するとの証言がだされ疑惑解明を求める声が相次いだとある。そして、一つの大きな懸念はイランに技術が伝わり並びに他国経由でイランに物資が転売されたのではないかということである。

今ひとつはイラン外相がイラクを訪問し‘シーア派指導者と会談’、‘イラク支援10億ドル用意’とある。これに先立ち、両国外相はバクダットで会談をもち、イラクのジバーリ外相は「イランが(核分野での)科学的知識を獲得する権利を尊重する」とのべ、イランの立場に一定の理解をしめした、とある。

こうしてみると核拡散防止ということが、本当に難しくなってきていることが良く理解できる。日本もイランでの油田開発には当面慎重に対処せざるをえないが、それにもまして重要なことは核拡散防止というアメリカのスキームが旨く働かないという状況になった場合への日本としての備えである。「ぼー」としていたら、気がつけば周りは核保有国ばかりということになりかねない。

 最後に、どこかのブログで見たが、インド人が日本人に質問している話。「核兵器を持たないことでどういうメリットがあるのか?それがあるなら聞かせてもらいたい。」これはブラックユーモアに近い。日本はアメリカの傘の下にいるから核の恐怖を感じていないが、そうでない国は何時も核の恐怖に晒されていたということが良く判る。準備を怠れば、いよいよその番が日本に回ってくるということだ。

 いまから考えておかないと間に合わない問題だ!

靖国参拝の考察・下 ケビン・ドーク 米ジョージタウン大教授

2006-05-28 21:17:02 | Weblog
靖国参拝の考察・下  ケビン・ドーク 米ジョージタウン大教授
   慰霊への干渉は不当

 中国政府が小泉純一郎首相の靖国神社参拝を軍国主義や戦争の美化と結びつけて非難することにはあまりにも皮肉な倒錯である。いま中国が異様なほど大規模な軍拡を進めていることは全世界が知っている。その軍国主義の中国が日本の首相の神社参拝を捉えて、軍国主義だと非難するのだ。
 しかし他国に対する軍国主義志向や戦争美化という糾弾は、その相手側に現実の軍拡とか外国領土への侵犯、外国航空機への攻撃などの実際の行動があって初めてできるのが普通である。首相が神社に参拝するからその国が軍事的だという主張は悪い冗談のようであり、靖国をあくまで糾弾するのならもっと真剣な理由を探して欲しい。靖国参拝を軍国主義と結びつけるのは中国の口実にすぎないのだ。
 中国が靖国を攻撃する背景には政治や外交の武器にするという目的以外に、信仰や宗教を脅威と見て、反発するという現実がある。中国政府は現に国内のカトリック教徒を弾圧し、逮捕までして、バチカンを無視し、自分たちに都合の良い人物たちを勝手に司教に任命している。
 中国政府は共産党員に主導され、共産主義者はみな公然たる反宗教の無神論者だ。共産主義の教義上、あらゆる宗教や信仰を本質としては認めないという立場であり、そもそも祈願とか参拝という概念を否定している。その非民主的な指針を民主主義の外国である日本に押し付けようとしているのだ。その指針の適用の突く先は、市民の自由や人権の弾圧となる。中国政府は国の内外を問わず、信仰に関する事柄に干渉すべきではないのである。
 中国は日本のA級戦犯を非難するが、東条英機らがたとえどんな悪事を働いたとしても、毛沢東が自国民二千万以上を殺したとされることに比べれば軽いだろう。だが毛氏は死後に中国で最高の栄誉を与えられ、国民が弔意を表す。中国が日本に対して主張する理屈に従えば生前の‘犯罪’のために弔意をあらわしてはならないことになるのだろうが、私は中国人が毛氏の例に弔意を表す権利を認めたい。外部の政府や人間の感知することではないのだ。
 同様に米国民は南軍将兵の霊に、日本国民は東条氏らをも含む戦争のために死んだ人たちの霊に、それぞれ弔意を表す権利がある、ということである。だがその哀悼は毛氏や東条氏、さらに米国の場合、南軍司令官だったリー将軍が生前にすべて正しい行動をとったとみなすこととは異なるのだ。米国の場合、政府も大多数の国民も、南軍将兵が不名誉な目的のための戦いで死んだとみなしながらも、彼らの霊は追悼に値すると考えるわけだ。日本の政府や国民が不名誉なことをしたかもしれない人々を含めて戦争犠牲者の先人に弔意を表すことも自然であろう。
 A級戦犯とされる人たちへの追悼が侵略戦争の美化だと断ずることは過酷にすぎる。戦争犯罪というのはベトナム戦争などの例をみても、一方にとっての犯罪が他方にとっての英雄的行為になりうる。東条氏らも当時、国家の責任ある立場にあって戦争が必要だとの判断を下し、自分たちが正しいとみなしたことを目指して失敗した、ということだろう。その戦争での一方が悪で他方が善という断定を今になってまた下すことには意味が無いし、だれにその資格があるのだろうか。
 それよりも戦後の法的処理がすみ、講和がなされた以上、故人たちを指さし、誰が誰よりも悪かったのかと追及することではなく、双方の側の戦没者に弔意を表すことが最も適切だろう。私たちはみな深い罪を犯しうる不完全な人間であり、死者にたいするときは崇敬と謙虚の念を抱くべきである。
 米国の一部には米国政府が靖国問題に介入し、小泉首相に参拝をやめるよう圧力をかけるべきだという意見があるそうだ。しかし日本人が自国の戦没者をどう慰霊するかに他国が介入すべきでない。自由で民主的、平和的な国の、民主主義的手続きで選ばれた政治指導者が年に一度、慰霊の場で戦没者に対し静かに頭を下げるという行為になぜ外国政府が介入すべきなのか。

   *ケビン・ドーク氏
1982年米国クインシー大学卒業、シカゴ大学で日本研究により修士号、博士号を取得。ウェークフォレスト大学、イリノイ大学の各助教授を経て、2002年にジョージタウン大学に移り、同大学東アジア言語文化学部の教授、学部長となる。日本での留学や研究も高校時代を含め4回にわたり、京大、東大、立教大、甲南大などで学ぶ。
 日本の近代史を基礎に日本の民主主義、ナショナリズム、市民社会、知的文化などを専門とする。著書は「日本ロマン派と近代性の危機」(日本語仮題「日本浪漫派とナショナリズム」)など。

靖国参拝の考察・中 ケビン・ドーク 米ジョージタウン大教授

2006-05-27 01:23:47 | Weblog
靖国参拝の考察・中 ケビン・ドーク 米ジョージタウン大学教授
   教皇庁も認めた「慣行」

産経新聞の掲載するドーク氏の寄稿文その2である。産経新聞の許可も求めずにフルテクスト自分のブログに載せることが問題であろうことは理解しているが、産経新聞を読んでいない人にも同氏の考察を是非とも知っていただきたいと思いやむに止まれずにやっていることを理解してもらいたい。

「小泉純一郎首相の靖国参拝はいまや現代の政治課題にされてしまったが、その靖国問題に少し距離を置き、歴史をさかのぼってみよう。一般に靖国をめぐる論議は戦後だけのことと思われているが、実際には戦前の1930年代にも似た現象があった。30年代の日本といえば、多くの歴史学者は個人の自由が抑制され、特に宗教の自由は国家神道で阻害され、なかでも日本のキリスト教徒たちの自由や権利が、靖国神社により侵されていたとみなしがちな時代である。
 だが現実はそうではなかった。日本では明治憲法で保障された宗教の自由が第二次世界大戦中までも保たれた。戦時の日本の政界や学界では今中次麿、田中耕太郎両氏らキリスト教徒が活躍した。そんな時代の1932年5月、上智大学のカトリック信徒の学生たちが軍事訓練中に靖国への参拝を命じられたのを拒み、その拒否を同大学のホフマン学長も支持するという出来事があった。参拝が宗教の押し付けになりかねないという懸念からだった。
 だが、東京地区のシャンボン大司教が文部省や陸軍省に参拝が宗教的行事かどうかを正式に問うたところ、‘参拝は教育上の理由で、愛国心と忠誠を表すだけで、宗教的な慣行ではない’との回答を得た。これを受け、ローマ教皇庁は36年5月に日本の信徒に向け、‘靖国参拝は宗教的行事ではないため日本のカトリック信徒は自由に参拝してよい’という通達を出した。
 その結果、日本のカトリック教徒は自由に靖国を参拝するようになったが、ローマ教皇庁が事実上の独立国家として日本政府の‘靖国参拝は宗教的慣行ではない’という見解を尊重したことの意味は大きい。日本国民の自国への独自の価値観や愛国心をそのまま認めたということだからだ。日本という主権国家の内部での慣行への尊重だといえる。しかも、さらに重要なのは教皇庁が戦後の1951年にも36年の靖国参拝に関する決定を再確認し、現在にいたっているという事実である。
 戦後も敬虔なキリスト教徒だとされている大平正芳氏や吉田茂などの首相が靖国に参拝している。参拝しても神道の宗教行事への参加ではないからだ。小泉首相の参拝も同様である。私人か公人かという区分も意味がない。米国ではブッシュ大統領がキリスト教会を訪れても公私の別はだれも問わないし、それが宗教的礼拝であっても、米国内の仏教やユダヤ教、イスラム教などの信徒たちは自分たちの権利が侵害されたとはみなさない。
 小泉首相の靖国参拝はA級戦犯合祀のために戦争の正当化となるからよくないという主張がある。私は、靖国が決してA級戦犯だけでなく、祖国の戦争のために亡くなったすべての人たちの霊をまつった神社であり、その先人たちの行動を絶対の正確さで善か悪かを判断する立場には現代の私たちはないし、戦犯とされる人の霊に弔意を表したから、その人の生前の行動すべてに賛意を表明するわけでもない、と反論したい。
 生きる人間は生や死に対し謙虚でなければならないとも思う。国家の指導者にたいしては、彼らの今の政策にはいくらでも反対し、非難も出来る。だが遠い過去に死んでしまった故人の行動を非難しても、もう故人は弁護できない。死者の行動の善悪をはっきり断定できるほど、私たちが完璧だとも思えない。戦没者への弔意表明に関する限り、過去の戦争の是非のような判断は未来の世代、次の世界、あるいは神に委ねることが適切だと思う。
 米国では南北戦争で敗れた南軍将兵の墓地が連邦政府の資金で保存され、政府高官を含めて多数の米国人が訪れる。国立のアーリントン墓地にも一部の南軍将兵が埋葬されているにもかかわらず、歴代大統領が訪れ、弔意を表す。南軍はアメリカ合衆国に敵対して反乱し、しかも奴隷制を守るために戦った軍隊だった。
 小泉首相の参拝反対への理屈をそのまま使えば、米国大統領が国立墓地に参拝することは南軍将兵の霊を悼むことになり、奴隷制を正当化することともなってしまう。だが、米国の歴代大統領も国民の大多数もそうは考えず、戦没者のすべてが子孫からの敬意を受けることに値すると判断し、実際に弔意を表するのだ。日本側でそう考えたとしても、どんな支障があるのだろうか。」

日本国政府もこのように旨く説明する必要があるが、これをそのまま使っても良いのでは?
多分、今日の朝刊の載るのだろう(下)に何が書いてあるのか、今から楽しみである。

靖国参拝の考察・上 ケビン・ドーク

2006-05-26 23:27:56 | Weblog
靖国参拝の考察・上  ケビン・ドーク  米ジョージタウン大教授  寄稿
  「 毎月訪れて、敬虔さ示せ 」
産経は作25日からドーク氏の寄稿を掲載し始めた。今日が(中)、きっと明日の(下)で終わるのだろうが、本人が「これまでの論議で殆ど語られていない観点からの考察を含めて」と書いているが、同氏の学者としての姿勢・これまでにない論点とも、ともに素晴らしく、目から鱗である。我々日本人に靖国問題に対する極めて大きな力を与えてくれると考える。従って(下)を待って一度に書くよりは少しずつでも書き留めるべきと考えて書くことにした。まずは冒頭に心打たれた。
「私は日本の近代史、とくにナショナリズム、民主主義、文化などを専門に研究する米国人研究者として、靖国神社をめぐる論議には長年、真剣な関心を向けてきたが、自分の意見を対外的に表明することは控えてきた。靖国問題というのは日本国民にとって祖国への誇りや祖国を守るために戦没した先人への心情にかかわる微妙な課題であり、あくまで日本国民自身が決めるべき内面的な案件だと考えてきたからだ。
ところが最近、中国だけでなく米国の論者たちが外部から不適切な断定を下すようになった。だから私も日本の自主性への敬意を保ちつつ、遠慮しながらも意見を述べたいと考えるようになった。私の意見は日本の国民や指導者が自らの判断で決めたことであれば靖国参拝をむしろ奨励したいという趣旨である。その理由をこれまでの論議でほとんど語らえていない観点からの考察も含めて説明したい。」この書き出しは学者として、人間としての同氏の素晴らしさだと思うが、そんなことよりも先を続けたほうがよさそうだ。
「民主主義社会の基礎となる個人の権利や市民の自由は他者の尊厳への精神的な敬意が前提となる。特に敬意を表明する相手の他者が死者となると、それを表明する側は目前の自分の生命や現世を超えた精神的、精霊的な意味合いをも込めることとなる。
 死者に対しては謙虚に、その生前の行動への主観的な即断は控えめに、ということが米国でも日本でも良識とされてきた。死者を非難しても意味が無いということだ。ましてやその死者が祖国のための戦争で死んだ先人となると、弔意には死の苦痛を認知できる人間の心がさらに強い基盤となる。その心の入れ方には宗派にとらわれない信仰という要素も入ってくる。
 以上が現在の米国でも日本でも戦没者を悼むという行為の実情だろう。小泉純一郎首相の靖国参拝もこの範疇であろう。首相自信、自分の心情を強調し、政治的、外交的な意味を否定しているからだ。それに対し外部から無理やりに政治や外交の意味を押しつけ、参拝の中止を要求することは人間の心を排除し、民主主義の基本を脅かすことになりかねない。個人の精神の保ち方や信仰のあり方が脅かされるからだ。
 だから私は挑発的と思われるかもしれないが、小泉首相に年一度よりも頻繁に、例えば毎月でも靖国を参拝することをまじめに提案したい。そうすれば首相の反対者の多くが主張するように戦争や軍国主義を礼賛するために参拝するのではなく、生や死に対する精神、信仰の適切な応じ方を真摯に敬虔に模索するために参拝していることを明示できる。その明治の最善の方法は信仰にもっとも積極的になることであり、そのために儀式上どのような祈念の形態をとるかは首相自身の権利として選べばよい。
 首相は戦没者の慰霊には靖国ではなく千鳥が淵の無名戦士の墓のような所に参拝すればよいという意見もある。しかし普通、生きている人間が死者に弔意を表することには現世を超越した祈りがこめられる。信仰とまったく無縁の世俗的な場での戦没者への追悼では遺族にとっても重要な要素が欠けてしまう。国家としての追悼として不十分となる。
 米国でもアーリントン墓地での葬儀や追悼にはなんらかの信仰を表す要素が伴うことが多い。往々にしてキリスト教の牧師らが祈りの儀式を催す。葬儀が教会で行われるのも同様だ。日本でも葬儀が寺や神社で催されるのは、別に参加者が一定の宗派の信者でなくても、死者に対し精神あるいは心情からのなにかをささげるからであろう。靖国参拝も現世を超えるそうしたなにかをともなう慣行だといえる。靖国に参拝するためには神道の主義者でも信者でもある必要はないのだ。この事実は靖国神社が特定の宗教への関与ではないことを裏付けている。宗派を超えた深慮な弔意表明とでもいえようか。」
以上が(上)である。最後のくだりは特に公明党に聞いてもらいたい。