珍しいことが起きているといって良いのだろう?この一週間内に二度も「日米戦争は人種偏見が原因」とする報道がなされた。
何れも産経であるが最初は3月28日、昨年9月に出版されたジェームズ・ブラッドリーの「インペリアル・クルーズ」であり、今一つは4月2日古森義久氏が伝えるトム・ハンクスのTV映画「ザ・パシフィック」に関連しての話である。しかし、この二つには直接的な繋がりはなさそうだ。
そして、その珍しさにも二つの理由が上げられる。
私が知る限りアメリカ人が自らの行動を人種偏見に求めるケースはないわけではないがまれである。そして私はそれは白人であると言うよりは一神教徒が他の宗教(一神教であれ多神教であれ)を理解することのむずかしさ、自らを絶対と考える一神教徒の傲慢さにあるのではないか?従って、多神教である日本がアメリカの理解を得られる日が果たしてくるのか?来るとしたら、何時頃、どういう状況下で有り得るのかと言うことに興味を抱いている。戦後の日本は大雑把に言えばアメリカの言うことを聞いてきている。そして一方で日本は何時アメリカは自らの行いの過ちの部分を認めるのか?という気持ちで彼らの理解を待っている。そしてアメリカはアメリカが持ち込んだ白人文化を日本人は受け入れ、そのおかげで民主主義も定着したと考えている。この認識の差を多神教の日本人は理解できていると思うが、一神教のアメリカが理解することは大変難しい。しかし、この差をアメリカが理解できないと、アメリカは日本だけでなく他の文化圏との融合は難しい。その意味ではトム・ハンクスが日米戦争もアフガン・イラクも同様と指摘しているのは正しいのだと思う。一方では蛇足にもならないし、意外なことではないのだが同じ土壌(キリスト教と中華思想という一神教的思想)を持つシナとの関係はアメリカにとってはむしろ理解しやすい、のではと推測できる。
もう一つの珍しさは、これまで日米戦争の人種戦争という切り口に何時も引き出されるのはフランクリン・デラノ・ルーズベルト(通称FDR、1933-45年米大統領)であったが、今回ブラッドリーはセオドア・ルーズベルト(TD、1901-9年米大統領)にその原因を求めている。ルーズベルトは後の大統領タフトを通じて日本にアジアの植民地化を進め、その日本をアメリカの覇権の下に置こうとしていたと言うのである。原著を見ていないので分らないが、そういうことが有ってもおかしくないなとは思えるのだが、タフトが日本に来たのは確か1908年、インペリアル・クルーズにはTDはタフトを1905年に日本に派遣と有るらしい。年表から言うと合わないが、米国の書評には史実の裏付けが乏しく著者の思いが強いと言うものも2-3あった。そういうことなのか?
人種偏見はともかく、日露講和を斡旋したTDが、斡旋前から日本との戦争の可能性を懸念していたことはウッドハウス暎子著「日露戦争を演出した男モリソン」に詳しく書かれている。
TDによるパナマ運河地域永久租借、オレンジ計画、世界一周と称しての白船艦隊GWF-GreatWhiteFleet)を日本に寄港させ威嚇、日米紳士協定(カリフォルニアへの移民協定)等、アメリカ西岸が無防備であったことも確かではあるが、アメリカの西進運動が1898年にスペインとの戦争に勝ってフィリッピンまで来ており、次の目標が中国であったことは明白であった。そしてフィリッピンから中国へ進出しようとしていたアメリカ対しバシイ海峡を跨いで台湾を植民地とする日本がその行く手を遮っていたのである。
TDのことを知ろうとしても日本には意外なほどに資料は少ない。人種偏見によりその後の日米関係が悪化したという見方は別にしても、日露戦争を契機としてアメリカ側は中国での利害が対立している日本との戦争をも念頭に置いて極東戦略を立てていたことだけは確かであろう。
この時代のことを史実で裏付けるには資料が十分に公表されていないようで、推測を交えて書くしかないのだが、米英が日露戦争で日本を支援したのは、「何れ米英が極東を支配するが今は間に合わないので、とりあえず日本にはロシアの南下を留めておいてくれ。そうしてくれれば、将来、米英でアジア支配をする白人の番頭位には日本を使ってやるから」というのが彼らのシナリオであったのであろう。それを人種偏見と呼ぶのか?その当時の日本の実力だったのか?しばらくは番頭のふりをしておくくらいの芸当は真面目な日本人には無理だったのか?桂はタフトにアジアは日本が握ると正直に答え、アメリカを身構えさせてしまったのだろう。
以下に、二つの記事を載せておくが、今アメリカに日米の争いを人種戦争としてみようとする動きが表に出て来るのかも知れないと言うことだ。そして、そのようなことへの米国内での反発も激しいようでは有るが、現在の日米関係への悪影響が出るのではという古森氏の懸念は大げさではないのであろうか?普天間問題は日本と米国国務省との話で殆どの国民は知らないと言っているようだ。普天間問題は国家間の約束であるから、勿論米国民が騒ぎ出す前に片付けるべき問題ではあるが、一方この人種偏見と言う話は、正直言ってもう少し様子を見ないと分らない。この人種理論・偏見というアメリカの歴史研究、案外日本にとって良い方向に向くのかも知れない、と言ったら楽観に過ぎようか?
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日米開戦の原因は「人種理論」?
2010.3.28 21:13
映画「父親たちの星条旗」の原作者で、このほど第二次大戦での日米開戦の原点を探った新著「インペリアル・クルーズ」を出版したノンフィクション作家、ジェームス・ブラッドリー氏(56)が産経新聞の取材に応じ、日露戦争当時のセオドア・ルーズベルト大統領の「人種理論」を反映したアジア外交が、その後の開戦の火種を作ったとの見方を明らかにした。
同書は、19世紀以降の米国の帝国主義的アジア・太平洋政策を追う中で、日露戦争末期の1905年、ルーズベルトによってアジアに派遣されたタフト特使と桂太郎首相との間に交わされた覚書「桂-タフト協定」を、後の日米対立の原点にすえた。
協定は、韓国における日本の優越的立場と、米国のフィリピン統治を相互に認めるという内容だった。だが、ブラッドリー氏は、ルーズベルトは当時の米支配階級の間に珍しくなかった白人至上主義的な「人種理論」の持ち主だったと断じた上で、「日本をアングロサクソンの忠実な追従者とみていた」と指摘する。
「ルーズベルトは、白人がアジアでナンバーワンとなり、日本はそれを助ける役割を果たすべきだと考えていた。だが桂は、日本がナンバーワンになるべきだと考えた」。桂-タフト協定は根底に、こうした矛盾を抱えていたわけだ。
「そして数十年後、もうひとりのルーズベルト(日米開戦に踏み切ったフランクリン・ルーズベルト大統領)が後始末を強いられることになった」
同書は昨年末に出版され、米紙ニューヨーク・タイムズのベストセラーリスト(ノンフィクション部門)で9位まで上がった。日米関係研究の権威、ジョージ・パッカード米日財団理事長は「セオドア・ルーズベルトのアジア外交に人種主義が大きな役割を演じていたという事実が説得力をもって描かれている」と話している。
ブラッドリー氏は29日に国際文化会館(東京都港区)で、31日に日本外国特派員協会(東京都千代田区)で講演を行う。(ニューヨーク 三笠博志)
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古森義久 あめりかノート
(以下に要約)
日米戦争「人種」原因論で物議
映画スター、トム・ハンクスの歴史認識発言が物議をかもす。
「第二次大戦では我々は日本人を異端の神を信じる黄色の目のつりあがった犬だと。彼らは我々を生活方式が異なると言う理由で殺そうとした。こんな実態は今にも当てはまるのではないか?」日米の戦争は人種偏見に起因した、そして米側の人種偏見は今のアフガンの対テロでも、イラクの民主化の戦いでも、同じ要因になっていると主張する。リベラルなハンクス自身はこの考えを非難する立場にあるが、この発言の契機は氏が制作した10回連続のTV映画「ザ・パシフィック」だった。太平洋での日米の死闘を米側の視点で描いたドキュメンタリー・フィクションである。この映画には共同制作者としてスピルバーグ氏も、又オバマ大統領も試写会を催したが、ハンクス氏の発言はそんな中での取材からでてきた。
保守派や中道派とされる側からの反発は敏速で激しかった。
ビクター・D・ハンソン(元カリフォルニア州立大学教授、軍事史研究家)は「太平洋戦争の原因はあまりに多様なのに、人種的敵対が最大要因だと主張するのは幼稚にすぎる」と述べ、第一次大戦や日露戦争では日米は緊密だった歴史を強調。FOXテレビの人気コメンテーター、ビル・オライリーは「私の父は海軍軍人、日本人の信仰や外見になんの悪意もなくパール・ハーバーを戦った、と聞いた」歴代共和党政権の高官を務めたリチャード・パール氏は「米国がいまテロ対策や民主化のためにアフガニスタンとイラクで続けている戦いを“イスラム教徒への人種偏見による絶滅作戦”などとはとんでもない」と酷評。中道派の映画評論家パトリック・ゴールドスタイン氏は「突然、正常な軌道を外れ、無謀な政治活動家となった」と批判し、特に米国一般に「偉大で聖なる戦争」とされる太平洋戦争を現在の対テロ戦をけなすための材料に使うのは錯乱だとまで断じた。
さて突然、燃え上がったこの論争や、その原因となった映画がいまや日米同盟に負の影響を及ぼさないことを願うところだ。