杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

日本の安全保障の危機、百年に一度!

2009-03-11 13:36:28 | Weblog


 世界は米国の金融危機を発端として百年に一度の経済危機であると大騒ぎ、そしてそれは事実であるのだが、実は同じ「百年に一度」が「日本の安全保障」にも襲いかかって来ていることはさほど認識されておらず、私がとりわけ懸念しているところである。

 オバマ氏が大統領に選出される前から米民主党が政権に就けば、これまでの共和党時代には考えられなかった難題が襲い掛かるのではという懸念が識者により語られてきていた。そして政権発足まもなくオバマ政権は、クリントン国務長官の最初の訪問先として日本を選び、また麻生首相をホワイトハウスへの最初のゲストとするなどして、あたかも駄々っ子をあやすかのように日本を扱ったことで、日本の一部には取りあえず安心したという見方、あるいは米国の経済危機の改善に協力せしめる程度との見方が主流であるが、そんなに米民主党は甘くないのでは?「目くらまし」に騙されてはならない、米中の隠された問題点に東アジアの安全保障、とりわけ日本が俎上に上がってきたと私は深刻に捉えている。

 そして私の心配は、これまで主として朝鮮半島に限られていた安全保障の危機が東アジア全体に広がりを見せ台湾・日本におよび、その東アジア全体の安全保障に危機をもたらそうとしているのは、米国経済を救済するためなら使えるものはすべて使うという米民主党政権であり、一方では米国を救済するという口実で米国の東アジアへの介入を阻止し、影響力を削ぎ自らの領土・覇権を拡大しようとする共産中国との、米中共同作業が始まったと懸念せざるを得ない兆候が見え始めたように思えるからである。そしてそれは約90年前の1921年日英同盟が米国の猜疑心により終焉させられ、翌1922年のワシントン会議で代わりに四カ国条約・対支9ヵ国条約へと日本に取って意味がなく取り返しのつかない集団安全保障条約を結ばされ、日本が国際社会のなかで一人孤立し先の戦争になってしまったという苦い思いが頭から離れないからである。当時も米中は利益を共にしていたのである。

 1967年(昭和42年)に明治生まれのジャーナリスト岡田益吉氏が「昭和の間違い」を書いている。昭和の間違いはすべて大正時代にあるというのが題名の由来であり、米国だけが悪かったのだけではなく、日本人もボンクラであったと著者は手厳しいが、その第1編11に「日英同盟の弔鐘」でワシントン会議が日本にとり何であったのかを伝えてくれている。
P149 米国のロッジは立って新しい条約の4条を静かに朗読した。
<「本条約は、ワシントンにおいて出来るだけ速やかに批准を了すべきものとする。そして批准と同時に1911年(明治44年)7月13日、ロンドンで締結された日英両国間の協定は終焉する。>
日英同盟と新条約の間に直接の関係のない条項が挿入され、日本はそれを認めてしまった。
続いて、<日本代表たちの顔面筋肉は緊張したままだ。一部英国代表は不愉快な顔をした。米国と中国の代表は大きくほほ笑んだ。すると突然英国全権バルフォアが起立した。
「私は、いま起って、ちょっとの間、諸君のご静聴をわずらわすのは、条約全体についてではなく、単に日本から来たわれわれの友人と、英国代表部が直接関心をもつ条約の一項について一言述べるためである。
 日英同盟に終焉すると第4条が規定していることに、諸君は気がつくであろう。日英同盟は、二大戦争(日露戦争と英独戦争)において、その目的に奉仕し、共通の犠牲、共通の心配、共通の努力、共通の勝利の試練に堪えた。その激しい試練の中に結合して来た日英両国民は、汽車の旅を数時間ともにした二人の未知の人が別れるように、この試練の終わりに当たって、お互いにただ帽子をとって丁重に別れることは出来ない。単なる条約の言葉以上の何物かが、より密接な何物かが、両国をつないでいる。、、、、、、」
この演説のはじめのころから、日本代表たちの顔は真実な感動を示した。(日英同盟廃棄10周年におけるモーニング・ポスト紙の回想記)>
 私はバルフォアがその場で行った演説に偽りの気持ちがあったとまでは言うつもりはない。しかしながら、英国は1898年のボーア戦争ごろより財政的に行き詰まり米国にその支援を求め、日露戦争の講和をポーツマスで米国に行わせること等、英国本国はそれまでの七つの海の覇権をもはや米国に委ねざるを得ぬことを覚悟していたのである。しかし、日本はこのことにー英国が密かに米国とは戦争することをあきらめ、徐々に両国の特別の関係を作りつつあることにー果たして気がついていただろうかは極めて疑問である。そしてここでの最大の問題点はその後の国際社会での日本の孤立化であり、そのことは当時日本に関係のあった英米人の一部から日本孤立化の危険を危惧するコメントがなされていることである。

 話を現在に戻そう。
 しからば今、100年に一度の日本の安全保障が俎上に上がってきたとは何を指すのか、正論4月号で桜井よし子は屋山太郎、山田宏(杉並区長)との鼎談でこう述べている。
<  ―米中接近で日本は第2の台湾にー
米国の中国傾斜は、すでにブッシュ政権時から顕著でした。すべての経済担当省庁の閣僚クラスが参加する「米中戦略経済対話」が半年に一回開かれるようになり、米中指導の経済政策が話し合われている。さらにオバマ新政権はこの枠組みから「経済」をとり、総合的な「戦略対話」へと格上げした。
 ピターソン国際経済研究所所長を務める元来財務次官補、フレッド・バーグステン氏は「 G8 に代わって米中が G2 を主催し、世界の重要事項を決めて行くべきだ」と主張。オバマ新政権のもとで着々と現実化してゆくでしょう。
 この流れを傍観していたのでは、日本はやがて第2の台湾になりかねない。、、、、>

 3月6日の正論で田久保忠衛氏は「日米同盟を本物にする秘策」に書いているオバマ政権の裏側の気になる話に触れてみよう。氏はクリントンの東京訪問、麻生のワシントン一番乗りを「オバマ政権の対日重視外交はわかるが、私は何となく手放しでは喜べない」とし、その理由としてクリントン長官の陰の外交アドバイザーであるマデレーン・オルブライト元国務長官の存在と彼女が昨年出版した「新大統領への覚書」と題する著書に書かれた内容への懸念を示している。田久保氏はオルブライトは長年の同盟国日本をまず訪問すべきだが、日本の政治家の話はあまりに退屈であると書いてあり、そこにはっきりと表れているのは「根強い日本に対する不信感」だ。氏の表現をそのままに書けば<日本は尊敬される面もあるが、戦中に行った「虐殺の被害者である中国」の恨みを買っているから、理屈の上でとっくの昔になっていてもしかるべき国連安全保障理事国の常任理事国の椅子をいまだ手にしていない、だからこそ日本は米国と手を結ばざるを得ないのだと遠まわしに述べるなど、日米同盟の再確認に浮かれている向きにはギョツとする表現を平然と使っている。戦前の日本の行動に関する歴史観は中国と共有する。>
占領時代のGHQには、日本の軍事力を原則認めないウィークジャパン派とある程度の軍事力を残すべきとしたストロングジャパン派があったが、
<ウィークジャパン派はとりわけ民主党の人脈に広く行き渡っており、オルブライト氏もそのうちの一人と考えてよかろう。米国がアジアに中国すら太刀打ちできない軍事力プレゼンスを有する目的は、日本の防衛並びに日本が独自の軍事力を保持する事態回避の2点だ、と同氏は明言している。>
 田久保氏はシファー前駐日大使(ブッシュの親友、民主党員)とてオルブライトと同じ歴史観としている。

 さて、正論4月号では桜井氏は前述鼎談で、田久保氏は自らの記事で同じ事を提起している。それは「日本の命運が米中の手に」という問題提起である。田久保氏から引用してみよう。
<オバマ政権は当分の間は日本をチヤホヤするかもしれない。しかし、ワシントンは日本とは別の関心で中国に手を伸ばしている。このアングルを忘れるわけにはいかない。日本を「コーナーストーン」だと持ち上げた同じ証言でクリントン長官は「中国は世界のバランスを変える役者としてすこぶる重要だ。我々は積極的かつ協力的な関係を中国と構築することを望んでいるし、数多くの問題で結びつきを深め、強め、中国が主張する相違点は腹蔵なく話し合う。しかし、これが米側だけの努力であってはならない。我々が今後どうするかは大方中国が国内外でいかなる選択をするかにかかっている」と述べた。「21世紀における最も重要な国」という評価からは若干距離を置いたとも解釈でできる。いずれにしても、日本に関してはクリントン長官は「世界のバランスを変える重要な国」とは表現しないだろう。>
<コンドリーザ・ライス前国務長官は「フォーリ・アフェアーズ」誌08年7月号で北朝鮮問題を扱ってきた6ヵ国協議を将来はこの地域の初の安全保障フォーラム「北東アジア平和・安全保障メキャニズム」(NAPSM)として恒久化してはどうかと提案した。日英同盟が20年の生命を断たれてワシントン軍縮会議で廃棄され、4ヵ国条約に差し替えられても日本に危機感はなかった。>

 黒人のライスですらアジアとりわけ日本への理解はこの程度だ。NATOを念頭に東アジアでも同様な組織を作れると?価値観の全く違う一党独裁の中国とはとても安全保障をともにすることはできないと思うのが日本であろうが、太平洋の向こうからは現職の国務長官のこういう考えが平然と語られるのである。これが日本に何をもたらすか?現在の米中他の歴史観のもとでは、更には価値観の違う中国、ロシア、北朝鮮が相手では孤立化するしかなくなる。今回は戦争する力もないから、日本はただ衰亡してゆくだけだが、まだ時間をかけて衰亡するのはましかも知れない。ハワイから西は自らの海軍が仕切りたいと米国に話す一党独裁の非民主主義国家中国の支配を受けるようになったら、今のチベットや国民党に弾圧を受けた昔の台湾と同じことになりかねない。そんな話はご免被りたいが、日本の対応が悪ければそうなる可能性は大きいのだ。

 こんな状態になるまで放っておいた日本にも責任がある。
 一昔前になるが、ビル・クリントンから国連安全保障理事国にしてやろうかと言われ、うろたえて断ってしまった宮沢首相、アーミテイジ報告をもとに日本をイギリス並に扱おうという米国からみれば最高の提案を何を言われたのかもわからずに見逃している日本、今週のニューズウィークは日本の政治の現状を“headless in Tokyo”と辛辣だが、そう言われてもしかたない。

 日本は何時も内政に忙しすぎる?いや、外から自分を見ることが出来ない国民ということだ。
 元外交官の岡崎久彦氏は「繁栄と衰退と」という名著を書かれている。一時期覇権を握ったオランダが内政にかまけて外交は金で処理し、いつの間にか覇権をイギリスに奪われてゆくということが書かれているが、世界第2位の経済大国現在の日本にもそのまま当てはまる話である。
 20世紀はアメリカの覇権の時代であったが、イギリスからの移り変わりは平和裏に行われたためそれと気づくのは困難であったのかも知れない。その移行は1898年のボーア戦争に始り1942年のブレトンウッズ体制で完了とでも言えばよいのだろうか?日本はこの覇権のアメリカへの移行に気付かずに失敗をし、世界の中で孤立してしまった。そして今、その約100年後にアメリカの覇権が崩れようとしている。それが今度はどんな形をとるのか?まだ、はっきりは見えてはいない。しかし、内政にかまけて外を見る努力を怠れば再び同じ落とし穴に落ちる恐れがある。

 アメリカは潜在力のある国だから、覇権に陰りが出ても、まだまだその影響力は大きい。そうすぐに覇権が漂流するような事態にはならないだろうが、しかしオバマ政権は今までの一極支配から対話重視へと舵を切って来ている。その時、アジアで話す相手が誰かということが問題となろう。特にアメリカが民主党政権の時には、要注意である。なぜなら、民主党は戦前から一貫して日本を理解できず、「中国重視、日本蔑視」という歴史観を変えていないからであり、残念ながら話し相手として中国を選ぶことに成ってゆくと思われるし、アメリカの日本の発言力への注視は削がれてゆくと考えられる。

 オバマ政権誕生前から日本では民主党政権が誕生した場合の問題点が多くの識者により懸念されてきているが、やはり憂うべき情勢になりつつあると考えざるをえない。これからの5年に日本が生き残りをかけて、外交・安全保障に力を注がなければ、アメリカと中国の狭間に漂流する小国の悲哀を味わうであろうことに疑問はなかろう。この経済危機で国内も大事だろうが、国をどう守ってゆくのか、軍事力増強も必要だが、なによりも日本国民一人一人が心に国の危機を感じその対策を実行しなければ、日本の将来への希望は失われる。そして将来への希望の火を国として残すためには、好むと好まざるに拘わらず如何にアメリカを利用・活用するかという選択肢しか小国・無資源の日本にはない。少々、不愉快でも親分アメリカの気を反らさぬ芸当が必要になるのだ。一時の感情に身を任せて「反米遊び」等している時期はとうの昔に過ぎてしまっている。言いたいことがあまたあるにせよ、まず親分が言うことに耳を傾けそれを聞き届ける度量ができて始めて自らを語るチャンスが出てくるということだ。それもチャンスが出来るということであり、聞き届けられると決まったことではない。確かに中から見れば日本は桜井よし子氏ならずとも「そうすてたもんじゃない!」ことはよく分かる。しかし、そとから見れば良くわからない人々であり、戦略の見えない国なのである。そしてこの日本を世界に理解させる時間すらも今や残されていない。

 これらすべてが「百年に一度」の「国家の安全保障の危機」の意味するところである。