友人のホームページ「方円の器」に掲載したものです。たまには毛色の変わったものを!
毎年心に残る言葉、話を書き留めるようになってからそろそろ3-4年が経つ。きっかけはサラリーマン生活の最後の三年を千葉で送ることになり、今までに無い経験として社内外で多くの人を前に話をする機会が増えたことで、話のネタを仕込む必要に迫られたことで始まった。従って最初は仕事に関する内容がその中心であり、毎年まとめておくなどということではなく、ただ書き留めていただけである。
私のサラリーマン生活は二つに分かれている。一回目が1965年(昭和40年)から1995年までの30年間の外航海運業、二回目は1995年から2004年までの9年間、その子会社での港湾運送事業にそれぞれ従事した。港湾運送事業などと言うとなじみがない方も多いと思うが港に関係する仕事(荷役、倉庫、通関、タグボート等)である。
最初の30年間は毎日が英語、英語、英語であった。英語が不得手というわけでもなかったが特技でも専門でもなかったのでどうしても英語中心で頭の中を動かさざるを得ないので、チョット気障と受け取られるかもしれないが日本語への関心など無いにも等しかった。それが1995年からは一転して国内の仕事に変わり、英語も使わず海外旅行もせず全く日本中心の生活へと変わってしまった。
日本中心の生活になったからといって直ちに頭の中が切り替わるわけではなく、仕事の関係でネタを集めている間に徐々にではあるが日本語のもつ重み、日本語への興味という物が出てきて、それを年毎に記録し始めたのである。その過程では少しずつ増えてきた読書がネタ集めには大きく貢献しだした。前置きが長くなったが“心に留めたい言葉”が始まった所以である。
今年2005年にも幾つかの「言葉」を書き留めているが、そのうちの一つが過去と初めて繫がった。
何時もの様に本屋でウィンドウショッピングをしていて、たまたま明治の元勲で外交官の陸奥宗光を書いている本が眼に入る。その表紙に「老いて学べば死して朽ちず」とあり、定年後の読書に励む自分にはとても相応しい言葉に思えた。でも、本は予算上の都合もあり見送ってしまい、その言葉が誰のものとも確かめもせず、帰宅後にただ書き留めただけであった。
一月ほど後のことであるが千葉時代の知人が都心に出てくるからということで会食の機会を得た。彼はなかなかの物知りで本にも詳しい。フランシスふくやまの「歴史の終わり」を紹介してくれて、それが見つからないという話をしたときには地元の図書館で借り出してくれたことがあった。今回は「儒教」の話をしていたら丁度図書館で借りて読んでいるところの加地伸行の「儒教とはなにか」の話を持ち出してきた。話が移り「陸奥宗光のことを書いてある本に‘老いて学べば死して朽ちず’とあるが誰の言葉か知っている?」と尋ねたら「論語じゃないの?」とのこと。「そうかもね。家にまだ読んでないけど‘論語’の本買ってあるからみて見るはー」という話になった。帰ってその‘論語’を取り出してびっくりした。著者がなんと「加地伸行」である。そして更に偶然が続く。
残念ながら‘論語’にはこの言葉は見当たらず、仕方が無いので「えいや!」とネットに放り込んで検索ボタンを押す。便利なもんだ、出てきた、出てきた。江戸末期の儒学者である‘佐藤一斉’の名前が出てきた。これなら最初からネットに頼れば早かった等と考えているうちに、この‘佐藤一斉’の名前を何処かで聞いた覚えがある。が、すぐには思い出せなかった。そして色々なデータをひっくり返しているうちに「心に留めたい言葉2003年」の中にその答えは眠っていた。
この年は「心に留めたい言葉」2年目であるが、「言葉」よりも、文章が多い。新藤兼人(魂は老いず)、石原慎太郎(般若心経)、日高義樹(アメリカの世界戦略を知らない日本人)、小林虎三郎(米百表)等に混じって、佐藤一斉の一言がある。
「一灯をかかげて暗夜を行く。暗夜を憂うなかれ、ただその一灯を頼め」
私は何故かこの一言がとても気に入っていた。男らしい言葉であるからだろうか?
偶然が重なって現れた佐藤一斉であるが、私が気に入る言葉を生み出した人物がどんな人やら、やたら興味をそそられる。早速、杉並図書館を検索。しかし、しかし、である。「やーやー」、佐藤一斉では一つも該当がない!やむなく国会図書館を検索、さすがここには10冊以上ある。国会図書館は貸し出しをしないのでチョット時間が掛かりそうだが、全集物もあるようなので古本屋での探索も含めぼちぼち始めることにしよう。又一つ楽しみが増えた。
年も改まり1月26日(木)荻窪のブックオフで「言志四録を読む」(井原隆一)を買った。ようやく佐藤一斉に関する本を手にすることが出来た。散歩の帰りにブックオフに寄ろうかどうか迷っていて寄ることにしたが、探している本が見つかるときは何時もそうだが、向こうから眼のなかに活字が飛び込んでくる。今回はネットで知った「言志四録」が飛び込んできた。
著者の井原さんは学者ではない。学歴もないが独学の末に法律、経営、宗教、歴史を修め、埼玉銀行で専務。その後も、数々の企業再建に携わったよし。「言志晩録」よりの「即ち死して朽ちず」を心に沁み、強く共感する言葉として取り上げている。小生が惹かれるのも無理はないと思った。
「言志四録」とはもともと「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋録」(注:てつは上に老、下に至ると書く)の四巻、1133条からなる語録である。このなかから井原氏は357条を選んでいる。以下が其の内の3条。
「言志晩録」
少にして学べば、即ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず。
一灯を掲げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一灯を頼め。
「言志耋録」
少者は少(わかき)に狃(な)るること勿れ。
壮者は壮に任ずること勿れ。
老者は老に頼むこと勿れ。
「老いて学べば、即ち死して朽ちず」、ようやく原文にたどり着けた。だが、よく読むとそうありたいとは思うが小生にはすこしかっこよすぎて恥ずかしい。なぜなら、少にしても、壮にしても、学んだ等とはとても言えず、老いてから人生の単位未収を読書でもして取り戻せれば程度の話だからである。まあ、老いて学ぶことで自立した老後を送る‘よすが’にでも出来れば、そして棺桶の中に持ち込めるのは自分の知識だけという自己満足のためにも、遅まきながら学び続けて行きたいものである。