杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

心に留めたい言葉

2006-06-22 02:56:22 | Weblog

友人のホームページ「方円の器」に掲載したものです。たまには毛色の変わったものを!

毎年心に残る言葉、話を書き留めるようになってからそろそろ3-4年が経つ。きっかけはサラリーマン生活の最後の三年を千葉で送ることになり、今までに無い経験として社内外で多くの人を前に話をする機会が増えたことで、話のネタを仕込む必要に迫られたことで始まった。従って最初は仕事に関する内容がその中心であり、毎年まとめておくなどということではなく、ただ書き留めていただけである。

私のサラリーマン生活は二つに分かれている。一回目が1965年(昭和40年)から1995年までの30年間の外航海運業、二回目は1995年から2004年までの9年間、その子会社での港湾運送事業にそれぞれ従事した。港湾運送事業などと言うとなじみがない方も多いと思うが港に関係する仕事(荷役、倉庫、通関、タグボート等)である。

最初の30年間は毎日が英語、英語、英語であった。英語が不得手というわけでもなかったが特技でも専門でもなかったのでどうしても英語中心で頭の中を動かさざるを得ないので、チョット気障と受け取られるかもしれないが日本語への関心など無いにも等しかった。それが1995年からは一転して国内の仕事に変わり、英語も使わず海外旅行もせず全く日本中心の生活へと変わってしまった。

日本中心の生活になったからといって直ちに頭の中が切り替わるわけではなく、仕事の関係でネタを集めている間に徐々にではあるが日本語のもつ重み、日本語への興味という物が出てきて、それを年毎に記録し始めたのである。その過程では少しずつ増えてきた読書がネタ集めには大きく貢献しだした。前置きが長くなったが“心に留めたい言葉”が始まった所以である。

 今年2005年にも幾つかの「言葉」を書き留めているが、そのうちの一つが過去と初めて繫がった。

 何時もの様に本屋でウィンドウショッピングをしていて、たまたま明治の元勲で外交官の陸奥宗光を書いている本が眼に入る。その表紙に「老いて学べば死して朽ちず」とあり、定年後の読書に励む自分にはとても相応しい言葉に思えた。でも、本は予算上の都合もあり見送ってしまい、その言葉が誰のものとも確かめもせず、帰宅後にただ書き留めただけであった。

 一月ほど後のことであるが千葉時代の知人が都心に出てくるからということで会食の機会を得た。彼はなかなかの物知りで本にも詳しい。フランシスふくやまの「歴史の終わり」を紹介してくれて、それが見つからないという話をしたときには地元の図書館で借り出してくれたことがあった。今回は「儒教」の話をしていたら丁度図書館で借りて読んでいるところの加地伸行の「儒教とはなにか」の話を持ち出してきた。話が移り「陸奥宗光のことを書いてある本に‘老いて学べば死して朽ちず’とあるが誰の言葉か知っている?」と尋ねたら「論語じゃないの?」とのこと。「そうかもね。家にまだ読んでないけど‘論語’の本買ってあるからみて見るはー」という話になった。帰ってその‘論語’を取り出してびっくりした。著者がなんと「加地伸行」である。そして更に偶然が続く。
 
残念ながら‘論語’にはこの言葉は見当たらず、仕方が無いので「えいや!」とネットに放り込んで検索ボタンを押す。便利なもんだ、出てきた、出てきた。江戸末期の儒学者である‘佐藤一斉’の名前が出てきた。これなら最初からネットに頼れば早かった等と考えているうちに、この‘佐藤一斉’の名前を何処かで聞いた覚えがある。が、すぐには思い出せなかった。そして色々なデータをひっくり返しているうちに「心に留めたい言葉2003年」の中にその答えは眠っていた。
 
 この年は「心に留めたい言葉」2年目であるが、「言葉」よりも、文章が多い。新藤兼人(魂は老いず)、石原慎太郎(般若心経)、日高義樹(アメリカの世界戦略を知らない日本人)、小林虎三郎(米百表)等に混じって、佐藤一斉の一言がある。

「一灯をかかげて暗夜を行く。暗夜を憂うなかれ、ただその一灯を頼め」

私は何故かこの一言がとても気に入っていた。男らしい言葉であるからだろうか?

 偶然が重なって現れた佐藤一斉であるが、私が気に入る言葉を生み出した人物がどんな人やら、やたら興味をそそられる。早速、杉並図書館を検索。しかし、しかし、である。「やーやー」、佐藤一斉では一つも該当がない!やむなく国会図書館を検索、さすがここには10冊以上ある。国会図書館は貸し出しをしないのでチョット時間が掛かりそうだが、全集物もあるようなので古本屋での探索も含めぼちぼち始めることにしよう。又一つ楽しみが増えた。

 年も改まり1月26日(木)荻窪のブックオフで「言志四録を読む」(井原隆一)を買った。ようやく佐藤一斉に関する本を手にすることが出来た。散歩の帰りにブックオフに寄ろうかどうか迷っていて寄ることにしたが、探している本が見つかるときは何時もそうだが、向こうから眼のなかに活字が飛び込んでくる。今回はネットで知った「言志四録」が飛び込んできた。
著者の井原さんは学者ではない。学歴もないが独学の末に法律、経営、宗教、歴史を修め、埼玉銀行で専務。その後も、数々の企業再建に携わったよし。「言志晩録」よりの「即ち死して朽ちず」を心に沁み、強く共感する言葉として取り上げている。小生が惹かれるのも無理はないと思った。
「言志四録」とはもともと「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋録」(注:てつは上に老、下に至ると書く)の四巻、1133条からなる語録である。このなかから井原氏は357条を選んでいる。以下が其の内の3条。

「言志晩録」
少にして学べば、即ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず。

一灯を掲げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一灯を頼め。

「言志耋録」
少者は少(わかき)に狃(な)るること勿れ。
壮者は壮に任ずること勿れ。
老者は老に頼むこと勿れ。

「老いて学べば、即ち死して朽ちず」、ようやく原文にたどり着けた。だが、よく読むとそうありたいとは思うが小生にはすこしかっこよすぎて恥ずかしい。なぜなら、少にしても、壮にしても、学んだ等とはとても言えず、老いてから人生の単位未収を読書でもして取り戻せれば程度の話だからである。まあ、老いて学ぶことで自立した老後を送る‘よすが’にでも出来れば、そして棺桶の中に持ち込めるのは自分の知識だけという自己満足のためにも、遅まきながら学び続けて行きたいものである。


日銀総裁の投資問題

2006-06-17 00:20:59 | Weblog
 日銀福井総裁の村上ファンドへの1000万円の投資問題でマスコミが責任問題だと騒いでいるが、果たして大騒ぎするほどの問題か?

 ポイントが二つあると考えているが、いずれもたいしたことではない。

ポイント その1
 
 日銀の影響力は大きいから、総裁たるもの後ろ指を刺されないよう、倫理観に疑義が生ずることがないよう、個人の資産への透明性を持たせるような制度を持つべきであるという意見には賛成である。いままでなかったのは残念であるが、いまから作れば良い。決して遅くない。だが、いままで規則のないところで行われた投資が倫理観に疑義が有るからと言って、総裁を辞任させるほどの強制力があるとは思えない。

ポイント その2

 投資信託というものがどういうものか今一度考えてみたい。他人から金を集め投資・または運用を上手に行うことで顧客に利益をもたらす行為だが、ご存知のように銀行でもやっている、金持ち相手の投資信託の存在は資本主義社会の常識である。一般的に言って投資信託には元本の保証がなく、顧客のリスクはそのファンドにもよろうが比較的大きい。ファンドマネージャーの腕次第で儲かるときもあれば損が出るときもある。今回はそれが儲かったということで批判・非難が大きいように思うがどうだろうか?3年前に株を買って置いたら2倍にはなっている時代である。1000万円の投資が庶民にとっては大きいという人もあるが、いまどき目くじら立てるほどの金額ではなかろう。それを、将来有望、新しい事業を日本で始めようとした村上を知ってエールを送る気持ちで預けたという福井の説明は不自然ではないし、そういう時代なのだから2-3倍の儲けで大騒ぎすることはない。福井が他の機関投資家のように何億円という単位でこれを行っていればそれは問題であろうが。

 村上の言うとおり金をもうけるということが悪いことなら資本主義などやめたら良い。資本主義社会で問われるのは稼いだ金をどう使うかであろう。その使い方でこそその人の人間としての倫理観が問われるのである。明治の偉人、内村鑑三も「金をもうけ正しく使う人」が一番といっている。アメリカでは寄付ということが日本になど比べたら頻繁に行われるが、儲けた金を正しく使うという思想がハッキリしているからであろう。勿論、法を犯してまで金を儲けることは何処であろうと赦されないが、今回はマネージャーの過ちであり、投資した人にまで罪はない。


石油、価格より量の確保へ!

2006-06-15 03:11:03 | Weblog


 イランのアザデガン油田問題でアメリカは日本の金融面での協力を求めてきている。そして最終的には協力せざるを得ないということも覚悟する必要があろうが、国際社会に何を言うかということが大切である。
 
 日本はアラブの石油に90%依存しており、そのうちイランは15%である。従って、アラブの石油は日本にとり死活問題でありイランの15%は決して小さくない。アメリカもその事情は理解している。

 ならば、日本はこの事情をアメリカ他の有志に説明し、理解を求め、将来的に日本が必要とする量の確保に問題が出たときに、有志がどう協力してくれるのか、どのような解決策が考えられるのかを問うべきである。そのためにはG8で価格の問題を取り上げるのも良いが、有志との話し合う行うべきと考える。

 何故有志か?アラブにことが起きればアメリカ一国では日本の石油需要を賄いきれないからである。

 中国に加え、インド、ブラジルの石油需要が出てきたら、日本が石油他の資源を確保することが非常に難しくなるであろう事は明らかである。いまから、その準備が必要である。


北、テポドン発射か?

2006-06-14 09:09:33 | Weblog

 また北朝鮮がテポドンを発射するらしいが、日本政府は表立った対応をしていない。

 少なくても、以下の問い合わせをするぐらい、そしてその内容によってはある程度の対応を考えるべきではないか?
北朝鮮へのといあわせ。
 1.発射予定があるのか?
2.あるなら、日本上空を通過しないことを約束しろ。
3.ミサイルの発射軌道と予想落下地点を国際社会に通知するなどして、事故防止に備えるよう要求する。

もし、日本上空を通過する軌道の場合には、米国政府と協議し、ミサイルが上昇 軌道にあるうちに打ち落とすなどの措置を検討すべきではないか?

北朝鮮のミサイルが我々の頭上を飛んでいかせるわけには行かないことを北朝鮮には認識させておく必要があるだけでなく、これを阻止する必要がある。これこそ、国家の安全保障問題であり、自衛権の範囲であろう。

首相訪米時の米議会でのスピーチ

2006-06-09 22:04:20 | Weblog
以下を首相官邸にメールしました。


小泉首相殿

最終的にどのような判断をされたのかは知りませんが、シーファー大使からも要請のあった首相訪米時の米国議会でのスピーチを取り止められたことを大変残念に思っております。
 後継首相が名乗りを上げるときに余計な負担・圧力をかけないようにとの配慮かもしれませんが、こんな機会はめったにあるものではないし、日本国総理大臣にとって始めてのことでもありますので、是非ともご再考願えればと思います。
 この日本を巡る安全保障が危機的な状態にあるときに、日本にとって唯一無二の米国との関係を盤石なものにするには、米国民を相手にしての忌憚のない意見交換であり、日本への理解を深めてもらうために「日本とは」を説明する必要があると考えます。もし、首相としてのスピーチが誤解を招くことを恐れているのなら、「5年間を振返り」でもよいから自分の意見を述べることです。いくらでも話し方はあるでしょう。
明治時代には日本人にも自らを語り議論しあうということが盛んに行われていたと聞いておりますが、いつの間にかこのよき風習が損なわれ、外国との意思疎通が充分に行われることなく、他国に情報宣伝で先を越され戦争への道を歩んでしまったことご記憶の通りです。
「話せばわかる」は裏返せば「話さねば分からぬ」なのです。日本人は「話さないでも分かる」などと島国根性でいいますが、一歩外に出たら「話さねば分からぬ」が世界なのです。
 いまからリスケジュールというわけに行かないのならせめて、米国民に対しての声明文を出していただきたいと考えます。何故ならばこれこそが今回訪米する首相が行うべき一番大切な仕事とかんがえるからです。
 もう一度お願いしますが、この機会はブッシュ大統領と小泉首相が二人で築き上げた関係から生まれてきたものです。このような機会が将来何時来るのか、来るのか来ないのかも判らない話です。首相がこの機会を潰してしまったら、「日本はやはり変な国だ」という思いだけが残り、未来永劫来なくなるかもしれないのです。ブッシュがそう思うだけなら構わないのですが、米国民がそう思うことを心配します。ブッシュの日本への思い込みの強さを懸念されるのかもしれませんが、日本の国益を今一度考えればこの機会を利用すべきではありませんか?

なんで使わぬこの表現?中教審答申

2006-06-03 23:04:14 | Weblog
なんで使わぬこの表現!

 6月1日の正論に登場したのは中嶋嶺雄(国際教養大学理事長・学長)であるが、
‘国家のあり方を忘れた教其法改正’と題して政府案は一種の言葉遊びで政治的妥協に、公明党への政局的妥協が加わり中教審答申に比べて大きく後退していると嘆いておられる。
 
 ‘そして最も重要な争点である「愛国心」との関連でみると、中教審答申は、問題をグローバル化が進めば進むほど、日本人としてのアイデンティティーが重要になるとの前提から展開し’と述べ、そしてここからが重要である。「グローバル化が進展する中で、自らの国や地域の伝統文化について理解を深め、尊重し、郷土や国を愛する心をはぐくむことは、日本人として、これからの国際社会で生きてゆくうえで極めて大切である。」
 
 これが答申であると中嶋氏が述べているが、私はこの視点こそが今の教育に欠けていると思う。愛国心や伝統文化がなぜ必要なのか、それ自体も大切であろうが、それがグローバル化に起因するという視点こそ、これからの教育に特に求められるべきものと考える。ただ愛国心や伝統文化に重きを置く考えであってはならないと思うし、英語教育の必要性もおのずと理解が出来ようというものだ。

 中嶋氏は政府案を公明党のイデオロギーに振り回されていると批判し、民主党案をましとしながらも、これからの教育基本法、憲法改正へとまともな議論に発展することを期待されているが、そのためには政界の再編成がぜひ必要なことが明るみにでたとして筆をおかれている。これまでの政界再編はむしろ自民・民主の中でのシャッフルを意味すると私は理解していたが、中嶋氏は自公連立こそに無理が出てきている、修正不可能な状態であると述べており、改めて自公連立の弊害の大きさを知ることにもなった。

 幸か不幸か、国会の会期延長はなされず、教育基本法も継続審議になると思うが、是非とも今一度教育の原点に立ち返り、上述のような表現に変えて成立させてもらいたい。
 

共謀罪 丸呑み出来ない 民主党

2006-06-03 11:06:09 | Weblog
共謀罪 丸呑みできない 民主党

 酷いね!お笑いだよ、民主党は。民主党自らの提案を自民党が受けるといったら、嫌だと。これでは政権政党にはなれない。

 無様だ!と思って表題を作ってみたら、川柳みたいなのが出来た。

 正直に言って共謀罪がどうあるべきなのか、良く判らない。かといって、国際条約だからと言って丸呑みでは可笑しかろう。もし、日本が主権国家として、国際条約であっても受けられない内容なら、例え批准出来なくても少しもおかしなことはない。ましてや、それに変わるものが出来ようとしているのだから、なぜ日本が他国と異なる対応をするのか国際社会によく説明すればそれでいいことだ。嘗てのアメリカの国際連盟への非加盟、最近では京都議定書への不参加他いくらでもある。しかもアメリカの説明は必ずしも納得のいくものではなかったと思う。

 私は今回の共謀罪に関する自民党の対応、即ち反対が多く強行するのはどうも具合が悪い、民主党の言い分にも理がありそうだ、ならば取り敢えず法律を作り様子を見よう、そして新法が旨く作動しないなら、改めていこう。これでよいのではないか?何を民主党は血迷っているのか???

しっかりしろよ、なー!

小泉純一郎よ、「おぬし、やるのー!」

2006-06-01 21:10:15 | Weblog
首相、会期延長なしは「最終判断」

 小泉首相は「やることがいっぱいある」といって会期延長を行わないことにしたようであり、周囲は困惑してると報道されているが、国会の有様を見ていると正しい判断ではなかろうか?

 世間では後継内閣への影響力を残すためだとかの意見も出ているが、小泉の判断は会期延長をしても「有終の美」は飾れない。現在の国会の有様を見れば会期延長することで、むしろ構造改革の脚を引っ張りかねない、ここで影響力が弱ってきている自分が会期延長をするよりも、引き続き構造改革を旗印に掲げ、自らが支持できる次期首相に任せたほうがうまくいくと考えているのではないか?

 なんだか、そう思わせるほど自民党内部は年寄りが動き出し、勝手を言っては昔に戻そうとしているサマがめだつ。片山虎之助などは「顔は改革派、腹は守旧派」だから、首相の決断に不満をあらわにしているということをきくと行く手を阻まれての怒りに他ならないことが理解できる。

 いまから言うのは少し早いかも知れないが、この小泉判断には賛成である。小泉純一郎よ、「おぬし、やるのー」。