杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

参院選に臨む、「保守の受け皿」とは?

2010-03-16 01:27:49 | Weblog


 3月11日に「参院選の持つ意味、野党自民党はどう戦うのか?」と題して、あたかも自民党を鼓舞するかのような事を書いたが、実は自民党のこと自体は余り重要なことではない。「保守の受け皿」になる野党が出来あがるかどうかが問題なのである。
 今日のメディアは鳩山邦夫が5月までに新党結成と報じているが、与謝野、増添、鳩山三人が三人とも揃いも揃って「保守の受け皿」どころか国をどうすると言うことに一切触れていない。ただ、谷垣では駄目だと言っているだけとしか聞こえてこない。

 こんなことでは、自民党は残念ではあるが民主の対抗馬として参院選で過半数を確保する勢力とは成りえない。自民党は民主の敵失にもかかわらず自民党の支持が増えない理由を理解しておらず、今もってコップのなかの「お遊戯」を続けているにすぎない。そして、その問題点はやはり、「保守」と言うことが何を意味しているかが、理解できていない議員の集まりが自民党であったと言うことに尽きよう。
 私は自民党のなかから「保守の受け皿」に成る人々が出てくるであろうと考えていた。しかし、出てきそうもない。そして、そういう勢力が出てこないことが確かならそれはそれで構わない。国民は自民に期待できなければそのようなグループを立ち上げるしかないし、今ならまだそうできる可能性はある。
 だが、一番困ることは選挙直前になって自民がそういう「保守の受け皿」的な声を上げてもらっては困るのである。
 何故なら、保守が乱立することによる共倒れが起きてしまう可能性が高いからである。国の行く末を決めることになる今回の参院選挙、小沢が「無血革命」の仕上げと考えている今回の参院選挙では、どうしても保守が負けるわけにはいかないからである。

 さて、私はこれまでも「保守の受け皿」を呼びかけながら、それが何を意味するのかを説明してきていない。私の中にはある程度の考えはあるのだが、まだまだ中途半端であり、こういう問題を得意とする人が幾らでもいる、何れ出てくると考えサボってきていることを正直に白状せざるを得ない。
 しかし、どうやら自らその問題にも向かわざるを得ない時期に来てしまったように思える。
 そして今求められているのは「真正保守」ではなく、参院選に勝てる「最大公約数の保守」と言うことが必要であると思うのである。誤解を恐れずに、今日本に必要な「最大公約数の保守」に挑戦してみよう。

 と、此処まで書いたらニュースが鳩山弟、自民党を離党。旗振りに成るのではなく与謝野と増添の接着剤と訳の分らぬ離党、何の理念・政策もない!!管財務省が「何回目の離党ですかねー?」と、こういう男が一番始末が悪い。

 さて、「最大公約数の保守」に戻ろう。

・安全で正直な国づくり
 今の日本を30-40年前の日本に戻したい。まだまだ日本は諸外国と比べればその安全度は高いようだが、毎日の新聞に見るのは「汚職」「詐欺」そして「殺人」のオンパレードである。そこから見て取れるのは「安全」と「正直」が欠けた社会である事を物語っている。性善説できた日本を性悪説に基づき法制度を見直すことも日本が国際化してゆく中で必要なことであろうし、正直でないことに厳しい目を向けることも大切であろう。特に、正直を大切にしない近隣諸国からの圧力を跳ね返す力にもなる。

・公(おおやけ)を教える教育
 戦後日本を振り返れば、全て「私」を優先して教育が行われたのではないか?国と言う組織があり、この維持を図るためには常に「私」と「公」の間に我々国民は存在する。このバランスが崩れ「私」に偏り過ぎたのが現在であろう。軸足を「公」にも置いた教育が望まれる。「公」とは人の為と言うことも言えよう。
 勿論、これだけでは教育が十分には行われないだろうが、教育の根幹はそんなに難しいことではなく、今不足しているのはまずは会津の「什の教え」程度を時代に合わせて修正し小学生に教える、それが人間教育の根幹であり、今日本に一番欠けているのはこの幼児期の基礎的人間教育である。(教育勅語という選択肢もあろうが、私には少々抽象的すぎるように思える)

・国の安全保障は民主的な同盟国と
 日本が明治維新以降これまでに行ってきた歴史を否定するものではないが、近代化の過程で幸運にも先行出来たということも言えよう。しかし、これから遅れてきた地域が立ち上がってくれば日本は今までのようには成長を続けることは難しくなるであろう。
 言ってみるならば、領土、人口そして何よりも水ぐらいしか身近に天然資源のない日本が大国になれる要素は見当たらない。従って、アメリカのようには自立ということが不可能な国と言える。嘗て1902年に日英同盟を結んだように、そして今もアメリカと安全保障条約を結んでいるように、日本の国益につながるパートナーの存在は不可欠である。そのパートナーとはやはり自由で民主的な国家との繋がりを大切にと言うことであり社会制度が大きく異なる国を選択する訳には行かない。

・「皇室を大切に!」
 私は感情的というか情緒的な何が何でもという皇室論には組みしないが、日本の皇室制度は日本の民主主義にとって極めて重要な制度だと思っている。陛下に権威を、国民に権力をというこの分限と言う制度は、国民の中から絶対者を出さないという観点から極めて重要なことであり日本の民主主義のコアに成っている制度と考える。
 その為には、皇室制度の外堀足る靖国は守らねばならない存在である。どんな国家であれ伝統を持つ国家はその国に固有の宗教により国の行事が行われることは当たり前の話であり、なんら問題のないことであり、信教の自由を侵害することにはならない。国は靖国参拝を行うべきであり、その理由も述べるべきである。

・「投機のない資本主義を目指す」
自由と平等は近代社会の理念であるが、国家財政を蓄積するには政策としては自由を優先せざるを得ず、分配(平等)はその範囲でしか行い得ない。また、資本主義の根幹は投資であり投機であってはならない。米国の金融資本主義はしてはならない投機へ経済を導いたことにあると考える。そして言うまでもないが国家の財政は収入に合わせた支出とし、借金まみれの財政運営に終止符を打つ工夫を凝らさねばならないが、まずは行政・官僚機構の合理化である。
 農業については米を含めて競争力を高める必要がある。米は日本の基幹食料故完全自由化などは絶対に許すべきではないが、今の小規模農業のままで良いことはない。大規模化、株式化するなどして合理化・効率化を計るべきであろう。

 と、短時間に書いては見たがまだ書き足りない分野も残っており、やはり小生にはなかなか荷が重い仕事ではある。だが、少なくとも世に新風を起こそうかという政治家諸氏にはこの程度の国家観は、何時も心に留めて発言をしてもらいたいと思うのは無理な話なのであろうか?