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新JOOKOのふぉとエッセイ

     東海道53次探検ウォークや、四季折々の出来事
     そして仏像造顕所勢山社関連など、写真もお楽しみに♪

17日目 金谷坂と小夜の中山峠を越え日坂宿へ  そして掛川へ (その1)

2023-06-01 | 東海道53次探検ウォーク

初めての1泊東海道歩き、さあ2日目も頑張ろう!

2日目は、金谷坂から東海道三大難所といわれる小夜の中山(峠)を越えて日坂宿へ行き、その後時間が許す限り掛川方面へ歩く予定だ。2日続けて長距離を歩くのは初めてだし石畳はどのような様子なのだろうと、箱根旧東海道西坂以来の石畳歩きなので期待と共にちょっぴり不安も。

東海道本線金谷駅から金谷一里塚へ戻ってガードをくぐり、右折して道なりに進むとすぐに「金谷大橋跡」(金谷宿西口跡)の立て札があり、ここが金谷坂の上り口とのこと。

斜面に立ち並ぶ住宅地の緩やかな坂を上ると、国道473に出て「旧東海道石畳」と「旧東海道石畳入口」の案内表示があった。こういう風に道案内があるのはありがたいと、出発早々嬉しくなってしまう。

国道を渡り更に坂を上ると「東海道金谷坂石畳上り口」が。いよいよ石畳歩きの始まりだ。

金谷坂石畳の全長は430mなのでそれほど長くないけれど、石が丸いので滑らないように気をつけながら上って行くと「すべらず地蔵尊」があって納得。もしかしたら受験などにもご利益があるのかもしれない、と思いながらさらに急坂を上ると舗装路に出て一安心。

ところで、金谷坂は1991年に「町民一人一石運動」で江戸時代の石畳が復元されたとのこと。それまでは僅か30m以外は舗装路だったらしい。約600名の方々のおかげで、往時の東海道体験ができたので感謝しなければ。

樹木に覆われた石畳を出て、まばゆい緑の茶畑沿いを行くと「諏訪原城跡」案内が見えて来た。

諏訪原城は武田勝頼が築城した山城で、その後家康が攻め落としたそうだ。横堀などが残っているらしく興味深々だったけれど、これから峠越えをしなければいけないのだからと、ビジターセンターと散策路を少しチェックし、寄り道を諦めた。

諏訪原城跡前の県道を渡ると菊川坂下り口で、ここも石畳だ。

菊川坂の石畳は一部が江戸時代後期のものだそう。長年にわたり足元を支えてくれている石は、さすがに摩耗していてやはり滑りそうだ。けっこう急坂だったので、足に負担をかけないようにジグザグ歩きを心がけた。

無事に石畳を下り終えると菊川の集落が見えて来た。石畳に緊張しながら金谷坂で上った分下ったかもしれないけれど、所々に東海道の道案内があったのでとても助かった。

のどかな町並みを行くと、建物の壁に「昔をしのぶ間の宿菊川」案内表示があり、往時の様子を垣間見ることができた。西に「小夜の中山(峠)」、東に「菊川坂」と「金谷坂」中間地点の菊川は、旅人にとって一息つける場所だったのだろう。ということで「間の宿・菊川」案内板を確認した菊川会館で私たちも小休止を。

いよいよ小夜の中山(峠)へ。せっかく下ったのにまた上り坂・・・とは思わず、むしろ未知の場所への期待が膨らんでしまう。

ところが残念なことに、菊川会館先の小夜の中山(峠)へ通じる旧東海道はバイパス道工事のため通行止め。仕方がないので少し戻り、迂回路を進んで菊川神社前の急坂を上ると・・・。

いきなり広大な茶畑が現れびっくり。見渡す限りの茶畑は清々しく、初めて体験する光景に私は興奮気味に。

斜面に広がる茶畑に目を奪われていたからか上り坂は全く苦にならず、ふとかすかにただよう香りに気が付いた。え?これって何?もしかしてお茶の香り?と思い、道路沿いのお茶の葉に鼻を近づけると新茶の香りが!あの心地良い香りをどう表現したら良いのだろう。もしかしたら、茶摘みをしてから日が経っていないのかもしれない。

実は後日知ったのだが、その日はなんと八十八夜だったのだ。先のことまで考えて東海道歩きの計画をしているわけではないのに、偶然八十八夜に茶畑歩き初体験ができるなんて!それも爽やかな五月晴れの日に!

菊川から1kmほど、高低差150m弱を茶畑を眺めながらゆっくり歩いたからか、上り坂をそれほど意識せず、30分ほどで小夜の中山峠頂上の久延寺へ到着した。久延寺の向かい側には「接待茶屋跡」碑が。

東海道の三大難所といわれる小夜の中山(峠)は、うっそうとした樹木に覆われていて山賊などが横行したらしい。往時の旅人にとっては色々な面で厳しい峠越えだったようなので、お寺で旅の安全を祈り、茶屋で一休みして旅を続けたのだろう。

 →その2へ続く


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